四十一話 灯香と諸刃
「……ん」
今は何時だろうか。体を起こしソファの縁に置いたスマホを手に取る。
「二時半……」
起きるにはあまりにも早すぎる時間だった。スマホを元の場所に置き再び横になる。眠気のストックは潤沢にあるので、目を閉じたらすぐに眠るだろう。
「……」
それから数分が経ち、眠気よりも先に尿意がやって来た。出来れば今すぐにでも寝たいけど、漏らす方が嫌だ。
思い瞼を僅かに擦りながらトイレへ急ぐ。
「……お、ああ。よしよし……」
トイレを終えリビングに戻ろうとした時、中からそんな声が聞こえて来た。声音は彼そのものだけど、口調に違和感がある。まるで別人のようなそんな話し方。
もしかしたら空き巣の可能性もあったけど、セキュリティに関しては信頼を置いている為、そんなことは絶対にない。
意を決し扉を開ける。
「あなた……誰?」
「ん?……あ」
そう聞くと、彼はゲーム機から顔を上げ間抜けな声を漏らした。
「……それで?あなたは誰?」
照明をつけ明るくなった部屋の中、ベッドの上で借りてきた猫のように大人しく正座する彼を見下ろすように私は仁王立ちをする。
「ははっー……。誰、だろうね……」
困ったように頬を掻きながら彼は逃げるように視線を明後日の方向へずらす。
「こんな怖いなんて聞いてないぞ、凪……!」
「何か言った?」
「あ、いえ……」
何か小さく言った気がしたけど、気のせいかしら。
「まあ、いいわ」
見れば見るほど凪くんなのに、話し方や口調、雰囲気が違うせいで、違和感があり、いつもの私が上手く出せない。
「あなたは誰?」
再度同じ質問を投げる。
「……し、篠町凪でーすっ♪」
瞬間、スマホの角で彼の頭を殴っていた。
「その見た目とその声で変なことしないで」
「正直、俺もキツかったから叩いてくれてありがとう……」
ベッドに顔を密着させたまま、彼は言う。
「次はないわよ」
「はい……」
頭頂部を摩りながら彼は顔を上げる。
「誰って言われてもな……。ああ、まあでも、ちょうどいいのか?」
何やら考え込んでいるのか彼は短く唸る。
「明日も早いの。早くして」
「分かった分かった。言うよ」
観念したように彼は両手を上げる。
「俺の名前は諸刃塔因。しがない刀鍛冶だ」
それを聞いた時、ふざけているのかと思った。けど、彼にそんな雰囲気はなく、嘘でも冗談でもないことをすぐに理解した。
「そう。それで、その刀鍛冶が何の用かしら?わざわざ人の体を乗っ取ってまで」
「乗っ取るっていうか……。はぁ、長ったらしい説明は嫌いだから簡単に言うぞ。俺はずっと前、お前が知りたがっていた奴だ。憶えてるだろ?」
「……嘘ならもう少しマシな、と言うところでしょうけど、ひとまずは信じるわ」
代表戦の後のことを知っている時点で嘘を付いていないことは明白だけど。
「よっしょっと」
「崩していいなんて言ってないけれど」
「限界なんだよ」
彼は「ははっ」と笑う。その笑顔は彼と同じなのね。……彼と同じ?笑顔が……彼と……?
「私、笑顔見たことない……?」
「ん~、どうした急に怪訝な顔して」
「ねえ、凪くんって私の前で笑ったことあったかしら?」
そう聞くと、彼はゲーム機から視線を外さないまま答える。
「記憶違いがなければないな。あいつは苦笑いばかり上手くなってるし」
「やっぱりそうよね……?もしかして私、嫌われてる……?」
だとしたら、どうしよう。
「そんなことねぇだろ」
「え……」
その言葉に顔を上げる。
「あいつは基本的に人を嫌いにならないし、ある程度のことには理解がある。それにもし仮に嫌いならここまで付き合わないだろ。あいつはただ、笑顔の出し方を忘れただけだ。そう気にすることでもない」
「……どうしてそんなこと言えるのよ」
その場凌ぎの言葉なんて聞きたくない。
「どうしてってそりゃ見て来たからな。あいつの在り方を」
「見て来たってどういうこと?」
「俺はあいつが見たものを見ることが出来る。記憶も然りだ。けど、俺が見たものや記憶はあいつに共有されない。試合が終わった後、あいつが辺りを見渡してたのはそういうことだ。と言うことは、つまりと言うことだな」
話し終えると、疲れたように息を吐き、彼は壁に背を預けた。
「そこまで聞いた覚えはないけれど」
「どっちみち聞くつもりだっただろ」
その通りだった。
「あなたと凪くんの関係についてもっと聞いてもいいかしら?」
「明日学校だろ。優等生が遅刻なんてちゃちな真似していいのか」
「好奇心に勝る立場なんてないのよ」
気になることをそのままにしておくのは嫌い。
「向ける方向間違ってるぞ」
「それでもいいわ。私が満足のいく話を聞かせて」
「凪はとんでもないのを傍に置いたな」
諦めたように小さく笑いながら彼は語り始めた。ここに至るまでのことを。
「……って感じだな」
「それで全部かしら?」
「俺が言えるところは全部言った。後はあいつに聞いてくれ」
そこら辺の線引きはしっかりしているのね。
「そういや気になってたんだけどよ」
「何かしら?」
「お前、何であいつのことあなたって呼んでんだ?」
その質問に言葉が詰まる。
「仮にも恋人同士なら名前で呼び合うのが普通だろ?あいつも少なからず気にしてたし。お前こそ嫌いなんじゃないか?」
「違うわ……!」
自分でも驚くほどに大きな声が出た。
「それは違うわ。私は凪くんのこと一度として嫌いになったことないもの」
「ふぅん。まあ、事情はどうあれ、独りよがりになるなよ。あいつは表に出さないようにしてるだけだからな」
静かな部屋にボタンやスティックの音が響く。
「……しいのよ」
「ん?」
「恥ずかしいのよ……。今まで彼氏なんて出来たことなかったもの」
頬が熱を帯びていくのが分かる。
「あいつだって恥ずかしかったんじゃないか?無理矢理名前呼ばされてたし。自分は良くてあいつはダメ、なんて都合良すぎだろ」
彼は嘲笑混じりに言う。
「それは……」
正論を衝かれ返す言葉に迷う。
「間違っても俺に謝る、なんて真似はするなよ。頭下げるなら本人の前でやれ」
「……っ」
先回りされた。心が読まれているような、隠しごとが通じないような恐怖を感じる。
「冷めた。もう寝る」
彼はゲーム機を枕元に放り投げこちらに背を向けたままベッドに横になる。
「……ありがとう」
「あ?」
「あなたのお陰で凪くんについて色々と知れたわ。自分の嫌な部分にもね」
「そ。よかったな」
彼はそっけなく返し布団を体にかけた。
「……俺と話したことあいつには内緒にしといてくれ。面倒事は嫌いなんだ」
「ええ、分かったわ」
ほどなくして規則的な寝息が聞こえて来た。
「随分と話し込んでしまったわね」
スマホを見ると時刻は四時近く。今から寝ても一度制服を取りに寮に帰ったり、朝食の準備をしたりしなきゃならないからせいぜい二時間程度しか寝れないだろう。
「アラーム大目にかけてっと」
五分ごとに鳴るようにして三つに増やした。
「……これくらいいいわよね」
そっとソファから下り凪くんが寝ているベッドへ歩いて行く。
「ふふっ」
そうしてカシャッと写真を撮る。音が鳴るのは予想外だったが、起きる気配はなく、ホッと胸を撫で下ろす。
「少し暗いわね」
それでもよく撮れてる。
「おやすみ」
スマホをソファの縁に置き、目を閉じる。眠気のストックはまだあったようだ。
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