第26話 シックスから受け継いだもの

 俺がこの隠れ家にいた頃の昔話をするのを、シックスは時々笑いをこらえるようにしながら聞いていた。


「言いたいことがあるならはっきり言えよ」

「うーん、一通りダンが思っていたことを聞いたからいいわ」


 もったいぶるように弄んでいたリンゴジャムのふたを開けると、シックスは指をつっこんでついてきたジャムを真っ赤な舌で舐めとる。そのままコーヒーを流し込んで、俺を見つめた。


「私、ダンが男だって気付いてたわよ」

「はぁ!?」


 またコーヒーを吹き出すところだった。すんでのところで抑え込んで、大きく深呼吸をする。十数年ぶりにあっていきなり明かされる事実としてはあまりにも重すぎる。今まで俺が語った過去の苦労話は全部俺が一人で勝手にやってたことだっていうのかよ。


「じゃあなんで助けたりしたんだ?」

「たぶん、今のダンと同じ気持ちだったんじゃない?」


 シックスは急に真面目な顔をして、俺の鼻をつついた。


「闇魔法使いとして生きるのは辛いことよ。それでも生きていたいと思う子がいたら自分と同じ苦しみを味わう必要なんてない。少しでも楽にしてあげたいと思うものよ」


 あの子、闇魔法に覚醒しているわね、とシックスははっきりと言い放った。シックスは俺の魔法の残り香を知っている。シックスほどの高位の魔法使いになれば、俺が上書きしたはずの微細な瑠璃の魔法の残り香もわかってしまうということか。


「あなたは優しい子だから。絶対にあの子を自分と同じ目に遭わせたくないんでしょ。だったらやれるだけのことは精一杯やりなさい」

「俺の親みたいな口振りだな」


「そうよ。私はあなたのママだって言ったじゃない。毎日ダンのために魔法の教科書を作るの大変だったんだから」

「あのノートも俺に読ませるために書いてたのかよ」


 シックスは肯定する代わりにいたずらっぽく微笑む。俺の幼い頃の苦労が、ただの仕組まれたお遊戯だったと露呈していく。本当に死と隣り合わせだと思っていたのに、ただ手のひらの上で踊らされていただけだなんて。


「そうそう。初めてのオリジナル魔法がまさか自分を女の子にする魔法だなんて思わなかったわ。あの時は嬉しくなっちゃって。ついついいろんなものプレゼントしてあげちゃったのよね」


「俺の、俺の努力は何だったんだ。わかってたから、俺の魔法の名前も変えられないようにノートに書いてやがったのか」


「いいでしょ? 私が三日かけて考えてあげたんだから。今でもちゃんと使ってくれてるわよね?」

「おかげさまで。恥ずかしがらずに言えるようになったよ」


 嫌味たっぷりに言葉を返す。


 俺が多用する三種の魔法。

 邪血吼穿刃ブラッディ・ファング闇獄烈火惨インフェルノ・ドライバー縛牙武影葬トライデント・ハーデス

 名前を付けたのはシックスだ。


 ノート通りに魔法を練習して後からアレンジしたら、なぜか術式で名前の変更がロックされていた。未だに解除はできないし、これより優秀なオリジナル魔法も作れないせいでずっと使っている。最初は魔法を詠唱するのも恥ずかしかったが、だんだんと体に馴染んでしまった。


「そうやって育ててあげたのに、何も言わずに出て行ったときは寂しかったわ」

「そんな殊勝な性格じゃないだろ」


「私にとって、あなたは最初で最後。たった一人の愛弟子まなでしよ」

「おもちゃの言い間違いじゃないのか? 


 十年振りにそう呼んだ。俺のひねくれた答えにシックスは満足そうに笑顔を浮かべて、テーブルセットを飛び越えて俺に抱きついた。


「本当に可愛げがなくて、無愛想な弟子なんだからー」

「だからやめろってその無駄にデカいモノを押し付けるな!」


「困ったことがあったらいつでも助けにいってあげるからねー」

「わかった。わかったから離れろ!」


 ようやく窒息の危機から解放される。胃から飲んだばかりのコーヒーが逆流してきそうな気分だ。


「今日は楽しかったわ。ダンのなんでも屋がずっと閉業中って聞いて探していたの。四秀家の中にいたなんて思わなかった。でも無事でいてくれて本当に良かった」

「闇魔法使いなんてそんなもんさ。明日には道端で野垂れ死んだり、警察に殺されたりするかもしれない」

「だから、そうなる前に私を頼りなさい。今でも私はあなたの師匠なんだから」


 シックスはまた俺の頭をなでる。彼女にとっての俺はいつまでも弱くてかわいい弟子のままだ。だが今は、少しだけそれに甘えてもいいと思えた。こんな俺でも金も契約もなくとも信頼してくれる仲間がいる。きっと師匠もそういう関係だったのだ。


 コーヒーカップの片付けだけして、俺は隠れ家から元の通学路の上に戻される。振り返っても真っ暗なアスファルトの道がまっすぐ続いているだけだった。ただ胸の中にある気持ちだけは本物だと確信して、俺は待ってくれている人がいる家へと向かって歩き出した。


「まさか師匠に男だってバレてたとはな。後から気付いて俺を狙ってくるだろうと思ってたのに」


 冷静に考えればわかったことだ。十年もあればあのシックスが俺を見つけられないわけがない。逃げ出す必要なんてそもそもなかったのだ。


「もしそうだとしたら、いや、仮定の話はいらないか」


 俺はずっとあの隠れ家でシックスの弟子をしていただろうか。いつかやっぱり出ていっていたような気がする。

 安全で不自由な幸福なんて、闇魔法使いには似合わない。


「あ、瑠璃に接触していたのか調べればよかった」


 瑠璃を覚醒させた原因。シックスがそれに関わっているかもしれない。その疑念も相手のペースに飲まれてしまった。信じていたいという気持ちはある。俺は結論を先延ばしにして、帰る場所に向かっていく。

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