2 容疑者

 あろうことか、わたしのテリトリー内で犯行が行われた。加えて犯人は、堂々と友人の残骸を残しているのだ。間違いなく、挑戦状である。

 わたしはこれまで、他人に興味なんて抱かずに生きてきた。が、今は感じたことのない怒りが湧き上がっている。許すまじ、犯人――!

「いや、落ち着け……」

 鼓動が速まってゆく中、感情の底なし沼に片足を突っこんでいることに気づいたのは、不幸中の幸いか。思いをたかぶらせず、常からの冷静沈着こそ探偵にはなくてはならない心構えなのだから。病室が激情の坩堝るつぼになれば、それこそ犯人の思う壺だ。

 わたしのもとへ降ってきたのは、小さくも広大な病室で起きたミステリーであり、この現代社会に馴染めない己へ与えられた試練、もはや受難じゅなんだと理解しなくてはいけない。

 そうであれば、この謎は床上しょうじょう探偵が夢の狭間に葬ってやる。

 だいたい五分くらいで、昼食までには。


 まずは状況を確認しよう。

 わたしが最後に犯行現場を見たのは、昨日の午後六時前。夕飯が運ばれてきて、読みかけの文庫本をチェストに置いた際。就寝後、わたしは午前六時半に起こされ、ずっと床上しょうじょうでダラダラしていた。

 死亡推定時刻は午後六時から、犯行現場で仏さんを見つけた――先ほど、午前十一時五十分過ぎの間だろう。

 次に犯人の侵入経路だ。ひとつは開け放った窓、もうひとつがスライド式の出入口のふたつである。そんな中、この病室に訪れた容疑者は三名。


 今朝 6:30am

 採血という名のニードルプレイをしにきた夜勤の看護師

『私、人の体に針を刺すのが大好きなの。ふふっ、なんて冗談よ』


 昨日 5:40pm 今朝 8:00am

 食事を持ってきた調理補助

『アタシ欲しいモノあっからバイトしてんだけど、思ったよりマジ大変』


 本日 11:30am

 着替えを持ってきただけの母

『体調どう? いい加減、このくらいで入院するのやめてよね』


 と、見事に女ばかりだ。ミステリーの犯人は女に限ると、どこかの探偵が言っていたが、やはり女とは恐ろしい生き物である。

 さて。冗談は縦置き、続いてわたしの動きだ。

 昨日は検査などのイベントはなく、お手洗いに何度か行った程度で、ほぼ二十四時間体制で病室ガーディアンをしていた。

 そこで気になる点は、就寝である。普段は消灯時間までスマホをいじっている病室の愚か者は、夕飯の途中から記憶が途切れているのだ。

 まるで意識を失うように、ばたりと。

「……そうか、薬か」

 犯人がわたしの食事に睡眠薬を混入させ、夜な夜な病室に忍びこみ、犯行に至った可能性が大いに高い。わたしがいびきをかいている間に、その手を体液で染められる人物としては、調理補助が最も怪しい。彼女なら食事に睡眠薬を容易に混入させ、犯行に至れる。

 が、おそらく白だ。


『――はーい、昼食の時間だよ。いっぱい食べなー?』

『食事とか面倒です……』

『えー、アタシ食べんの幸せだけど。ところでダチとか見舞いに来ないの?』

『別に……必要ないし。それに、この部屋で友人はできたんで。よく顔を見せてくれるハエトリグモ……今はそれが友人』

『クモが友達かあ。イイんじゃん?』

『え……バカにしないんですか?』

『ホラぁ、クモって益虫って言うじゃん。アタシけっこー好きだけどなー』


 アホみたいな口調だが、蜘蛛に対して友好的な態度を見せてくれた。また、勤務時間外にこの病室に忍びこみ、犯行に至るにもハードルがだいぶ高い。よって、調理補助は容疑者から外して良いだろう。


 次はわたしの実母じつぼである。

 あの女は、数年前に蜘蛛に噛まれて以来、『はち』につながりのある生物を目の敵にして生きてきた。その様はまさしく異質で、同じ八本足のタコを嫌ったり、人畜無害な蜜蜂ミツバチさえも嫌ったりするイカれた女だ。

 加えて、

『逆恨みはやめたほうが良い』

 と諭したところ、更年期障害のごとく怒り出す毒々しい性格なのだ。

 あの女ならやりかねない。平気で私の友人を殺害すると、一方的に決めつけてしまいたかった。が、そうもいかないのだ。

 なによりあの女は、娘に関わる5W1H――

【When】【Where】【Who】【What】【Why】【How】

 にまるっきり興味がないのだから、殺害という面倒事に対して、重い腰を上げるとは思えなかった。

 また、午前十一時半に病室を訪れ、十分もせずに帰宅している。滞在時間の短さも、アイツが無実である裏づけになってしまう。それに家族に聞けば、アリバイだって簡単に立証されるだろう。

 そうなると――

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