絵とイチョウと大好きな君
ヒペリ
絵とイチョウと大好きな君
「
「動けよ」
白いカーテン。白い壁。白いベッド。
点滴パックから流れる液は、ポタ、ポタ、と不規則に落ちている。
その腕から視線を上に上げると、栗色の瞳、それと同じ色をした髪をした少年と目が合った。
「えぇ……。病弱な俺の体をいたわって」
「へいへい」
不満そうな顔をする少年は、
顔にかかる長髪をはらいながら、仕方なくとってきたものを永翔にわたした。
永翔は嬉しそうに受け取り、それを開いて絵を描き始める。
「ほんと好きだね、絵描くこと。そのスケッチブックだって、いつのよ。ボロボロ」
「あ~、いつだったかな。小四のときじゃねぇ?」
(五年前……)
永翔が倒れたのは、三年前だった。
中学入学したてのころ。絵の描きすぎで、からだを壊してしまった。栄養失調、とでも言うのだろうか。父親が絵にきびしい人で、毎日何時間も描いていて、ときにはご飯を食べないときもあったらしい。
そんな生活をおくっていたら、体が先に悲鳴をあげた。
それから、ずっと入院している。栄養失調だけなら、そんなに長く入院する必要はなかった。
でも、発見されたのだ。発見してしまった。
正体不明の病気を。
風邪だったら、よかった。寝てたら治る。
ガンでも、治療法はある。早期発見で、助かる確率はぐんとあがる。
でも、正体不明の病気は、どうしようもできない。軽いか重いかも、治療法も、わからない。
なんでそんなものが永翔についてるの。そんな風に、周りは病気を恨んだ。
永翔は、笑ったままだった。
「……永翔、なにかいてんの?」
ふとスケッチブックをのぞきこもうとすると、パッと隠される。
軽くにらむと、永翔はおどけた顔して笑った。
「まだ秘密~。完成したらな」
はぁ、とため息をつく。中三にもなるというのに、永翔の幼さは消えない。顔からも、性格からも。でも、たまに大人びた顔になる。それが、すごくこわい。永翔がどこか違うところの違う人になりそうで。
永翔は真剣な顔に戻ると、また絵を描き始めた。少々近すぎるのではないか、と感じるほどスケッチブックに顔を近づけているのを見ると、見ているこちらが痛くなってくる。
別に、永翔自信もとから目が悪いわけじゃなかった。でも、視力が下がってきているのだ、ここ最近。
お医者さんが言うには、「正体不明の病気の影響では」とのこと。
あの病気が永翔の世界さえも奪っているのだと思うと、心底腹がたった。
ふと、永翔の邪魔にならないように外へ出ることを決める。
「ひまだし、ちょっと外出てくるね」
「え、ちょ、えぇ……」
なぜ残念がるのか。
疑問に思ったが、それは一瞬にして脳から消え去る。ひらひらと手をふって、病室を出た。
病院内の中庭へ出ると、大きく息を吸った。
外の空気と部屋の中の空気はおおちがい。けしていごこちが悪いわけではないけど、こっちの方が開放感を感じる。
(あとで永翔の部屋も窓を開けてあげよう)
そんなことを考えながら、歩く。ふと庭でひときわ大きなイチョウに目をとめた。
10~12月に黄色く紅葉する葉が特徴的な、木。ぎんなんなんかもなるから、匂いが特徴的だけど。
木言葉は……なんて言ったっけ。よく覚えてない。なにか、とても素敵なやつだったけど。
「永翔は、この木好きだよな……」
もしかしたら、さっき描いてた絵はこの木なのかもしれない。
完成が楽しみだ、なんて笑っていたら、突然キイッという音が耳をつんざく。
耳をおさえて音がした方を見ると、一台の車からバタバタと飛び出してくる、見慣れた顔があった。
「……おじさん?」
永翔のお父さん。いつもの厳格で冷静な表情は消え失せ、見たこともないような焦った顔をしている。なんだろう、嫌な予感がする。
おじさんは私の存在に気づき、あわててこっちへかけよってきた。
はぁはぁと息をもらす姿に、ゆっくり声をかけた。
「おじさん、大丈夫? なにかあったの?」
「……永翔が。永翔の容態が急に悪化したらしい」
「え……?」
本当に、頭が真っ白になることなんてあるんだ。
そんなのんきなことを考えながら、震えた声をしぼりだす。
「そ、そん、な。だ、だって、さっきまで私も部屋にいて……」
「僕も、たった今連絡がきたんだ。永翔は手術室だ。急ごう」
二人して早足で手術室まで向かう。
にぎった手のなかでしめる汗と、どうしようもなく早鐘を打つ心臓。
それが余計に足をはやめさせた。
看護師としてここに務めている永翔のお母さんは、先に手術室前に立っていた。
一緒に立っていた医師とともにこちらに気づくと、顔をさらにこわばらせる。
「あなた。……楓ちゃんも」
「おばさん、永翔の容態は? 今、どんな状況なんですか?」
矢継ぎ早に質問すると、となりにいた医師がスッと前に出る。
「永翔君は、極めて危険な状況だ。手術に入るが、成功するかも、わからない……」
「そんな」
意味もないのに、私は医師をにらみつけた。理不尽きわまりない。でも、行き場のない恐怖と、怒りとが混ざり合ったにらみだったことは、見ていなくてもわかった。
中にいる永翔の様子は、外からは見えない。でも、なんとなく想像はできて。
それで余計にこの場にいたくなくなった。
病院では走ってはいけない。
そんなルールを無視して、永翔のいた病室に駆け込む。
息きれきれに、永翔のスケッチブックを手に取った。ぱらり、とページをめくる。
一番最後。一番最後の絵は……。
「これだ……ッ!」
その絵が目に飛び込んできた瞬間、ぐっと息がつまる。
私だった。
絵の外をのぞきこむようにこっちを見ている私。手には、スケッチブックを持っていた。絵はぎりぎりで完成させたのか、最後の線と思われる線は、ふるえていた。
なぜそこまでして、この絵を完成させようとしたのだろう。
もう、終わりだ。なんてことが、わかっていたのだろうか。
そう考えた瞬間、じわりと涙がにじんだ。その場にうずくまり、スケッチブックをそっとかかえる。
「好きだ……っ」
うん、好きなんだ。永翔のこと。
だいぶ前から自覚してたことだけど、いざ声に出すとさらに気持ちがはっきりする。
それと同時に、〈死〉というものが今、永翔のどれだけ近くにいるのかがわかる。
目をつぶり、少しの間思い出した。永翔との思い出。永翔を好きだと気づいた瞬間。まだイチョウの木が青々とした新葉をつけていたころ。
「永翔っ……! 栄養失調って聞いたけど、大丈夫なの⁉」
中学生の春。学校帰りに、なかば取り乱し気味に病室へ入ると、いつも通りのけろっと顔をした永翔がひらひらと手をふっていた。
「おぉ~、凪沙。この通りよ。大丈夫……かどうかはわからんな」
「なによそれ……。まぁでも、重症じゃなくてよかった」
ほっと胸をなでおろすと、永翔はにっと笑って外を指さす。
「見てみろよ、あのイチョウ。でっかくねぇ? 木言葉がさ、『聡明』とか『復活』とかなんだって。俺のこと応援してくれてんのかなー」
「へぇ、木言葉なんてあるんだ。……そうかもね。聡明はどうかわかんないけど」
「えっ、えぇ……。そうか……?」
しょぼくれた顔して、永翔はうつむく。そのあと、二人で顔を見合わせて笑った。
まだそのときは、危機感がなかった。永翔はもうちょっとしたら戻ってくるって。
そう、思ってた。
「正体不明……? 本当なの?」
突然、永翔から告げられた言葉にがくぜんとした。またいつもの冗談かと思った。そうであってほしかった。
でも、永翔の真剣な顔を見てその考えは打ち消した。
私までだまりこむと、永翔は軽い笑いを浮かべる。
「まぁ、そんな暗くなんなよ。もしかしたら、めっちゃ軽い病気かもしれねぇじゃん?」」
「……」
何も言えなかった。重かったらどうするの? なんでそんな笑えてるの?
責めの言葉ばっかり浮かんだけれど、口が開かない。
まだだまっていると、永翔がギイ、とベッドを立った。そのまま、こちらに歩く。
うつむいたままの頭に、そっと手が乗る。顔を上げると、永翔はどことなく大人びた優しい表情をしていた。
「大丈夫だから」
その一言で、気づいた。
あぁ私は、この人のことが好きなんだ。
死んでほしくない。いなくなってほしくない。大切な人。
元気なとこも、明るい笑顔も、真剣に絵をかく表情も、ときどき見せる大人びた優しい表情も。
全部全部、大好き。
そっと目を閉じると、私はにこっと笑った。
「そうだね」
それからずっと、がまんしてた。
告白できる場面なんて山ほどあったけど。言えない。言ったら、いけない。
そんな思いがうずまいて、なかなか声が出せなかった。
永翔の命に保障はない。おじさんやおばさんだって、大変な思いをしてる。
そんなときに、私が思いを告げてどうする? 困らせるだけだ。
だから、言えなかった。
「……描こう」
さいわい、絵は苦手じゃない。永翔ほどじゃなくても、そこそこは描ける。
描こう。永翔が好きと言っていた、あの木を。
「俺ね、あの黄色い葉が好き。キレイでしょ?」
イチョウの木。
永翔が言っていなかった、もう一つの木言葉は。
『あなたは何度でも立ち上がる』
大丈夫。永翔を信じよう。
そんで、手術が終わって。永翔が目を覚ましたら。
このイチョウの木を、見せつけてやろう。
そう考えると、自然と笑みがこぼれる。
私は誰に向けてでもなく、深くうなずいた。
一心不乱に手を、目を動かす。
でも、楽しかった。手が、鉛筆が、一つの腕のように。動いて、動いて。
永翔も、こんな気持ちだったんだな。
ふと、だれが開けたのか、窓からそよ風がふきこむ。同時に、イチョウの木もゆれる。
金色に輝いた葉が、波のように動いて。たった一言、こぼした。
「キレイ……」
どれだけ時間がたっただろう。
窓から見えるイチョウの木。スケッチブックをかかげ、汗だくの顔でふっと笑みをこぼした。
「よし」
スケッチブックをかかえると、病室を出る。
早足で、軽い足取りで、手術室前に向かった。おじさんが私に気づくと、こっちへかけよってくる。
「楓ちゃん。今、ちょうど手術が終わったんだ」
「本当ですか?」
おばさんと医師がこちらに向き、私を見つめる。
おばさんは無言で手術室のランプを指さした。『手術中』というランプが消えている。
終わったのだ。そう、終わった。
「ドア、あきますよ」
ドアの向こうから、声がした。
その場一同、ごくりと息をのむ。私も、スケッチブックをにぎりしめた。
ギイ、とあいたドアに向かって、私は叫んだ。
「永翔!」
絵とイチョウと大好きな君 ヒペリ @hiperi
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