はるのくも

常陸乃ひかる

1 事件

 友達とはなんだろう?

 学校で毎日顔を合わせるアイツら――関連度 ★★☆☆☆

 上辺で褒め合うだけのフォロワー――関連度 ★★★★☆

 家族の境目のなくなった親、兄弟――関連度 ★☆☆☆☆

 あるいは、もっと別の次元にある偶像ぐうぞうか。


 目線の先。

 窓の外に見えるのは、日によってわずかに色を変える気まぐれなそらだ。手を伸ばしても絶対に届かない、虚しすぎる広大なそらである。

 広すぎると言えば、わたしが寝ている小さい個室も、虚弱体質にとっては充分『広大』だった。不意にてのひらを見つめて、力強く握ってみる。しばらくしてそれを開くと、爪の跡が薄く四つ残って変色した。

 現在わたしは、風邪を引いたあと肺炎をこじらせて絶賛入院中である。基礎疾患があるわけではないわたしに対し、皆は口を揃えてこう言う。


『病は気から』


 と、赤と黄の特売POPくらいひんのないフォントで、何度も何度も――

 何日か寝ていればそのうち退院できるが、ちょっとしたことでまた入院するのだ。無意義なタスクを繰り返しているうちに、気づけば中学三年生の春になっていた。

「はぁ……」


 青春なんて幻想である。明るい将来なんて考えるだけで億劫だった。

 自暴自棄じぼうじきさえ感じ、日陰道を歩き続けるわたしだったが、突如『友達』という存在が現れ、少しばかり人生に光が差したのだ。

 その友人というのは、全身が薄いベージュで、体の前部――頭胸部とうきょうぶから、体の後部――腹部の左右に、二本の黒い筋が縦方向に入った、体長1cmにも満たないハエトリグモである。

 そのオシャンティーハエトリをスマホで調べたところ、

茶筋蠅取チャスジハエトリ

 のオスと、見てくれが一致した。

 その日から、わたしはチャスジハエトリを――彼を一方的に友人と認め、窓辺をせっせと移動したり、壁に張りついたり、差し出した人差し指に威嚇してきたりする、愛らしい姿を眺めては癒されるようになった。


 春雨が幾度か過ぎ去り、ほどなく訪れた五月。

 急な気温の上昇に息苦しさを覚え、朝一で薄い布団を蹴飛ばし、狭くて広いベッドの上を這うようにして移動し、窓に手を伸ばした。スライドさせた窓の隙間から薫風が病室へ吹きこみ、廊下へと抜けてゆくと、少し汗が混じった石鹸の匂いが自らの鼻先に数秒ばかり残る。

 さて、は今日も元気だろうか。わたしは真っ先に友人を探した。窓枠、四方の壁、天井、ベッドのパイプ、床の隅――

「居ないか……」

 本日は朝蜘蛛あさぐもの姿が見えないかと思った矢先、ベッドに設置されたサイドテーブルの上を、既存のハエトリとは異なる、色違いの縁起物ハエトリグモがのそのそと八本足を動かしているではないか。

 その個体は、全体的にダークな風情ながらも、コントラストになる白いまだらを腹部に散りばめた、控え目な姿だった。

「新種……? あ、スマホスマホ」

 わたしは急いで枕元の端末でカメラを起動し、撮影と画像検索を素早く行った。十秒もせず、その個体はチャスジハエトリのメスだと判明した。

 ずっと憧れていた女の子の友達である。なんだか、嬉しくも気恥ずかしくもあり、心臓を直に撫で回されるような、体内を巡る歯痒さのあと、まぶたが心地良く、また重く感じた。

 こちらを見据えてくる単眼は、そのすべての表面にみどりがかかり、ショーケースに並んでいても不思議ではないほど豪華で重厚だ。いつまでも見つめ合っていたい。時なんて止まってしまえば良いのに。

 わたしが不意に頭を動かすと、彼女はコミカルに、それでもってとてつもない跳躍力でベッドのシーツを伝い、部屋の隅のチェストへと鳴りを潜めてしまった。

「今回の病院生活は退屈しなさそう、ふふっ」


 ――得てして、幸せな時間ほど長くは続かない。

 ゴールデンウィークの真っただ中。午前十一時五十分。

 毎日わたしに顔を見せてくれた友人が、変死体で発見されたのだ。チェストの上に転がっていたそれは、目を凝らさないと見つからないほど小さかったが、友人の足の一部だと一目でわかった。

 真正面から叩き潰されたか、あるいは背後からの謀殺ぼうさつか――いずれにせよ、被害に遭った際の残骸で間違いない。

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