第3話 春爛漫

 あれから――。

 秋は終わり、冬が過ぎ、季節は春を迎えていた。


 私、平尾沙貴恵ひらおさきえは、まだあのコンビニで働いている。


 秋の終わり、店長さんに辞めなくてよくなったと伝えたら、思いの外喜んでもらえた。

 ほっとした表情の店長さんを見て、胸が痛んだ。

 自分勝手の偽りで、余計な心配をかけてしまった申し訳なさが、働く意欲を強くしたのは本当。

 畑中はたなかくんも、まだここで働いている。

 シフトも変わらないまま。


 私たちのただれた関係も続いている。


 ふたりきりの際、お客が退けている時にレジで並んでいれば、そっと手を出してくるのは日常。

 以前のように手を握るなんてかわいい真似ではなく、私のお尻を撫で揉みしだいてくる。

 時にはスラックスの中に手を差し込んでくることも。

 棚の補充で背を向けていたら、後ろから抱きつかれたときなど、外から見られるんじゃないかと、冷や冷やしたこともあった。

 店内カメラだってあるのに、まったく。

 もちろん、そんなことをした後はきっちりと叱っている。

 ……私も彼も、この際どい関係を愉しんでいるのも確か。


 外で会うのは月に一、二度。

 少ないから、その時はとても燃える。

 畑中くんの若さについていくのは大変で、自分の年齢を実感することも。

 けれど私は、彼の行為のすべてを受けいれている。

 彼から向けられる情欲、求められているという気持ちが、自分が "女" だという悦びを与えてくれるから。

 今はそれが、なによりも嬉しい。

 この関係が、いつまでも続くなんて思ってはいない。

 所詮は許されない火遊び。

 いつかきっと、畑中くんは私の元から去って行くだろう。

 彼をずっと引き留めておけるだけの魅力が自分にあるとか、そこまでの自惚れはない。

 私よりもずっと若い、彼に相応しい娘が現れるはず。

 捨てられるのか身を退くのか、どちらになるかはわからないけれどその時は必ず来る。

 別れの時が来ても、畑中くんを恨んだりはしないことはハッキリ言える。

 むしろ感謝の気持ちしかない。

 私の中で消えかかっていた "女" の存在を認めてくれたのは、彼だから。

 いつか来るだろうその日を、笑って迎えたいと思う。

 それまでは、たくさんたくさん楽しもう。


 夫と娘・涼香りょうかの仲も変わらない。

 週末にそれぞれが出かける日は、まず外で睦みあっているのだろう。

 私が出かけた日には、悟志さとしがいなければ家の中で励んでいる様子。

 最近は後始末が雑になったのか、いたした・・・・後の残滓ざんしを家の中のあちこちで見つけられた。

 あれでバレていないと思っているのなら、私も見くびられたものだ。

 私に向ける涼香の目に、わずかな優越感と後悔とが見え隠れすることがある。

 夫を奪われたことに気付いていない妻への憐れみ、それと、娘としての母親へ対する、申し訳なさなのかもしれない。

 けれどそんなものを向けられたところで、父娘で交わる禁忌が許される訳ではないが。

 ――ま、人の道を踏み外しているのは、私も同じだけれども。


 自分たちの関係を悟られないためなのか、それとも何か感づいたのか。

 涼香は以前にも増して、私の変化を家族団欒での話題にするようになった。

 若く見える、元気そう、綺麗になった、そして色気が出てきたなどなど。

 そのどれもが畑中くんのおかげだが、女は女に対して鋭いものだ。

 探りに来ているのを、大人の余裕でかわす。  

 涼香と私。

 お互い秘密にしていることがある、脛に傷持つ同士。

 本音は見せず、軽口で交し合うだけ。

 夫の、若き妻となった涼香を、もう娘とは呼べない。

 私たちは、もう家族じゃない。

 ふりをして、体裁を整えているだけ。

 滑稽ですらある。


 ……既に壊れてしまっているのだから、もっと壊してしまおうか?

 そんな破滅願望に似たものが、今の私には生まれている。


 春を迎える少し前から、悟志が私や涼香に向けるまなざしに "男" が見えることがある。

 恐らく涼香も、それを感じているのだろう。

 前は自分から仕掛けていた姉弟のスキンシップを、避けているのがわかる。

 あるいは、夫以外の男には触れられたくないという思いからかもしれない。

 私はと言えば、息子がそんな年頃になったことを嬉しく思うと同時に、腹の底で疼くものを感じる。

 成長期を迎え、大きくなった我が子。

 いつの間にか背の丈は私を追い越し、身体つきもすっかり大人に近づいて。

 部屋の掃除をすれば、ゴミ箱を埋めるティッシュから濃くて青臭い匂いが漂う。

 ベッドとマットレスの間には、どうやって手に入れたのか裸の女でいっぱいの成人向けの雑誌。

 極めつけは、洗濯前の私や涼香の下着が妙な汚れ方をしていたり、とか。

 青い性を持て余す、可愛い可愛い我が息子

 ――そうだ、私が "男" にしてやろうかな?

 娘の初めて――だったかどうかは知らないけど――が父親だったのなら、母親が息子の筆卸しをしてもいいんじゃないかしら?

 うん、きっとこれは嫉妬。

 溢れるような若さで夫を虜にした、涼香に対するジェラシー。

 ……だから、悟志は涼香あの娘に、絶対渡したくない。

 熟女の魅力で、悟志を蕩けさせてやろう。

 お母さんにメロメロにしてやるんだ。

 さて、どうやってその気にさせてしまおうか?

 わざと隙を作って、下着を見せつける?

 なんとか理由をつけて、一緒に風呂場に入るとか?

 眠ったふりをして、無防備な姿をさらす?

 あぁ、考えるだけで "女" が潤む。

 禁忌を犯そうとしていることを喜ぶなんて、すっかり壊れているな、私。

 

 愉しげに口元に笑みを浮かべながら、私は家事に取り掛かる。

 ひび割れた母親の仮面で、淫らな女のかおを隠して。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

女に還る秋 ~part-time love affair~ シンカー・ワン @sinker

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ