第35話 罪の残り香

「ダン、大丈夫ですか?」

「このくらい問題ないさ」


 肌が焼ける経験なんて何度もしてきた。それにしてもあんな強火直火焼きは初めてだが、耐えられない痛みじゃない。


 瑠璃の心の傷の方が心配なくらいだった。だが、闇魔法に覚醒していると気付いてしまった以上、聞かなきゃいけないことがある。


「瑠璃、お前はどうしたい? 魔法を捨てるのか、犯罪者でも魔法使いとして生きたいのか」


 たとえまだ心が決まっていなくても、闇魔法に覚醒すれば必ず選択しなければならない命題。瑠璃がどちらを選んでも俺は否定するつもりはなかった。


「ボクにはよくわかりません。力があればヒーローになれると思っていました。でもそれは結局魔法しかなくて。覚醒してしまったボクにはもう闇魔法しか残ってないんです」


「もし闇魔法を捨てるなら、ここから出してもらえるだろう。水原家の娘なら魔法界の末席にはいれるはずだ」


「そのくらいわかってます。でもボクには決められない。父や兄の姿をずっと見てきたんです。自分に与えられた力を他人のために使える姿にボクは憧れていたんです。

 その魔法を失ったら、ボクには誰かにしてあげられることなんて何もないんじゃないかって」


 壁の向こう側の瑠璃の顔は見えない。でも悲痛すぎる声がどんな顔をしているかをはっきりと伝えていた。


 俺が闇魔法に覚醒した時、きっとその時の俺と同じ顔をしているんだ。


 あの時、俺はもう陽の当たる場所で人助けなんてできないと知った。なんでも屋なんて看板にすがりついて、自分は誰かの役に立っていると自分を騙し続けてきた。


 でも今なら、誰でもない瑠璃の役に立ってやることはできる。


「お前がまだ闇魔法を捨てられないって言うなら、俺がここからお前を連れ出してやる。自分で決められるようになるまで守ってやる」


 依頼でもなく、罪滅ぼしでもなく。俺が瑠璃のためにしてやりたいから。


「でもどうやって?」

「それは、今から考える」

「ふふっ。でもありがとうございます」


 雨上がりに咲いた花のような笑い声で、瑠璃はまだ何もしていない俺に感謝した。

 やると言ったはいいが、作戦は皆無だった。言ってしまった言葉はもう飲み込めないし、撤回するつもりもないが闇魔法を無効化する聖魔法であらゆるものが保護された空間では、鉄格子が切れないのはもちろん、傷一つつけられない。


 こうなると俺は一般男性よりちょっと運動神経がよくて格闘術に覚えがある程度だ。素手でコンクリートや鉄を砕けるようにはできていない。


「ダンでもこの壁って壊せないんですか?」

「あぁ。聖魔法はあらゆる闇魔法を無効化する。闇魔法じゃなきゃ透輝でも琥珀でも簡単に壊せるだろうな」


「透輝、これ壊してください!」

「呼んだってこんなところに透輝が来るわけないだろ」


 覚醒した事実と閉じ込められた事実。そして迫られる選択。瑠璃は完全に冷静さを失っている。


「うーん。さすがに瑠璃の頼みでも壊すのはマズいかなぁ」


 作ったような声が聞こえる。俺は格子の隙間に顔をねじ込ませるようにして、片目で瑠璃の牢屋の前の廊下をなんとか視界に入れた。


「なんでいるんだよ!」


「瑠璃を助けにきたんだ。瑠璃は幸いまだ犯罪行為に手を染めていない。今からでも闇魔法を捨てればうまく無罪放免に持っていける。だから来たんだ。でも、お前まで助ける気はない」


「好きにしろ。今ならお前のやりたかった復讐も叶うぞ。俺を殺したかったんだろ?」


 フン、と鼻を鳴らして挑発すると、仮面を剥がして怒りを帯びた顔をした透輝が俺の牢屋の前に立った。


「自分の罪が何だったか理解した?」

「あぁ、全部わかった」


 透輝が俺に復讐したかったこと。それは瑠璃を女にしたこと。涼春の言葉を借りれば、瑠璃を一度殺したこと。


「言い訳はしない。だが、俺は闇魔法使いだ。許しを請う意味もない。殺したけりゃ好きにしな。ただ、死ぬ前になんで俺の残り香を知っていたのかは聞いておきたいがな」


 透輝はポケットに入れていた手を俺に向ける。ゆっくりと手を開くと、そこには俺を殺すための魔法ではなく、あの髪留めが乗せられていた。


「これは瑠璃がくれたものなんだ。縁日の輪投げで天河様に何度もねだって挑戦して。まだ三歳だったんだよ。その頃から瑠璃は自分より他人のためっていう子だった。私の初恋だった」


 涙は流さなくとも透輝の表情は今にも決壊しそうだった。それでも声を震わせるでもなく、気丈に話を続けていく。


「誘拐があった日、私も琥珀も覚醒前で瑠璃を助けに行くことができなかった。魔法使いが助けてくれたって瑠璃が言っていたって聞いて、嬉しかった。それなのに、帰ってきた瑠璃はもう私の初恋の男の子じゃなくなっていた

 無意味だと思っても八つ当たりせずにはいられなかったよ。だからこの髪飾りで瑠璃の手を刺したんだ」


「あ、なんかすごく痛かったのだけ覚えてます!」


 瑠璃の声が隣から聞こえてくる。今自分が元は男だと聞いた割には元気そうだ。元々瑠璃は反転リバースの魔法を受ける前の記憶がないらしいから、他人事のように感じているのかもしれない。


「ってか告白同然だがいいのか?」


「昔のことだから。話が逸れたね。それでも瑠璃との大切な思い出だからずっと持っていたんだ。そして、私が魔法に覚醒した六年前、ここに残った魔力の残り香に気付いたんだ」


「なるほど。血に残っていたのか」


 反転リバースの魔法は体内に魔法を送り込んで作用する。シックスのような高位の魔法使いに残り香がバレないようにするためだ。だが、それゆえに全身に送り届けるために血管を通ることになる。そこに魔力の残り香がついていたのだ。

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