第21話 自分 3

弟は私と同じ高校に通い出した。


だが、同級生では無かった。


私も弟もダブりだったからだ。


弟の事は分かるだろう。


しかし、私もある理由から不登校児になった。


友人は多くいた。山奥にある高校で、バス停まで歩こうしたら


一時間くらいかかりそうな場所に校舎はあった。


だから私は、友達に電話して迎えに来てもらっていた。


私は賢い自分が嫌いだった。


友達は多くいた。悩みの相談役として男女ともに大勢のトラブルを


解決してきた。私はその高校には行きたく無かった。


友人の殆どは地元にある高校に通っていた。


しかし、世間でぼっちゃん高校と呼ばれていた高校に、母はどうしても


入れたかった。世間体の為に。


何でも言える事だが、出来るからと言ってしていい事と、

やってはいけない事が世の中にはある。


既に哲学に目覚めていた私は、事前に約束をした。


試験は受けるが、仮に受かっても、絶対に行かないと約束をした。


そして私と友人の一人の二人が、推薦で入学試験を受けた。


私は受かり、友人は落ちた。


私は名前は書いたが、殆ど白紙で出した。


そう、お金があるからと言って、不正入学をしてはいけない。


それは常識だ。そしてそうまでして入学させたとしても


こんな不条理は許される事では無い。


私の友人は本来は受かるはずだった。


しかし、母は金で解決した。


私は父や母を誰よりもよく知っている。そのけがれた心を。


案の定、受かっても行かないと約束をしたが、行かされる事になった。


昔から同じ事の繰り返しだ。


私に夏休みは一日も無かった。30日間は離島のホテルで塾が主催する


勉強漬けの30日間だ。朝は6時に起き、夜は11時まで勉強をしていた。


そしてそれが終わると、家に戻り、家庭教師に多くの謝礼を払い、


科学研究をやらせていた。小学1年生の頃から


卒業するまでずっと、不正をやらされ続けた。


私は2,3度結婚したいと言われた事はある。


しかし、私には家族というものを知らない、呪縛が心臓に巻き付いている。


私の家族は利害関係が成立して、初めて動く。


教授の叔父から色々な形に変えて愛や人間として生きるのは、


どういう事かを学んでいたから、私は人間でいる事が出来た。


親類の従妹たちも同様のような事を、されたのであろうが、


皆、最初は抵抗していたが、孤独な子供が闘い続けるのには


何が大切で、何が間違っているか、それは確かにある事もあるが


そう単純では無い事の方が多い事を、私は叔父から教えてもらっていた。


だから異常に気づく事ができたが、

まだ幼い私は文句をつけると殴られるだけであった。


100~200ページの科学研究を私は、塾の合宿から帰るなり、


そのまま書き写す事を言われ、私がしていない、見た事もない文章を


ひたすら写す作業をさせられた。そう、作業でしかない事だ。


常識的に考えても、小学一年生には不可能な事だ。


私はその事について意義を唱えるのが、学校の先生の役目だと


思っていたが、それは無かった。


私はあらゆる面で孤独だった。



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