Steal・5 サッと胸を触っておく


「まぁ、その指輪ってのが問題で、実は君にプロポーズした人はその指輪を本物のダイヤだと思わされて、50万円で購入したんだ。知ってた?」

「知らないよぉ」


 由加里は俺の顔を覗き込むようにして言った。


「本当に?」

「んー、でもぉ、高いんだって言ってた気がするかなぁ?」

「そうか。ありがとう」


 俺は立ち上がりながら由加里の肩を叩いた。


「失礼、お手洗いを借りたいんだが?」

「あ、あっち」


 由加里が指でトイレの方向を示した。


「ありがとう……おっと」


 俺は足がもつれてしまい、由加里に抱き付くように倒れ込んでしまった。


「え? ヘイズ酔ってるのぉ? 捜査官なのにぃ?」

「悪い悪い。足がもつれただけだ。酔ってない」


 俺はすぐに由加里から離れ、笑顔を浮かべた。

 どさくさに紛れて胸を触ったことは咎められなかった。

 気付かなかったのか、あるいは慣れているのか。

 俺はそそくさとトイレの中に引っ込んで、由加里のハンドバッグから拝借したスマホを立ち上げた。

 しかし使用するにはパスコードが必要だ。


 当然、俺はパスコードなんて知らない。

 だからポケットを漁り、事前に渡されていた掌サイズの器機をスマホに繋ぐ。

 そうすると、スマホのデータがその小さな器機に丸ごとコピーされる。

 器機の細長いディスプレイに、ステータスバーが出て、ちょっとずつパーセンテージが上がっていく。

 思ったより遅い。


 これ、俺、大きい方って設定になるな。

 まぁいいか。

 ちなみにこの器機は自前の物ではない。

 苺に渡されていたのだ。

 怪しいと思う人物がいたら、スマホを借りてデータを盗んでおいてくれ、と。

 たぶんこの器機を作ったのはウリエルだろう。


 あるいは、情報局の通常装備。

 どっちにしても違法だ。

 まぁ、情報局のメインは諜報活動だから、盗聴や盗撮は日常茶飯事なのだろう。

 その証拠に、苺にはまったく罪の意識がない。

 もちろん俺にもないが。

 俺は便器に腰掛けて、コピーが終わるのを待った。

 由加里は嘘を吐いている。


 俺に心は読めないが、女が嘘を吐く時の仕草ぐらい分かる。

 男は嘘を吐く時、大抵は目を逸らすのだが、女は真っ直ぐに目を見て嘘を吐く。

 由加里は「知らない」と言った時、わざわざ俺の目が見えるように覗き込んだ。

 たぶん無意識の仕草なのだが、それがスマホを拝借しようと決めた理由だ。

 コピーが終わったので、俺は器機をポケットに仕舞い、スマホを手の中に隠してトイレを出た。

 席に戻ると、苺が由加里に何かしらの質問をしていた。


「あ、ヘイズ。お客さんなら、お手ふき渡すんだけどぉ、別にいいよね?」

「ああ、いらない。それよりちょっと立って」

「え?」

「立って」

「あ、うん……」


 由加里は戸惑いながら立ち上がる。

 その時に、ハンドバッグはソファに置いた。

 俺は左手で由加里を抱き寄せ、右手でスマホを苺に投げた。


「ちょっとヘイズ、そういうのNGの店だから」

「硬いこと言うなよ。俺は捜査官だぜ? 味方にした方がいいと思わないか?」

「え? ゆかりの味方になってくれるのぉ?」


 由加里が驚いた風に目を丸くした。


「ヘイズはコンサルタントであって、捜査官じゃないわ。それと、捜査中にバカなことしないで。今回だけは見逃してあげるけど、次は上に報告するわよ」


 由加里のスマホをハンドバッグに戻し終えた苺が俺を睨む。


「ははっ、ジョークだよ、ジョーク」


 俺は由加里を解放し、耳元で「オフの時に来る」と囁いた。


「さぁ、もう十分だから帰るわよ。ご協力どうも」


 苺が立ち上がり、そのままスタスタと入り口まで歩いて行った。


「あの人、超感じ悪い」


 ムスッとした表情で由加里が言った。


「エリートってのはあんなもんさ。俺は感じ良かったろ?」

「うん。また来てね。オフの時に」

「おう」


 俺は微笑み、軽く手を振ってから小走りで苺に追いついた。

 そして畳一枚分のエレベーターに乗って一階まで降りてビルを出る。

 道を歩きながら苺が言う。


「隠し事があるわね」

「俺には隠し事しかねぇよ」

「あなたじゃない。遠藤由加里」

「分かったのか?」

「心が読めるって言ったでしょ? あなたがちゃんと気付いてくれて良かったわ。私がスマホ盗るわけにはいかないもの」


「でもスマホ返すのに協力したろ? 苺ちゃんはなかなか筋がいいぜ?」

「そんなこと知らないわ。覚え違いじゃない? あなたが勝手に盗って、勝手に返したの」

「まぁそういうことにしてもいいが、苺ちゃんを捜査官にしとくのは勿体ないな。失業したら俺と組もうぜ」

「ご冗談を」


 苺は終始、無表情だった。

 完全なポーカーフェイス。

 苺の心を読むのは難しそうだ。

 まぁ、俺は元々、心理学なんてものに興味はないのだが。


「ところでさ、あの器機、ウリエルに渡せばいいのか?」

「私が預かって、明日ウリエルに渡す。今日はもう直帰しましょう。ウリエルも、もう一人の捜査官もたぶん帰ってるでしょうし」

「俺はどこに帰ればいいんだ?」


 器機を苺に手渡しながら言った。


「私のマンション」

「一緒に住むのか?」

「冗談でしょ? 私の右隣の部屋よ。左隣にはウリエルの部屋もある。いい? 夜は部屋から出ないこと。マンションに着いたら私のスマホと追跡装置を連動させるから」

「連動すると、どうなるんだ?」

「私のスマホから500メートル以上離れると警報が鳴る」

「警報が鳴ると、どうなる?」

「監視チームがあなたを捕まえて、契約違反の罰則を与える。以上」


 そういえば、そんな風なことが契約書に記されていたような気がする。


「俺に自由はないのか?」

「あるわけないでしょ? あなたは怪盗ファントム・ヘイズ。自由にさせたら何するか分からないじゃない。でも」


 苺がキーレスを操作して車のドアロックを解除した。

 俺たちはいつの間にか、有料パーキングまで戻っていた。


「でも?」

「信頼関係を築くことができれば、ある程度は融通してあげるわ。ウリエルにはそうしてるもの」


 苺は駐車番号を確認し、精算機で料金を支払った。

 当然、領収書も発行していた。


「信頼関係ねぇ」

「まぁ、かなり先の話よ」

「だろうな」


 俺たちは車に乗り込んだ。

 苺が車をパーキングから出して、しばらく走ってから非難するような口調で言う。


「ところで、遠藤由加里の胸はどうだったの?」


 触ったのがバレていた。

 よく気付いたもんだ。

 観察力が優れている。

 こりゃ、思ったより難易度の高いゲームだ。

 苺から逃げ切ることができるのか、できないのか。

 そういうゲーム。

 もちろん、この事件を解決したあとの話だが。



 翌日。


「なぁ苺ちゃん、部屋に何もないんだが?」


 苺の横顔を見ると、今日は髪の毛をヘアピンで留めているので、左耳が見えていた。

 これはささやかなオシャレなのだろうか。


「家具は揃ってたでしょ? あと、冷蔵庫に水が入ってたはずよ」

「ああ。キンキンに冷えた水だけが入ってたな。せめてコーヒーぐらいは飲ませてくれよ」


 俺は車の助手席に乗っていて、苺は運転している。

 後部座席でウリエルがノートパソコンをカタカタといじっている。

 俺たちは三人揃って出勤中。

 朝の八時から仕事を始めるなんてバカげている。

 誰だよ、八時五時を基準にした奴。

 何か盗んで困らせてやりたいね。


「コーヒーなら、局の休憩室で飲めるわ。各部署にあるから、着いたら案内してあげる」

「そりゃご親切にどうも」

「うまいぞ。局のコーヒー」


 ウリエルが話に入ってきた。

 俺が朝の挨拶をした時は完全に無視したくせに。


「つーか、ウリエルって何歳だよ? 18? もしかして17?」

「20ですぅ。バーカバーカ」

「本当か?」

「そうよ。あなたと違って身元割れてるから。あなたの身元も割れるといいのだけど」

「ダイヤ割る方が簡単だぜ、きっと」

「そうそう、ダイヤよね。ウリエル、何か掴めた?」


「んー、製造先と販売元が分かったぞぉ。あの指輪はネット通販でしか売られてないから、ここ一ヶ月の購入者リストを入手したけど、大量購入した人はいなーい」

「そう。だったら被害者は一人だけかもしれないわね。局に着いたらプリントアウトしておいて。知った名前がないか確認しておくわ」

「知った名前があったら事件解決だな」


 被害者と関わりのある人物なら、そいつが犯人。

 あるいは、犯人に繋がる。

 どちらにしても事件は解決する。


「そうね。一応これ、解析しておいて」


 苺は運転しながら昨日の器機をウリエルに渡した。

 ウリエルは早速、その器機をノートパソコンに繋いだ。


「なぁ、ウリエルっていつもパソコン触ってんの?」

「触らなきゃ死ぬビョーキなんだよ、あたしは」


 そりゃ難儀なことで。

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