第7話

「レティシアなら知ってるかな。クレイ将軍のこと」


「はい。お知り合いだったんですか?」


「俺を孤児院に預けたのがクレイ将軍らしいんだ」


「え?」


「両親を亡くした俺をクレイ将軍には育てられないという理由で、孤児院に預けてくれたらしい。つまり血の繋がりはないんだ」


「そうだったんですか」


「育てられないのはよくわかるよ。近衛隊の将軍だ。小さな子供を育てている余裕なんてなかっただろうし、クレイ将軍は生涯独身だったから尚更だよな」


「そうですね。お親しかったのですか?」


「あー。剣術は叩き込まれたかな?」


 だから、アベルは見かけより逞しいのかと思って、レティシアは赤くなる。


 アベルは顔つきだけなら美青年で通るし、荒事とは縁がなさそうだが、実際には少々の戦闘なら軽く勝ってしまうくらいの腕前の持ち主だ。


 腕力もあって腕力自慢の男を倒してしまうほど。


 初めてそんな一面を目にしたときは、あまりに外見と似合っていないので(おまけに職業は吟遊詩人だし尚更だ)ビックリした覚えがある。


「アベルさんは将軍を慕われていたのですか?」


「……今はね」


「今は?」


「小さい頃は俺の両親を知っているはずのクレイ将軍が、俺にはなにひとつ教えてくれないことで、よく対立していたから」


「アベルさん」


「両親の名を知りたくてケンカになったこともあった。どうして教えてくれないんだって」


 アベルの素性を知る唯一の人。


 なのに彼はアベルにはなにも教えてくれなかったのだ。


 別に大層な望みを持っていたわけじゃない。


 ただ普通に両親の名を訊ねただけだ。


 亡くなっているのだから知ったところで意味はない。


 アベルはそう思って問いただしたが、将軍が教えてくれることは遂になかった。


 一時は恨んで反発もした。


 でも、将軍は死ぬまでアベルのことは見放さなかった。


「ズルいよなあ。死なれてしまったら、いつまでも恨めない」


「アベルさん」


「今はこれでよかったと思ってる。俺は自分の境遇を不遇だとも不幸だとも思ってないから」


 そう言ってアベルは地面に座り込むと竪琴を奏でだした。


 クレイ将軍が好きだった歌を歌い出す。


 レティシアは目を閉じてその歌声に聞き入った。





 娘を連れて馴染みの将軍の墓に向かっていたケルトは、ふと眉を寄せる。


「この歌声は……」


「素敵な歌声。まるで天使のよう」


 レイティアはうっとりと目を細める。


「天使、か。兄上が聞いたら、なんて思ったかな」


「どういう意味ですか、お父さま?」


「いや。兄上の歌声にそっくりだから、ついな」


 苦笑する父が伯父を思い出していることがわかるので、レイティアは口を噤むしかなかった。


 やがて目の前に広がった光景にケルトは息を呑んだ。


「兄上」


 若かりし頃の兄がそこにいる。


 地面に座り込んで昔よく歌ってくれた歌を歌っている。


「あら? アベル様……?」


 レイティアの呼び声にアベルがふっと顔をあげる。


 同時に竪琴の音も消え歌声も途切れた。


「姉様っ。お父さままでっ」


 レティシアが驚愕の声を出す。


 アベルは慌てて立ち上がった。


「ということは王様? おいおい。冗談だろ」


 呟く声も兄によく似ている。


 記憶の中の兄そのままの姿にそのままの声。


 歌声まで同じ。


 そんな偶然あるのだろうか。


 夏だというのに彼は長袖を着ている。


 ケルトのように。


 汗ばんだその服の下に腕輪らしい物を隠しているのがうっすらと見える。


 確かめたい。


 そんな衝動に駆られていた。


「レティ。元気にしていたか?」


 アベルを視界に入れながら、ケルトはそう言った。


 レティシアは嬉しそうに頷く。


「お父さまはどうしてここへ?」


「クレイに報告したいことがあって墓参りにきたんだが、まさか先客がいるとは思わなかったな。クレイとはどういう関係だ?」


 アベルは答えられなかったが、レティシアがさっき聞いたばかりの、彼の生い立ちについて父王に話して聞かせた。


「クレイから本当になにも聞いていないのか?」


「教えてくれなかったんだ。それをどうしろって?」


「いや。嫌味ではないんだが。名は?」


「……アベル」


 答えるまでに間が空いたことに気づいて、ケルトはアベルの空色の瞳を覗き込んだ。


「本当の名は別にあるのだろう?」


「……」


「お父さま?」


「どういうことですか?」


 娘たちの問いかける声にケルトは、自分の推測を打ち明けた。


「おそらくアベルというのは通称だ。彼には本当の名は別にある」


 それはケルトの体験からくる確信だった。


 疑っていることが事実なら、彼は自分の本当の名は知っているはずである。


 腕輪に刻まれるからだ。


 持ち主の名が。


 持ち主が代わる度に刻まれる真実の名。


 それだけはごまかしがきかない。


 アベルはそっぽを向いていたが、レティシアとレイティアの問いかける視線に負けて打ち明けた。


「アルベルト・オリオン・サークル。俺が知っているのはそれだけだ」


 名付けからして、やはり普通の身分ではなかったらしいと、レイティアは納得する。


 ケルトは今聞いたばかりの名を口の中で繰り返した。


(アルベルト・オリオン・サークル。それが略称だとしたら、おそらく続くのはディアン。正式名はアルベルト・オリオン・サークル・ディアン)


 世継ぎはサードまで名付けられるのが決まり。


 彼の名付けが、それに従っているとしたら間違いない。


 彼は兄の、前王の世継ぎなのだ。


 後は腕輪を確認できれば動きようもあるのだが。


「何故名を隠していた?」


「平民には聞こえない名付けだし、普段名乗るには目立ちすぎるからって……クレイ将軍がアベルと名乗れって」


(つまりクレイは知っていたわけだ。彼が兄上の子であると。いや。もしや世継ぎと承知で王都に匿ったのか? 彼を護るために)


 孤児院に預けたのも、その後何度も様子を見にきていたのも、そして何度問われても両親の名を教えられなかったのも、彼が兄王の子だとしたら不思議ではないのだ。


 彼が孤児院に引き取られたのが15年前だとすると、当時はケルトが即位したばかりだが、前王は賢王で知られていたので、その名が知られていないということは考えられない。


 つまり素性を知らずに育っていようと、彼には両親の名は言えないということになるのだ。


 言ってしまえばそれが前国王であると彼にもわかるだろうから。


 彼が育ってきた背景はすべて彼が生来の世継ぎであることを示している。


 まさか彼を預けたのがクレイ将軍だとは。


 謀叛と受け取るのは簡単だが、この場合、兄に忠誠を誓っていたクレイ将軍だ。


 彼の身を護るために匿ったと見るべきだろう。


 そのくらい当時の政争は酷かったから。


 3歳の幼子など簡単に殺されてしまう。


 なにしろ彼は賢王と言われた前王の嫡男。


 その血筋の正統性と父王の偉大さ故に、彼を疎ましく思う者はきっと少なくない。


(3歳か。幼いな。そんなに幼ければ街に避難させるのも無理はない。クレイらしいというべきか)


 堅物と言われていたクレイは、王家に対する忠誠も半端ではなく、それ故にケルトも彼を信頼し身辺警護を任せていたくらいだ。


 それだけに兄王の子供の存在を隠していたのが事実なら、感心もするが反面、教えてほしかったとも思う。


 すべてを墓の中に持っていくのは、やはり反則だと感じてしまうものだ。


 もしだれも気づかなかったら、どうするつもりだったのだろう?


 この現状ならその確率も高かっただろうに。


「レイから聞いたが、それは見事な腕輪をしているそうだな?」


 突っ込まれたくないことを突っ込まれ、アベルは答えに詰まる。


「わたしですら持てないだろうという腕輪に興味がある。一度見せてはくれまいか?」


「……悪いけどこの腕輪は人様にお見せするような代物ではないんです。王様のご命令でも従えない」


 そっぽを向いたまま、アベルは素っ気なく言い放つ。

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