Steal・29 ラスト・スティール
苺と目が合って、俺が微笑む。
苺は俺が消えてしまうことを理解して、すぐに立ち上がろうとした。
立ち上がりながら、苺は銃に手をかけた。
同時に啓介も立ち上がる。
ウリエルは俺を見て、少し笑った。
バイバイヘイズ。
おう、またなウリエル。
という会話を脳内で妄想した。
「追跡装置は、ただのヘイズには無理だろうなぁ」
言いながら、俺は背後に飛んだ。
そっちに足場はない。
ここは日本情報局ビルの7階。
俺は自由落下を楽しみながら、オフィスの窓を見た。
苺が酷く焦ったような表情で顔を出した。
俺は小さく手を振って、ついでに投げキッスもサービスした。
そしてパラシュートを開く。
ちなみにこのパラシュート、ファントムが窓の外に引っかけておいたものだ。
それを飛び降りた瞬間に取って、背負って、今開いたのだ。
俺は近所の駐車場に着地して、同じくファントムが用意したバイクに跨がる。
カワサキのニンジャ250という名前のフルカウル。
ヘルメットを被って、エンジンに火を飛ばし、そのまま走り去った。
「あの焦った顔、最高だったぜ苺ちゃん」
俺はバイクを運転しながらニヤニヤと笑った。
◇
「お帰りヘイズ」
セーフハウスで待っていたテンティが、俺に抱き付いた。
俺は気分が良かったので、テンティを抱き上げてクルクルと回してから床に戻した。
テンティは少し驚いたようだったけど、嬉しそうだった。
さて、このセーフハウスは極めて普通の一軒家。
家具も揃っている。
冷蔵庫にはちゃんと食べ物だってある。
「ウキウキで……戻ったってことは、気持ちよく勝ったんだね」とテンティ。
「おう。楽しいゲームだったぜ。いやぁ、苺ちゃんのあの顔、見せたかったなぁ」
「……いいなぁ」テンティが言う。「ところで、ファントムは戻らないの?」
「どうかな? あいつは正体もバレてねーし、しばらく遊ぶんじゃね?」
俺はヘイズとファントムヘイズを使い分けている。
大きな意味はない。
ヘイズは俺個人を指し、ファントムヘイズは俺と相棒を指す。
それだけのこと。
俺はただの一度も、ファントムヘイズが1人だなんて言ってない。
それから、俺はセーフハウスのリビングでソファに深く座って映画を鑑賞した。
テンティは俺の隣で眠っている。
ブラッドオレンジは結局現れなかったなぁ、とぼんやり考えた。
まぁ仕方ないか。
俺は割と素早く苺から逃げ切ったのだから。
ブラッドオレンジだって、俺が今どこにいるのか把握できないだろうし。
と、誰かの気配を感じた。
「ファントムか?」
俺は特に警戒もせずそう言った。
ここはセーフハウスだ。
安全だからセーフハウスなのだ。
まぁ、未来永劫ずっと安全が続くとは信じていないけれど。
「動いたら撃つわよ?」
その声を、俺は知っている。
「冗談だろ苺ちゃん。どうしてここが分かった? つーかよく侵入できたな?」
「侵入は別に難しくないわ。普通の民家だもの」
「だな。振り返っても?」
「どうぞ」
俺はゆっくりと立ち上がり、苺の方を見た。
苺は銃を構えている。
黒くて長い髪の毛に、整った顔立ち。
黒のパンツスーツで、ジャケットのボタンは全部外している。
年齢は20代後半といったところ。
控えめに表現して、かなりの美人。
苺は靴を履いていないが、室内なので当然だ。
俺は最初に会った時、ヒールで踏まれたいとか思ったっけなぁ。
もちろん冗談だけれど。
「あなたは完全に包囲されているわ、怪盗ヘイズ」苺が淡々と言う。「ウリエル、いえ、ファントムはあなたの逃走幇助で再逮捕したわ」
「マジかよ。なんでバレた?」
「簡単よ。まず第一に、追跡装置を外したことよ。あれは並のハッカーには外せないわ。外部の人間にちょっと見せて外せるような代物じゃないのよヘイズ」
「知ってるさ。だから先に潜入させたんだ」
「そうでしょうね。ウリエルレベルなら、研究すれば外せるわね。つまり、ウリエルも私と遊ぶためにわざと捕まったってこと。でも、それが命取りになったわ」
「なるほど」と俺は苦笑い。
外さなければいけない追跡装置を外したせいで追い詰められたのだ。
「第二に、あなた飛び降りる時に言ったわよね? ヘイズには無理だ、って」苺がニヤッと笑う。「あなた、前からヘイズとファントムヘイズを使い分けてたでしょ? だから、もう1人の可能性に辿り着けた」
俺は何も言わなかった。
正直、俺は苺を少し舐めていたかもしれない。
いや、もちろん俺は俺の敵に苺を選んだのだから、油断や慢心はない。
ただ、ここまで推理できるか?
ここまで他人の心が読めるものか?
俺の想定以上に、秋口苺が強かったのだ。
「このセーフハウスの場所は、ウリエルと取引したわ。罪には問わないし、また同じように一緒に働きましょうってね。2人とも」
「ってことは1人だな苺ちゃん」俺が言う。「まだ俺とウリエルを諦めてねー。なら部隊は連れてきてねぇよな? 穏便に済ませるためにも、な」
「ええ。でも、私の勝ちでしょう?」
苺は銃を下ろして、俺の方に歩み寄った。
「まぁな。正直、ここまで手強いとは思ってなかったぜ」
俺は肩を竦めた。
実に楽しかった。
敗北は気持ちいい。
ずっと勝ち続ける人生だったのだ。
こんな風に負かされるのは気分がいい。
「それじゃあプレゼントよ。手を出して」
苺が言ったので、俺は素直に右手を出した。
今度は追跡装置を腕に付けるのかな、とか考えた。
でも違っていた。
苺は俺の右掌にブラッドオレンジを載せた。
「そしてワタクシの勝ち」
苺はボイスチェンジャーで声を変えて言った。
「マジか!?」
さすがの俺も驚いた。
これは想定外だ。
完璧に想定外。
やっぱりあの電話は苺だったのだ。
チクショウ!
やられた!
チクショウ!
シャワーを浴びている音がしても、実際にシャワーを浴びているとは限らない。
チクショウ!
スマホを盗んでも、2台目がないとは限らない。
完膚なきまでに打ち負かされた!
とんでもねぇ!
こいつ、ガチでとんでもねぇ女だ。
やべぇ、惚れそう。
「あなたの心は奪えたみたいね」
苺はボイスチェンジャーを仕舞った。
「マジかよぉ、苺ちゃん、ずっと演技してたんだな? 本物のブラッドオレンジだよな?」
苺は自分で犯罪に走るタイプじゃない。
俺はそう判断した。
『そりゃ、今までの苺の言動が全部演技だというなら、その限りではないけれど』という注釈付きで。
そして、全部演技だったのだ。
最初から最後まで。
秋口苺は、史上最高の詐欺師ブラッドオレンジは、俺と遊ぶために完璧に演じきったのだ。
「どうかしら?」
苺はニッコリと笑った。
「このチームの立ち上げが、忙しかった別件だろ?」
苺がこの特別班を立ち上げるために奔走し始めたのが、約1年前。
ブラッドオレンジが鳴りを潜めた時期と一致する。
「どうかしら? あなたの心が欲しくてやっただけかも?」苺が言う。「さぁ、マンションに戻りましょう?」
あるいは、俺が苺をブラッドオレンジだと思うように思考を操った?
ああ、チクショウ!
沼るっ!
けど、まぁいいや、どっちでも。
この沼は果てしなく心地いい。
「ああ。そうだな」
俺は笑った。
悪くない。
本当、心からそう思う。
秋口苺と働くのは楽しい。
「……キスしないの?」
いつの間にか起きていたテンティが、俺たちの雰囲気を見て言った。
「しねーよ」と俺。
「今はね」と苺。
「いつかはするってか?」俺が言う。「いつから日本の捜査官は犯罪者とキスしてもいいってことに、なったんだ?」
「さぁ、前からいいんじゃない?」苺が笑顔を浮かべる。「そろそろ行きましょ」
苺が右手を差し出した。
俺はブラッドオレンジをテンティに手渡してから、苺の手を取った。
「明日からまた、一緒に犯罪者を追いましょうヘイズ。きっと楽しいわ」
「ああ、きっと楽しいだろうぜ」
end
ブラッドオレンジより愛を込めて ~秋口苺と怪盗ヘイズ~ 葉月双 @Sou-Hazuki
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