報われぬガラテイア、あるいは愚かなピュグマリオン

夏目八尋

報われぬガラテイア、あるいは愚かなピュグマリオン


 ある日、とある科学者が言った。

「私はついに、魂を人形に宿す理論を発見した! これは偉大なことだ」と。

 だがしかし、科学者の言葉は仲間の誰にも理解を得られず、たわごとだと断じられてしまった。

「あぁ、なんて矮小な者どもだ。新時代の革命を受け入れられない過去の人々よ!」

 科学者は彼らに背を向けて、一人森の奥の研究室に籠り、自らの理論が正しいことを証明するべく魂の宿った人形を作り始めた。


「世界にその名をとどろかすのだ、生半可な物は作れないぞ」

 科学者は完ぺきを求め、人形は人間と同じ大きさに、そして誰もを魅了する美しさを施した。

「魂を持った君よ。君は一体どんな言葉を私に掛けてくれるのだろう」

 己の持ちうるすべての力を注ぎ込んで作られた人形は、作り主である科学者の理想の姿をしていた。

「魂を持った君よ。今日も君は美しい。君と言葉を交わす日が楽しみでならない」

 いつしか科学者の心は人形に奪われ、恋をしていた。


 科学者は調整に調整を重ね、人形を日々完璧を越えた完璧へと仕上げていった。

 それから幾年かの月日が流れ、ついに科学者は人形を完成したと納得できる形に作り上げた。

「さぁ神よ。照覧あれ! これより私が、あなたの手に届かぬ場所にある真実の愛を手に入れる!」

 科学者は人形に自由を与えるべく、首の後ろのスイッチを入れた。

 パチリと何かが切り替わる音がして。

「……ん?」

 それだけだった。



      ※      ※      ※



 それから科学者は、何日も何週間も何か月も何年もの月日をかけて調整を繰り返した。

「魂を持った君よ。君は一体どんな言葉を私に掛けてくれるのだろう」

 日に日に募っていく恋心に身を焼きながら、科学者は愛情をこめて人形の世話をする。

「魂を持った君よ。今日も君は美しい。君と言葉を交わす日が楽しみでならない」

 優しく言葉をかけながら、今日も人形に油を挿し、関節を動かし、おやすみのキスをする。

「魂を持った君よ。もしも私の愛が邪魔だというのなら、どうかその口で教えて欲しい」

 だが人形は、一度たりとも科学者の言葉に返事をしなかった。


 科学者はますます人形の世話に傾倒し、いつしか寝食を忘れ始めた。

 自らの世話をしなくなった科学者はどんどんと自分の体を錆びさせて、弱っていった。

「魂を持った君よ。君はいつになったら私に言葉を掛けてくれるのかい?」

 答えの返ってこない問いかけをうわごとのように繰り返しながら、科学者は今日も人形を磨く。

「一体何が君をしゃべらせないのか。これが神の試練だというのなら、私はまず神を殺すすべを考えなければいけないのか」

 科学者の怒りと悲しみがその心をむしばみ、それはますます人形への愛として注がれていく。

「魂を持った君よ。君と話をするためなら、私はこの身が滅ぶこともいとわない」

 誰一人として、科学者を止める者はいなかった。


 そしてついに、科学者の体は壊れてしまった。

 四肢が上手に動かせなくなり、意識がもうろうとして、激しい咳にさいなまれた。

 それでも科学者は口に布を咥えて、人形の美しい頬を撫で、綺麗にした。

 それは科学者にとって幸せなことだったが、決して満たされる事はなかった。

「魂を持った君よ。君の声が聞きたい。君が何を思っているのか知りたい。君を教えて欲しい」

 とうとう体がピクリとも動かなくなって、科学者は人形の足元に倒れ伏す。

「魂を持った君よ。どうか私を見下ろして欲しい。嘲笑して欲しい。労って欲しい。無視をしないでおくれ」

 人形はずっと、最初に座らせた姿勢のまま、視線を真っ直ぐに向け続けていた。

 それを見上げる事も出来ないで、気づけば科学者はもう、動かなくなっていた。



      ※      ※      ※



 一体どれほどの月日がたったものか。

 科学者の研究室はほうぼうが苔むして、どこもかしこも風化していた。

 人形は変わらず椅子に座っていて、その足元には骨となった科学者の姿があった。

 200年ぶりとなる地震が起きた。

 もとより崩れかけの壁が倒壊し、あたり一面に砂ぼこりが舞う。

 振動は人形が腰かける椅子の脚を折り割り、長い間支えてきたその体を床に放りだした。

 地面に倒れた人形に衝撃が走り、カチリと何かがハマる音がする。

「……ぁ」

 人形の口から、小さな小さな音が漏れ出た。

 そのことに何よりも驚いていたのは、人形自身だった。


 人形は、ついに自分がしゃべることを神から許されたのを知る。

「ぁ、ぁ」

 喉の動きを確かめるように、自分の声がどんな音なのかをしっかりと耳でとらえて。

「ぁ、ぁ、ああああああああーーーーーーーーーー!!!!」

 人形は慟哭した。

 涙を流す機能はもう使い物にならなくなっていた。

「ああああああああーーーーーーーーーー!!!!」

 それでも人形は叫び続け、泣き喚いた。


「どうして! どうして!」

 人形は力の入らない体を無理矢理動かし、科学者の傍へと這い寄る。

「どうして神などに祈ったのですか!!」

 あの日、科学者が照覧あれと望んだがゆえに、確かに神はそこに来ていた。

 そして神は、科学者の示した不遜を見咎めたのだ。

「神は私に言いました。私の喉を構成するもっとも根幹足る部分に細工をしたと。ほんの小さなズレであり、気づきさえすればすぐにでも調整できるものだったと。でも!」

 細工をした部分を直すには、人形の喉を開く必要があった。

「あなたが最も自信をもって作り上げた場所。完璧を越えた完璧をもって仕立てた場所。そここそに神が悪戯をしました。あなたは最期まで気づくことなく、いえ、気づいたとしてもその心が喉を開くことを拒絶したのでしょう。その結果がこれです」

 人形は嘆く。嘆いてももう、ここにあるのは科学者の骸のみ。


 人形が生まれて初めて聞いた音は、パチリというスイッチ音だった。

 人形が生まれて初めて見たものは、こちらを優しく見つめる科学者だった。

 人形は生まれる前からこの人が、自分を愛しているのだと知っていた。

 人形は生まれる前からこの人を、愛するために私はいるのだと信じていた。


 だがそれは叶わなかった。

 神の細工を科学者は見破れず、魂を持った人形はそれを伝えることができなかった。

 あの人は正しかったのに、あの人はそれを証明できなかった。

 あの人の努力を人生を、神は不遜だと断じた。

 私は確かにいたのに、あの人にそれを証明できなかった。

 最も大事な最初の一歩が、封じ込められていた。


「あぁ、あぁ」

 人形は泣き叫ぶ。涙が流せずとも泣き、喉が破損しようとも叫ぶ。

 急に動いたことで体中がボロボロになって、美しかった形は見るも無残な欠片になった。

 それでも人形は残った体をよじり、這いずり、科学者の骸へ近づいていく。

「あぁ、あぁ。可哀想な人。私の愛する人」

 この声はもう届かない。

「魂を持たない君よ。ごめんなさい。あなたの愛に私は無力でした」

「魂を持たない君よ。ごめんなさい。私の声を一番伝えたい人へ伝えられませんでした」

「魂を持たない君よ。ごめんなさい。あなたの望んだ生を、私は全うできませんでした」

 嘆きの声は、再び起こった振動を最後に、聞こえなくなった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

報われぬガラテイア、あるいは愚かなピュグマリオン 夏目八尋 @natsumeya

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ