Hide and Seek in Sakae (限定公開)

塚田誠二

1 序章

 夏目柊二なつめしゅうじは低い唸り声をあげた。

 両肘を机につき、額に両手を添えて瞳を閉じた。これは彼が悩んだ時に決まって取るポーズだ。

 新作のアイデアがなかなか浮かばない。彼は自分で漫画を描くことを趣味にしていて、最近煮詰まってしまうことが多いのだ。

 七月十日。愛知県名古屋市にある公立春田高校では、夏休み直前の定期テストが終了し、授業も残す所あとわずかだ。

 生徒は夏休みを前に浮足立ち、勉強どころではない。今日は夏日だというのに、元気のいい若者たちはそわそわと騒がしい。

 三時間目の授業の開始のチャイムが鳴った。

 教卓側のドアが横に開き、古典担当の岸和田きしわだが登壇した。表情は毎度おなじみのしかめっ面である。

「今からビンゴ大会やるよー」強面が一気に和らいだ顔に変化していた。

「ええーっ!」ほぼ全ての生徒たちはまず驚きの顔で目を丸くし、すぐに喜びの顔を浮かべた。中には怪しむ者もいた。岸和田がそんな遊びを授業でしたことなどこれまでに一度もないのだ。

「先生、マジで?」教室の生徒たちがざわつく。喜びを表現するため甲高い雄叫びのような声を出す男もいる。

「はい、静かにしなさい!」岸和田は出席簿を教卓に叩きつけた。

「先生、景品はあるんですか?」

「もちろんだ。一位と二位でビンゴした生徒には、東京ディズニーシーの無料入場券をプレゼントする」

「おおーっ、すげええー」

「先生、太っ腹」

「よっしゃああ、俺絶対ビンゴしてやる」

 教室中が一層ざわつき始めた。男女ともディズニーには弱い。岸和田がこれほどまで生徒に声を出させるのを許可するのは、これが初めてだ。

 おいおい、教師が金目の物を生徒に渡していいのか、と柊二は思う。

 しかし漫画のアイデアを箇条書きにしていたノートを引き出しにしまった。勝負事全般には負けず嫌いな性格で、ビンゴといえどスイッチが入った。他の生徒と同じように景品にも目を引いた。

 柊二は名古屋市中川区に住む高校三年生。彼が通うこの高校は、自宅から自転車で十五分の場所にある。JR春田が自宅からの最寄駅だ。卒業した中学校も徒歩五分圏内の距離にある公立校だった。

 柊二の顔を一言でいうとイケメンということになる。鼻筋は通っていて、彫の深い端正な顔立ちだ。髪の毛は全体的に十五センチほどに伸びていて、軽い天然パーマが特徴だ。


「夏目君って、かっこいいよね」

「キャー、こっち向いてー」

 中学の頃、いわゆるアイドル顔の柊二は、女子から幾度となくもてはやされた。芸能人がいるかのように噂が立ち、クラスにこっそり見に来る女子もいた。

「誰? あの天然パーマ、かっこよくない?」

「夏目、夏目柊二。かっこいいのに、それをひけらかそうとしないの。それがまたいいのよねえ――」

 そんな声が聞こえても、柊二は知らん顔をした。

 女子からは評判が良かったものの男子からは冷たい目で見られがちだったからだ。妬まれて恨まれていたのだ。

「夏目っているだろ。あいつ、女子からモテるからって調子乗ってるんじゃねえか」

「確かにな、あいつかっこつけてるよな」

 もちろんモテる男子は男子生徒の間では人気がないものなのだ。

 うるせえなあ、俺はそんなの求めてねえ――。

 彼自身は見た目だけの人気を嫌った。見た目で格好をつけたり、女子に愛想を振りまくような真似は一度もしたことはなかった。

 それを貫き通していると、しだいに彼の冷めた表情は、男女両方の声を遠ざけていった。


「5番」岸和田がビンゴの球の入った球体を回し、出てきた球の番号を大声で読み上げる。

「おお、俺あるよ」

「ちっ、6番ならあったのになあ」

 序盤から生徒たちは思い切りはしゃいでいた。もちろんその原動力はディズニーシーの入園券獲得にある。

「23番」

「88番」

 柊二は黒目勝ちになっていた。カードがスムーズに埋まっていき、今の所全てクリアされているからだ。しかも最上段に横三つが並び、あと一つでリーチだ。

「45番」

 ちっ。はじめて番号が見当たらない。

「92番」

 はっとした。五つめの番号で、リーチがかかった。

 よしよしと期待が膨らんだ。しかし当たるわけないか、番号は一〇〇個もあるのだから、と冷静に考えて興奮を抑えようとした。

「72番」

「んっ――」柊二の目がカード最上段の左右を何度か走った。

「ビンゴ!」柊二は勢いよく席から立ち上がった。椅子が後ろに引きずられ、大きな音を立てて後ろのしんえいすけの机の先に当たった。

「ちっ」英介は柊二に向かって舌打ちした。

 英介は柊二とは中学から同じ学校に通っている。背丈は柊二よりわずかに高く百八十センチだ。短い髪をワックスで逆立てている。性格はわかりやすい熱血漢タイプだ。根っからの体育会系で、水泳部に所属し自由形では県内トップクラスの実力者だ。

 さらに体を鍛えることに余念がない。腹筋をシックスパックに分けようと筋肉トレーニングに日夜励んでいる。目的は単純に女子にモテるためだ。かつて可愛くて気になっていた女子が、むきむきな人に死ぬほど抱きしめられたいわあ、と言っていたのを今でも真に受けているのだ。

 しかし体が仕上がってきつつあるものの全く女子からモテない。他に問題があることに気づかないのだ。英介を一言で言い表すと、運動神経の良いエロガキということになる。

 俺もリーチなのに――。よりによってこいつかよ――。

 前に堂々と立つ柊二に、心の中で毒づいた。

「夏目君、それじゃあこちらに来て」岸和田が柊二に教卓まで来るように言った。

「私もビンゴしました」

「えっ」声の主に生徒たちの視線が集中した。

 最後列の真ん中の席のはや久美くみが立ち上がった。

「おい、まじかよ」

「もうディズニー終わりかよ……」

「なんで、あいつなのよお」久美を嫌う女子は、当の本人にもわかる声で言った。

「逸水さんもね。こちらに来てね」

 久美は静かに椅子を机の下に入れて、すでに柊二のいる教卓へと歩いた。

 久美は気の強い女子だ。柊二と英介とは同じ中学出身で、何度も同じクラスメイトになっている。

 身なりは髪は肩までかかるほどで短め。身長は百六十センチ程で女子としては高い方ではない。いたずら好きな大きな瞳に下ろした前髪がかかりそうだ。あまりしゃべらないので、クラスメイトからはよくわからない女として位置づけられている。しかし学力はトップクラスで頭がきれる。

 時折寂しそうな顔を見せるのはなぜなのか――。

「カードを見せて。出た番号しか押してないか、チェックするから」

 柊二はそんなことするかよ、と思いながらカードを渡した。

 柊二を見て久美も渡した。

「うん、OK。二人ともおめでとう。ちょうど二枚あって良かったね」岸和田が二人にディズニーシーの入園券を手渡した。

 二人は軽く頭を下げた。

「はい、二人に拍手!」

 ちらちらと、愛情のこもらない拍手が鳴る。

 久美は唇を引き締めて柊二を上目遣いした。

 そんなことに目もくれず柊二は席に戻り、久美も自分の席に戻った。

「先生、次の景品はなにー?」

「ジャンボ海水プール無料入場券だ」

 ジャンボ海水プールは伊勢湾沿いに位置する巨大海水プールで、日本でも最大規模の大きさを誇る。お盆には数万人の観客が入る。

「おお、すげえ。俺、まだやるぜ」

「私もプール行きたーい」生徒たちのやる気が復活した。

 ビンゴ大会が再開された。すぐに当選者は現れた。

「11番」

「ビンゴ!」英介は大声を出した。

 周りがざわつく。

 英介は気にせず、すぐに両手を上げながら岸和田の所まで歩いた。

 喜びを惜しげもなく顔に出した。彼自身大好きなプールで、小さい頃は家族と、そして中学になると柊二や友達とも遊びに行っていた。何より「ある事情」で、とても思い入れのあるプールなのだ――。

 それ以降も、番号は次々と呼ばれていった。景品は急激にランクが下がり、ポテトチップス、クッキー、飴玉といった菓子類が続いた。こうして授業は終了し、休み時間になった。

「夏目――」

 柊二は見上げた。久美がいたずらな表情を浮かべて見下ろしていた。

「んっ、どうした?」柊二は座ったまま言った。

「ねえ、ゲームしない?」

「はっ?」久美の顔を見たまま眉間に皺を寄せた。

「入園券、一枚じゃ面白くないでしょ。まさか一人で東京なんて行くつもりじゃあるまいし」

「確かに……。考えてみれば一枚じゃどうしようもないよな」

「それで、ゲームってわけ。勝った方が負けた方から入場券をもらう。どうよ」久美は胸を張って堂々と言い切った。

 いきなりドラマの役者みたいな台詞と表情を見せられて柊二は軽く噴いた。「ゲーム? どうしたんだよ、いきなり」

「まあ、いいじゃない」久美はにやにやしたままだ。

「それで、何やるんだ?」

「かくれんぼ」

「かくれんぼ?」

「そう、かくれんぼ。場所は栄。私が栄のある場所に隠れるの。それで夏目は私を探す。そうね――、期間は一日だけ。夕日が沈むまでに、私を見つけられなければ、あなたの券は私のもの」

 柊二はこの展開についていけない、というような渋い顔を示した。

「でも夏目が私を見つけられれば、この券はあんたのもの」久美はポケットから券を出しひらひらとさせた。

「……おお、なるほどな」柊二の顔が徐々に興味深いものを見る目へと変わっていく。

「なかなか面白そうだ。都会の人ごみに紛れるってか。なんかハリウッドのアクション映画にありそうで、わくわくするな」

「へへ、乗ってきたみたいね」

「それで、いつやるんだ? かくれんぼ」

「八月一日、木曜日。あっ、細かい範囲は後で連絡するね。栄っていったって広いからさ。そうね、昼休みを設けて一時間だけはお互い自由に移動してご飯食べていいってことにしよう。あとはかくれんぼだから、昼休み以外私は居場所を変えない。そうね、その日の午後六時をタイムリミットにしましょう。いいわね?」

「いいわね、ったってよ……。まあ、面白そうだしな。いいぜ。やるか――」柊二は腹を決めたようだ。

「でも何でそんなことするんだ。券を取り合うだけなら、じゃんけんとかでよくないか?」

「いいじゃん別に――。楽しそうだし」

 相変わらずわからないやつだ、と柊二は思う。

「待てよ! それ、俺も入れてくれよ!」

 柊二と久美が後ろを見た。英介が睨んでいる。どうやら、後ろの席で全て聞いていたようだ。

「今の話面白そうじゃん。俺も、夏目と一緒で探す側でやらせてくれよ」

「おい、真、ふざけるなよ。俺らはディズニーシーの券をかけて勝負するんだぜ。お前は券持ってないじゃないか」

「持ってる。この券をかける」英介は先ほどのジャンボ海水プールの券を見せた。

 しかし柊二は英介参戦には納得いかない様子だ。

「俺が逸水を見つけることができれば、お前らの二枚とも俺の物だ。ただし、夏目が逸水を見つけた場合、この券はお前のものだ」柊二にプール券を差し出すしぐさをした。

「そんで、逸水が見つからなければ、俺の券も逸水のもの。いいだろ?」

「おい、勝手に決めるなよ。プール券は俺らの物より価値が低いじゃねえか」柊二は食い下がった。

 いつの間にか腕を組んで下を向いていた久美が顔を上げた。

「わかったわ。いいわよ」久美は英介を見て言った。

「要は、勝った人が三枚のチケット全てを手に入れることができるってことね。単純でいいじゃない」

 しかし柊二は未だに不機嫌な顔だ。

「夏目。あんた男でしょ。びしっと気持ち切り替えなさいよ」

 柊二は母親に言われているような気がして背筋を伸ばし表情を戻した。

「どちらかが私を見つけるか、あるいは私が隠れきれるか、勝負よ」

 かくれんぼ決行はとんとん拍子で話が進んだ。

 柊二は仕方なく納得した。しかし栄に行くのも久しぶりだったし、サスペンスも味わえると想像すると、うきうきしてしだいに乗り気になっていった。

 その日から毎日、八月一日を楽しみにしていた。広い栄の都会の中で、人を探すという行為が探偵が謎解きをするかのように思えて、心を躍らせていた。

 しかしどうも腑に落ちないことがあった。なぜ逸水はこんな遊びをしたいと言い出したのか。もちろんこれまでに久美と一度も遊んだことなどなかったのだ。

 久美のいたずらな視線が思い浮かび、あいつは昔から不思議な奴だったか、と思うとそれ以上考えるのがばかばかしくなり止めた。

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