切り札

 何を申し上げても諦めようとしない王太子殿下に対する尊敬の念が底をついた頃、校舎の端から複数の足音がしましました。


 思わずそちらへと顔を向けると、ジネット様、ユゲット様、ルシール様のお三方の姿が見えるではありませんか!


 グーで殴るか、パーで張り倒すか真剣に考えていた私は笑顔を浮かべました。


「ジネット様!」


「ごきげんよう、オリアンヌ。どうにか間に合ったようですわね」


「なぜ、きみがここに?」


 私にしかこの場所を知らせていないと思い込んでいるであろう王太子殿下が、心底意外そうな顔をジネット様に向けられました。


 その間に私は王太子殿下の目の前からすり抜けて皆さんの方へと走り寄ります。立ち止まった私の心臓は早鐘のように鼓動していますが、これは走ったからだけではありません。


 振り向いた先にはまだ呆然としたままの王太子殿下がいらっしゃいました。すこし落ち着いてから私が話しかけます。


「王太子殿下、いい加減諦めてくださいませんか?」


「まったくきみはジネット達までも連れ出すなんて。そこまで私を拒絶するのかい?」


「先程も申し上げましたが、私には心に決めた婚約者がおります」


「ふん、ここまで私をコケにしてただで済むと思っているのか? 男爵家などどうとにでもなるんだぞ」


「このまま諦めていただくわけにはいかないのですか?」


「いいだろう。そんなに諦めてほしいのなら諦めてやる。その代わり、お前の家も婚約者の家も諦めるんだな!」


 整った顔は歪むと本当に醜く見えるとたった今知りました。そして同時に、このままだと本当に家も危ないことも悟ります。


 そのため、私は仕方なく切り札を切ることにしました。


 私が握っていた手のひらを広げると、王太子殿下は怪訝な表情をされます。


「なんだその石ころは?」


「先程の会話をすべて録音した記録の魔法石です。これを、国王陛下へとお渡しいたします」


 説明を聞いた王太子殿下は目を見開かれました。ジネット様によりますと、姉上の件で国王陛下にこっぴどく怒られたらしく、一月ひとつきもしないうちにまた女性問題を起こすのは非常にまずいとか。


 凍り付いた表情の王太子殿下が何か言おうとしたとき、再び校舎の端から人影が飛び出してきました。


 その姿を見たとき、私は満面の笑みを浮かべてその胸に飛び込みます!


「モルガン!」


「オリアンヌ! 無事かい!?」


 しがみついた胸の奥から激しい鼓動を繰り返す音が聞こえてきました。同時に、かすかな汗の香りが私の鼻腔をくすぐります。いつものように深呼吸すると、いつも以上に強い香りが私の肺を満たしました。


 私が深呼吸に忙しい間、ジネット様がその王太子殿下に告げられます。


「さすがにこうも立て続けに問題を起こされますと、わたくしとしても黙って見過ごすわけには参りません。今回のことは、我が父にも報告いたしますわ」


「だ、だからどうしたというのだ」


「オリアンヌの記録の魔法石を国王陛下にお渡し、我が父からもお話があれば、色々と考慮してくださるでしょう」


 二の句が継げない王太子殿下が蒼白になる前でジネット様が私に顔を向けられました。それに気付いた私はモルガンから離れ、記録の魔法石を手渡します。


「モルガン、申し訳ないけどこれを今すぐ王城へ届けてもらえないかしら?」


「これをかい? わかった」


「モルガン殿、後でわたくしの父からも国王陛下にご報告申し上げると言伝てくださるかしら。その上でまずはあらましだけお伝えください」


 有無を言わさぬ迫力でジネット様に頼まれたモルガンは、ようやく息を整えたところで再び走り出しました。


 そうして再び私達五人だけになります。けれど、これ以上何も話すことはありません。


 私は最後に王太子殿下へと語りかけます。


「王太子殿下が私の姉キトリーをどれだけ思ってくださっていたのか私にはわかりません。ですが例えモルガンがいなくても、私はキトリーの代わりにはなれなかったでしょう。なぜなら私は姉とは違うからです。王太子殿下には、それを理解していただきたかったです」


 最後まで言い切ると私は一礼して踵を返しました。ジネット様達もそれに続かれます。


 校舎裏には呆然とした王太子殿下だけが最後まで立っていらっしゃいました。

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