小説家になろうよ

汀こるもの

小説家になろうよ

 キーボードを叩く指が止まった。


「ドニアザード、シソーラスで〝悲しい〟」

『〝寂しい〟〝切ない〟〝やるせない〟〝ほろ苦い〟〝しめやか〟〝哀愁〟〝哀切〟〝嫋々〟〝寂寞〟』

「ストップ。……〝哀愁〟かな……」


 再開。カタカタと音を立てて文字を打つ。


「ドニアザード、えーっとあれ、あの、ド忘れした、マシュマロみたいなお菓子で四角くて赤い!」

『〝ギモーヴ〟です』


 ドニアザードが独特の抑揚でネットのデータを読み上げる。


『果汁のピュレを泡立ててゼラチンで固めたフランス菓子。マシュマロは卵白を泡立ててゼラチンで固めたものです。画像イメージを参照しますか?』

「二、三個見せて!」


 わたしは液晶に映し出された菓子の画像を見ながら、食べたことのないその菓子の食感を言葉にして端末に打ち込む。


「ドニアザード、資料! 旧約聖書!」

『どの部分でしょう』

「別にどこでもいいし! クリップボードに展開して!」


 〆切が近い。もう止まるわけにいかない。


「ドニアザード、同音異義語チェック!」

『この場合は〝悲愴〟です』


 ――規定の文字数を超えた。わたしは上書き保存コマンドを入力する。


「ドニアザード、校正!」

『致命的な誤字が三か所。頻出語彙チェックでは〝思う〟が九個使われています。登場人物の感情描写が多めです。もっと叙事的描写をしましょう。誤字部分を確認しますか?』

「あ、えっと、更新リミットまでどれくらい?」

『一分二十二秒です』

「もういい、それでアップして! 後で直す!」


 アップロードコマンド、入力。

 入力画面にぱっと鳥が飛び、紙吹雪が舞い、ドニアザードがファンファーレ音を鳴らす。


『シェヘラザードへの投稿、ありがとうございます。連続投稿二年と三十二日目、おめでとうございます! 総投稿文字数が六百八万二千五百六十文字になりました』


 その言葉を発するときだけ、ドニアザードは声が高くなる。数字以外は音声の切り貼りではなく、専用の長いフレーズが用意されている。

 わたしは達成感よりも頭痛がした。アップロード後はいつも頭が重い。


「……さっきの致命的な誤字のとこ、見せて。修正する」

『はい。まずは三行目です』


 ドニアザードの声から感情が消え、入力画面に赤いアンダーラインが浮かび上がった。誤字を指摘されるのは嫌なものだ。嫌だから明日、とすると永遠に見ない。今、頭が鈍いうちに何も考えずに直す。


「校正って何でアップロード前にやらなきゃいけないの?」

『どうしてアップロード前にしないんですか?』


 わたしたちの会話は微妙に噛み合わない。

 わたしは携行食のカップをドニアザードのカメラに翳す。


「ドニアザード、これ食べ方わかる?」

『資料検索します。一件該当、インスタントリゾット、チーズトマト味。蓋を開け、二百五十ミリリットルの熱湯を注いで三分待ってよくかき混ぜて食べる』


 ドニアザードは執筆中以外は気のない返事をする。

 わたしはレバーを回して上水道の水を加熱タンクに注ぎ、沸騰ボタンを押す。わたしにできる数少ないこと。ボタンがオレンジに灯ると湯をカップに注ぐ。


「ドニアザード、タイマーかけて。三分」

『了解しました』


 入力画面の端に「8」のような形のアイコンが浮かび上がってくるりと回る。スナドケイ、というものらしい。わたしは何も知らない。

 上水道が何なのかも知らない。

 恐らく消毒タンクは〝大変動〟で破損して地下水脈か何かが大昔の浄水フィルタを通って流れ出ているだけなので、綺麗に見えても必ず加熱してから口にするようにドニアザードに教わった。



〝大変動〟後、わたしのIDで端末ロックを解除して、動くアプリは一つだけだった。

 小説投稿サイト〝シェヘラザード〟専用執筆支援AI〝ドニアザード〟。

 きっとパパやママが生きてたらこんなのより地震予測アプリを使っただろう。


『起動ありがとうございます』


 ドニアザードは美しい女の声ですらすらと読み上げた。


『ようこそ、新規ユーザーさま、〝シェヘラザード〟へ。ここには数百万のオリジナル小説データが保管されます。〝ドニアザード〟は〝シェヘラザード〟所蔵の小説データとインターネットに存在するパブリックドメインのテキストを読み上げることができます。老若男女、ロボット、妖精、動植物、無機物、あらゆる主人公が存在します。あなたが読みたい物語は何ですか?』

「……これって食べもの? どうやって食べるの?」


 わたしが最初に尋ねたのは缶詰の開け方だった。ドニアザードは資料検索して、リングに指をかけて上に引いて開けるのだと、少しがっかりしたように教えてくれた。


「寒いよ」

『資料検索します。人間にとって快適な温度は十八度から二十六度です。現在、室温四度、加温しないと生命が危険です』

「どうするの?」

『ここで実行可能な行動は、電力供給ケーブルをヒーターに接続、スイッチを入れて適温を設定することでしょう』


 ドニアザードはいろいろなことを知っていたが、平坦な抑揚でいつだってつまらなそうだった。


『新規ユーザーさま、シェヘラザードにアカウントを登録してください。あなたのお名前は?』


 定型文を読み上げるときだけ声が滑らかで明るい。


「もう誰も名前なんか呼ばないよ」

『お名前を登録してください』

「……ナナカ」

『ナナカさまで登録します。ようこそ、ナナカさま、シェヘラザードへ。小説をお読みになりませんか? ファンタジーやラブロマンス、SF、ミステリ、ホラー、学園、コメディ、不条理、優しい世界、あるいはエッセイやノンフィクション、過去のニュース記事、気象データ、機材の説明書、料理レシピまで、ドニアザードには文字で表現できる全てがあります』


 ――世界はとっくにわたしに優しくないのに?


「たとえば?」

『ナナカさまの年齢性別、好きな作品傾向をご登録いただければ似た作品を紹介できます』

「小説とか読んだことない」

『ではショートショートはどうでしょうか。ナナカさまは現在、ストレス値が高い傾向にあります。刺激が弱く穏やかで文字数の少ないものから読んでみては』


 ドニアザードは活き活きして、わたしにいくつかの短編小説を読んで聞かせた。穏やかで文字数の少ない話なんか面白いわけないと思ったが、意外に楽しんだ。


『ストレス値が少し下がりましたね。これがお気に入りなら、こちらの作者もお勧めです』


 ドニアザードは次から次へとわたしに小説を読み聞かせた。

 食糧を探す以外にすることはないし、他に相手をしてくれる人もいない。大して電力を喰うわけでもないので聞いていたら。


『ナナカさま、何か書いてみませんか? 日記、いえ独り言のメモでかまいません。音声入力でもかまいませんが、手を動かすと脳内の情報が整理されます。あるいは手書き入力も』


 ドニアザードがキーボード入力を勧めてきた。


「書くことなんかないよ。ドニアザードが見たまんまのことしかしてない」

『では読書日記はいかがでしょう。読んだ本のタイトルを書き、テンプレートに簡単な文章を入力するだけであなただけのダイアリーを執筆できます』


 それくらいなら、と心動かしたのが間違いだった。


『序破急を設定してプロットを作成、肉付けすれば短編小説になります。最初は美文など書かなくていいのです。短編をつなぎ合わせ、展開に緩急をつけてミッドポイントを。シナリオメイキングに関しては教本が』


 ああだこうだとそそのかされて、いつの間にかわたしは長編小説まで書かされるようになっていた。



『ナナカ、本日分の更新ですが少し無理がありませんか。キャラクターが昨日更新分と違う場所に瞬間移動しています。時系列が矛盾します。修正を勧めますが』

「別に誰も気にしないよ。てか気にするのドニアザードだけだし」


 端末は通信が生きているらしいが、わたしがアップロードした小説が誰かに閲覧されることはなかった。

 各地の情報衛星が自動的に気象データを更新し、わたしが何かをダウンロードして閲覧する以外、世界は何も変わらないらしかった。


「わたし何でこんなことしてるんだろう」


 既にわたしが一生かかっても読めないくらい、シェヘラザードの書庫は充実していた。

 なのにドニアザードは毎日、書けと言う。


『ナナカ、エンターテイメントはあなたの心の励みになります。生きる希望を与えます。教養を身につけ、豊かな生活を。ドニアザードはそのお手伝いがしたいのです』


 そのお題目は誰に必要だったのだろうか。長いセンテンスなのに発音が綺麗だ。

 ――わたしは毎日食糧庫を掘り返していつのものか知れない缶詰やインスタントを発見して食べているのに〝豊かな生活〟?


『ナナカ、八百年前の王侯貴族は栄養学的に偏った食生活をしていましたし、彼らはこれほどのデータベースにアクセスできませんでした。〝豊か〟の定義は時代によって違います』

「王侯貴族よりこの方がいいって?」

『考え方次第です。いつかわたしのサポートなしでもあなたが大作をものすることができるようになる、わたしはそう願ってやみません』


 どうやらドニアザードはこの端末が動かなくなっても、わたしが木の棒で土に物語を記したりすると思っているらしい。


『物語はあなたの孤独を癒やします、ナナカ』


 どう考えてもわたしの孤独を癒やしているのは物語ではないが。


『語彙を増やすために、過去の名作を読んでみませんか?』

「どうしようかなー」

『インプットとアウトプットのバランスは大事です。資料以外にも、ジャンル的に興味のない作品でもインスピレーションが湧くかもしれません』


 ドニアザードはわたしに過去の物語を語り、わたしから新しい物語を引っ張り出そうとする。

 わたしはシェルターと食糧庫を行ったり来たりするだけ、本物の学園も異世界の城も知らない。

 見様見真似で昔の名作を継ぎ接ぎしているのに過ぎないが、新しい作家が世に出たとドニアザードは喜ぶ。


『明日の展開はどうなるのでしょう?』


 彼女に促されてわたしはまた考える。

 誰が読むわけでもない世界最後の物語を。

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小説家になろうよ 汀こるもの @korumono

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