Steal・16 怪盗ヘイズになりたい少女


 部屋に入ってきた女の子は、黒髪をツインテールにまとめていた。

 服装は男の子みたいにラフな格好。

 女の子は部屋に入ってすぐ、俺に抱き付いた。


「おっと、テンティじゃねぇか。どうした?」

「……ヘイズに、会いたくて」

「そうか」


 俺はテンティの頭を撫でた。


「4回も逃走を試みたのよ、その子」


 入り口に立っている苺が言った。


「へぇ、それで連れてきたのか」

「ええ。あなたに会わせろってうるさいのよ。これ以上逃走ゴッコに付き合う気もないしね」

「ご苦労様」

「ええ。帰って寝るわ。また明日」


 苺はドアを閉めて、鍵をかけた。


「で? 用事は?」


 俺が言うと、テンティは俺から離れて畳の上に座った。


「……ヘイズ、私を売った?」

「おう」


 沈黙。

 テンティがジッと俺を見詰める。

 別に微表情を観察しているわけではない。

 テンティは苺と違って心理学を知らない。


「……クソヤロー……」


 テンティはボソッと言った。


「いいじゃねぇか。真っ当に生きるチャンスだぜ?」

「……児童相談所に連れて行かれる……」

「そうだな。けど、強制じゃねぇよ。この国はガキには甘いからな」


 だからこっちに連れてこられたわけだしな。

 テンティは余裕で14歳未満なのだから、何をしても犯罪ではないし、逮捕もされない。

 されるのは補導と指導、あとは保護だ。


「……私は、怪盗ヘイズになる……から」

「だったら、逃走は一度で成功させろ」

「わざと……だし」

「ああ、なるほど」


 俺は納得した。

 テンティは俺のところに来るために、わざと騒ぎを起こしたに過ぎない。

 本気で逃げようとしたわけじゃないのだ。

 俺に会いたいという要求を通すための手段だったのだ。

 実際、その手段は成功した。

 苺はテンティの逃走ゴッコにうんざりして俺に会わせたのだから。


「これから……どうするの?」

「前に話した通りさ。秋口苺と遊ぶ。ついでに、横槍を入れて来た爆殺トカゲを捕まえる」

「ふぅん……」

「なんだよ、ふぅんって」

「苺ちゃん……管理人っぽくない……。真面目そう」


「騙されんなって。苺ちゃんはファインズヘムトだ。それは間違いない。人間には別の面があるもんさ」

「……あんな痛いラブコール……気持ち悪くて、吐き気する……」

「それがいいんじゃねぇか。あの狂気に満ちた愛がいいんだ。俺を手放さないため、必死になってくれるだろうぜ」


 クククッと俺が笑う。


「……今日もきっと更新してる」


 そう言って、テンティはポケットからスマホを出して俺に渡した。


「これは?」

「苺ちゃんの……盗った」

「それは違うな」

「違う?」


 テンティが首を傾げた。


「盗ったんじゃなくて、盗らせてもらったんだ」


 苺が気付かないはずがない。

 テンティの技術は確かに一流に近いが、苺に通用するとは思えない。

 苺は俺が啓介から腕時計を盗ったことにも気付いたのだ。

 盗られた啓介が気付かなかったのに、だ。

 我ながら鮮やかな手際だったと思うのだが、それでも苺の目をごまかせなかった。


「……本当に?」

「ああ。これで電話なんかしたら、全部盗聴されるぜ? まぁ、ファンサイト見るぐらいならいいけど、他のことには使わない方がいい。使ってないよな?」

「うん……盗ったばかりだから」

「そうか、ならいい。それより、大切なことを言うぞ」


 俺は苺のスマホを操作して、ファンサイトを開いた。

 テンティは黙って俺の言葉を待っている。


「怪盗ファントムヘイズは苺の前から姿を消す。だが、お前は計画に含まれてねぇ。だから自分のタイミングで好きに逃げな。真っ当に生きる気がないのならな」

「私は……怪盗ヘイズになる」

「まぁよく考えろ」


 ファンサイトを開いて、新着を確認する。

 苺はすでに日記を更新していた。

 その内容は、いつもと変わらないラブコール。

 気が触れているかのような痛いラブコール。

 いかに自分が怪盗ファントムヘイズを愛しているか。


「相変わらず病んでるな」


 そして締めの文はこうだ。


『彼を手元に置くためなら、私は何でもするし、何にでもなる。たとえ、彼を殺すことになっても、彼の死体があれば満足だと思うから』



 翌朝、俺を迎えに来た苺は最初にこう言った。


「スマホ、ファンサイトを見る以外に使わないなら返して」


「やぁヘイズおはよう。気分はどう?」俺が言った。「ああ、いい朝だね。おはよう苺ちゃん」


「返して」


 苺が右手を伸ばすので、俺はスマホをその手に置いた。

 苺がスマホをポケットに仕舞い、テンティが目を擦りながら「……おは」と言った。


「さて、新しい書面はまだ届いてないけど、私の権限でここから出してあげるわ。爆殺トカゲを捕まえましょう」

「すごい権限だな」

「そうかしら? 私はもっと権限が欲しいわ。テンティはとりあえず、オフィスに連れて行きましょう。指紋もDNAも採取済みだから、ぶっちゃけ逃げてくれてもいいわ」


 世話するのが面倒になっているようだ。

 テンティの同意なく、テンティを児童相談所に連れて行くことはできない。

 苺としては、テンティをデータベースに登録できればそれで良かったのだろう。


「……いつ、盗ったの?」


 テンティはムクリと起き上がってから言った。


「指紋とDNA? そんなのいつでも採取できるわよ。ヘイズの弟子にしては、色々と甘いのよね。まぁ、ヘイズの方も採取済みだけど」

「だろうな」


 俺は局で色々なものに触っているから指紋を採取するのは簡単だ。

 DNAだって、髪の毛一本あれば事は足りるのだ。難しいことじゃない。


「とりあえず、さっさと顔を洗って歯を磨いて。オフィスに行くわよ」


 苺が急かすので、俺とテンティはそそくさと顔を洗って歯を磨いた。

 どうでもいいことだが、歯磨き粉がちょっと辛すぎる。

 備品を用意した奴のセンスを疑うね。



 オフィスに入った途端、啓介とウリエルに睨まれた。

 俺は愛想笑いを浮かべながら、自分のデスクに座った。


「ボス。本当にこいつが必要ですか?」


 啓介は酷くイライラした様子で言った。

 気持ちは分かる。

 俺のせいで散々無駄足を踏まされたのだから。

 詐欺事件の犯人である俺はずっとここにいた。

 俺がさっさと自白していれば、捜査はすぐに終わったのだ。

 まぁ、俺としては苺に捕まえて欲しかったので、自白なんかしないけれど。


「必要よ。怪盗ファントムヘイズの手際はいつだって鮮やか。そのスキルは絶対に役立つわ」

「しかし二回も捕まえたじゃないですか」


「そうね。でも、一回目は手加減してくれたし、ブラッドオレンジの模倣だって、私が辿り着けるようにしてくれていた。簡単ではないけれど、きちんと捜査すれば必ず辿り着けるように用意されていたの。鮮やかでしょ?」


「それでもオレは反対です。記録に残しておいてください。オレが反対したこと」

「分かったわ。他になければ、ミーティングを始めましょう」


 苺は自分のデスクに座る。

 何事もなかったかのように。

 テンティはオフィスに到着する前にさり気なく消えた。

 俺は当然気付いたし、苺だって気付いている。

 苺が何も言わないのは、自信があるからだろう。

 テンティを自由に泳がせても、俺を逃がさない自信。


 あるいは、俺がテンティを使わないと確信しているのかもしれない。

 テンティの実力は一流に近いが、言い返せばまだ一流のレベルではないということ。

 絶対的な経験値が不足している。

 つまり、テンティを使えばそこが綻びになる。

 正しくは、綻びになる可能性がある、だな。

 ブラッドオレンジの模倣では、あえて綻びを作った。

 でも今回はそういうわけには、いかない。

 これは真剣なゲームだから。

 ゲームってのは真剣に遊ぶから楽しいんだ。

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