第54話 弟 8

弟が高校を卒業してから、毎夜、体を鍛えだした。


正拳突きを千回、腹筋や腕立てなども百回づつ始め出した。


彼はそれを毎日欠かさず、鍛練をやりだした。


私は疑問に思って、彼に「お前、何してんだ?」


弟は黙々と正拳突きをしながら「俺は、東京に行く」


私は全く繋がりはないだろうと思ってさらに問いかけた。


「だからなんでだ?」


「今の俺じゃだめだ! こんな姿は見せられん」


「よう分からんが、誰に会うんな? 

昔好きだった女にでも会うんか?」


「俺は安田成美に会う。じゃけど今はまだ会えん。

あと三カ月後に俺は東京に行く。時間が無いんじゃ」


私と弟の共通点は親が嫌いな事と

コネを使うことであった。だから弟らしくないと思った。


「らしくないな。叔父さんに会わせてもらえるよう頼んだんか?」


「アホか! コネなんか使うわけないじゃろうがボケが」


私は益々分からなくなり、正拳突きをしている弟に話しかけた。


「コネなしにお前、会えるわけないじゃろ」


「行ってみても無いのに、何で分かるんな?」


「いや、普通会えんわ。つーかお前、安田成美のファンだったんか」


「俺は安田成美と結婚するために、今鍛えとるんじゃ」


思わず苦笑してしまったが、更に聞いてみる事にした。


「安田成美は結婚しとんのは知っとんか?」


「知っとる。じゃけぇ鍛えとるんじゃ。邪魔するな、木梨じゃ

つり合いが取れん。俺しかつり合いは取れんのじゃ」


「まあ、俺には関係ないが、ヤバい事だけはすんなよ」


「今の俺じゃつり合いが取れん。じゃけぇ鍛えとるんじゃ」


「お前がいくら鍛えても、つり合いなんか取れるか」


「やってみんと分からんじゃろうが、うるさいけ黙っとけ」


弟は三カ月間、毎日鍛えた。体重も15キロ以上落としていた。

そして別れの言葉を誰にも言わずに、彼は東京に向かった。


彼は東京で新聞配達を始め出した。


ある日、刃物を持った強盗が入ったらしく、皆が逃げるのに対して

弟は恐れもせずに、強盗を捕まえた。


刃物な時点で素人だと分かるが、弟の場合はそんな考えもしないが

まあ刺されても一ヵ所くらいだろう的な考えで捕まえたのだと思う。


昔、最初の大型犬を飼った時に、車が好きな子で家についても

車から降りようとしなかった。


下ろそうとしたら、唸り声をあげ、母親は困っていた。

当時はまだそれほど、険悪では無かったため、弟は自分が下ろして

来ると言って駐車場に向かった。


弟は怖いもの知らずだ。大型犬を無理矢理下ろそうとして、

腕に穴があくほど、咬まれたが、それにも動じなかったが

下ろすことは出来なかったことがあった。


血まみれの腕だったが、特別痛がるわけでも無く、普通にしていた。


一度だけ、私は彼に対して、尋ねた。


「安田成美には会えたんか?」

弟は苦笑いしながら「会えんかった」と言った。



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