【番外編】 この恋は夢未満 ~真理~

 【注意】短編小説として同じ内容のものをアップしてます。重複して読まないようにご注意くださいませ。



 初恋は動物園の飼育員さん。

 2度目の恋はいつも真っ直ぐな同級生。


 叶えるつもりのなかった私の2度目の恋は、叶ってしまって困ってる。


 ◇◇◇


 私は近藤真理。近藤家の3人目の子ども。父は会社員、母は専業主婦。ごく平凡な一般家庭。一番上は4歳上の兄、真ん中は2歳上の姉。兄も姉も平凡、そしてもちろん私も。


 人は苦手だ。それよりも私は動物が好きだった。家の近くのバス停から1本で行ける動物園が私のお気に入りの場所で、小学生の頃は誕生日プレゼントに年間パスポートを買ってもらって通っていた。私が毎週末通って、一日中飽きずに動物を眺めているので、声をかけてくれた飼育員さんと仲良くなった。


 動物が好きなのと同じ感覚で30代の飼育員さんのことが好きだったので、これは初恋とはいえないのかもしれない。

 でも、彼との時間は私が獣医を志す大事なきっかけになった。どんなに辛いときも、あの時間を思い出すと頑張れるから、やっぱりあれは恋だったと思う。


 子どもを育てるのにはお金がいる。でも、うちはそんなに裕福じゃない。獣医になりたいと思って、どうしたらなれるかを調べたら、沢山勉強して、大学に6年間通って国家資格を取らなくてはいけないことがわかった。


 まだ幼かった私は、何も考えずに『お母さん、私獣医になりたい』と言った。そのときの母の心情はどうだったのだろう。私が覚えているのは『素敵な夢だね。真理は動物好きだもんね。お母さん応援する』と嬉しそうに言ってくれた顔だけだ。


 人付き合いは苦手だけど、家族は好きだ。家族5人で住むマンションは少し手狭だったし、そんなに旅行に行った訳でもない。だけど、私が私のままでいてよくて、私がいるのが当たり前の空間は他にはない。兄とも姉とも仲が特別良いわけではない。喧嘩することもある。でも、私は学校で友達と喧嘩なんてしないから、それができる存在はありがたい。


 勉強は元々嫌いじゃなかった。頭の中に知識を入れて知らないことがわかると、自分が成長しているような気分になれるから。

 動物園に頻繁に行くよりも、本を読んでもっと広い世界を知ることが好きになったのはいつだろうか。動物園に行くことが嫌いになったわけではない。ただ、日々老いていく動物が限られた空間に閉じ込められていて、それをみて楽しむ自分は何だろうと思っただけ。


 塾に行かなくても学校には先生がいる。

 本を買わなくても、図書館には本が置いてある。

 最低限の学費で最大限の勉強がしたくて、私は年頃の女の子が好きなものよりも、勉強に時間も意識も費やした。


 アニメも漫画もテレビも、おしゃれもダイエットも、別に否定していないし、それが楽しめるならいいと思う。何でもないことで笑い合って楽しそうなのはむしろ羨ましかった。


 何もしていないのに、クラスの女子には『勉強できるからって馬鹿にしてる』とやっかまれた。そんなつもりはなかったけれど、そう思われたなら仕方がないと思った。

 小学校の頃は嫌がらせなのか、学級委員を押し付けられてやらざるえなかった。特に断る明確な理由も見つからなかったし、小学校での学級委員のやることはそんなに時間が取られなかったから。


 でも、中学生になってからは違う。高校受験に向けてもっと勉強したかった。私の住む場所から通える公立高校の偏差値は高い。塾に通うつもりもない。だから、中学1年でまた学級委員に選ばれそうになったとき、私は頑なに拒んだ。


 多少きつく言わないと流されそうで、『時間が勿体ない』と言ったら、しぶしぶ他の子が委員を引き受けてくれた。面倒な役は回避できたけれど、周りの私を見る目が一気に冷ややかなものになったのはわかった。


 休み時間も本を読む私に話しかけてきたのは、彼だけだった。本橋樹、同じ小学校出身で根元から明るくて真っ直ぐな男の子。


 彼はストレートに私に何であんなことを言ったのか聞いてきた。だから正直に答えた。『最低限の学費で最大限の勉強がしたい』と。


「なんでそんなに勉強できんの?俺、勉強苦手だから、ずっとそんなに頑張れるなんてすげーよ。才能だよそれ。なに目指してるのか、もしよかったら教えてよ。俺も何か目標を持って近藤みたいに頑張りたい」


 彼の目からその質問がただの興味本位でもなく、言葉通りの意味なのがわかったから私は答えてしまった。


「私は獣医になりたいの。動物、好きだから」


「そうなんだ、すげー。いい夢だな」

 そう言って彼は屈託なく笑ったので、私もつられて笑ってしまった。


 中学1年生の夢なんて、どこまで本気か、いつまで続くか、叶えられるかわからないのに。

 私が諦めるとか、叶わないとか、そんな未来の私の姿は彼の目には映っていなかった。彼の目の中には獣医になった自分の姿が見えた。


 その日はとても嬉しくて、かえって勉強に手がつかなかった。


 私の気持ちとは裏腹に本橋くんが話しかけてきたりすることはなかった。彼は裏表なく誰とでもすぐ距離を縮めるから、私の事も特に気に止めていないのだと思った。


 私は気づかなかった。中学3年生になって、本橋くんの事が好きな女の子から、意地悪をされるまで。

 最初は何でそんなことされるのかわからなかった。私は今まで通り1人でいるし、何かした覚えもなくて不思議に思った。


「私なんかしたかな?」

 と聞いてみたら、本当に意外な答えが返ってきてびっくりした。


「あんたみたいなガリ勉が樹に好かれてるなんて生意気なのよ!」


 全く意味がわからなかった。「そんな訳はない」と反論しても彼女は聞いてくれなかった。本橋くんとは2年生になって、クラスが離れてから話すこともなかったのに。


 私が密かに彼がくれた言葉を大事に胸の奥にしまっていることなんて、誰にも話したことはない。サッカー部の彼が元気に走り回る姿を図書室から眺めたことも。


 意味がわからないと思いながらも嫌がらせは続いた。そんな私に同情したサッカー部の上野くんがこっそり私に教えてくれた。


「樹、いつも近藤さんのこと見てるから噂されちゃったんだよ。あいつ気持ち隠すとか出来ないやつだから周りから見てバレバレで。高校も近藤さんと同じとこ行けるように頑張ってたみたいだけど、迷惑だろうから別の高校に行くってさ」


「えっ?」

 私がかなり驚いていると、私の反応に逆に彼も驚いた。


「気づいてなかったの?近藤さんって結構鈍ちんだねー。まぁ、樹はいつも『勉強の邪魔したくない。応援したい』って言ってたから、それでいいのか」


 私が顔を真っ赤にしてうつむいてしまったので、上野くんは「色々頑張ってね」と言って去っていった。


 その後も嫌がらせは続いたけれど、本橋くんやサッカー部の人達が妨害したみたいで、そこまで酷くはなかった。私は別に全然大丈夫だった。


 むしろ、今まで気づいてなかった本橋くんの視線に気づいてしまって、そっちの方が勉強の妨げになった。何とか志望校に合格できたときはほっとした。落ちて彼のせいになんてしたくはない。

 私の中学からその高校に進学したのは私と上野くんだけ。本橋くんは別の高校に進学した。


 高校でももちろん勉強に集中した。時々、話しかけてくる上野くんからは本橋くんがサッカーを続けていること、相変わらず元気な事が伝わってきた。地元が同じだから、町内を歩くときはいつも本橋くんの姿がいないか探してしまう。でも、それだけ。高校でも家でも私は勉強した。


 2歳年上の姉が毎年作るので、バレンタインデー前は、いつも渡す予定もないチョコを作る。


「誰にあげるの?」

 と毎回聞かれるけれどいつも答えは同じ。

「あげないよ。作るだけ」


 ハートのチョコは兄と父の胃袋におさまる。それでいい。


 私は、ずっと先の同窓会でこっそりと、もう子どもが何人もいて幸せな家庭を作った彼に

「私もあのとき好きだった」と伝えられれば良かった。もちろん、その後に恋が再燃することなんて望まない。


 私はこの恋をタイムカプセルのように地中に埋める。私には叶えたい夢があるから。彼と一緒にいたら、その夢が変わってしまいそうでこわかった。



 私は志望大学に合格した。家族は本当に喜んでくれた。奨学金を利用して、家からは通えない距離のその大学の寮に私は入る。


 明日引っ越し。飛行機に乗らなくては行けない距離だ。なかなか実家に戻ってくることもないだろう。

 荷物も先に送った。後は自分だけ。


 ずっと、中学1年から好きだったな。


 思い浮かぶ彼の顔はまだ幼い。ずっと会えていない彼は今どうしているだろうか?


 ぼんやりしていると滅多に鳴らないスマホが鳴った。

 上野くんだった。彼は有無を言わせない口調で「どうしても会わせたいやつがいるから来て」と言った。


 上野くんは誰とは言わなかった。でも待ち合わせ場所に大分早く着いて、周りを見渡していたら、私がずっと会いたかった人が来た。


「本橋くん」

 気づいた瞬間に声が出ていた。彼は身長も伸びて、身体つきもすっかり男の人になっていた。近づいて来た彼は、真剣な目で真っ直ぐに私を見つめた。


「近藤真理さん、ずっと好きです。これからもずっと好きです。俺と付き合ってください!」

 彼が放った真っ直ぐな言葉はそのまま私の心に突き刺さる。その勢いで、夢も決意も吹き飛んで素直な私がひょこんと顔を出した。無邪気な自分は笑顔になり、彼に笑いかける。


「ずっと、会ってなかったのに、いきなり、それ?私、大学受かったから、明日遠くに引っ越すんだけど」


「合格おめでとう。ずっと頑張ってたもんな。やっぱり、近藤はすごい。そんな近藤がずっと好きなんだ」


 彼は私が大好きな太陽みたいな笑顔で欲しかった言葉をくれる。


「ずっとまた会えないよ?私、勉強頑張りたいから、あんまり連絡しないよ?」


「全然いいよ。頑張ってる近藤が好きだから」

 彼の言葉が私の言い訳のマントを剥ぎ取っていく。


「好き好き言わないでよ。恥ずかしいじゃない、馬鹿」

 嬉しくて涙が出てきて、私は根負けした。


「他の子好きになったら、教えてくれたらすぐ別れるから」

 真っ直ぐな彼が別れるときに罪悪感を抱かないように、私は防御線をしっかり張って、でも彼を受け入れた。その翌日私はあっさり旅立った。


 叶えるつもりがなかった私の恋は叶ってしまった。


 上野くんからは【同窓会で過去形の告白する樹より、現在進行形の告白をして欲しかった。騙して悪いな】とメッセージが来た。


 彼に使う時間も心の余裕もあるかわからないのに、『彼女』になってしまった。


 ずっと渡せなかったバレンタインチョコは、振られる前にと思って、その年の5月に郵送で送った。手作りは寮でできなかったから、市販のもので。でもチョコには、ハートのメッセージカードを添えて。


【今年も渡せなかったけど、6年分。バレンタインには遅いけど】


 短いメッセージに私の思いが届いたかはわからないけれど、別れないままに2年が経過した。


 私たちは付き合ってから2年会っていない。理由は私が忙しいからと、私が会いたくないから。真っ直ぐな彼は別れ話をするなら直接会ってすると思った。あと大学生になっても化粧もせずおしゃれにも疎い、垢抜けない自分を見られたくなかった。


 彼女になったのに本橋くんは私の事を未だに名字で呼ぶ。私は知ってる。彼が仲良くなった人は、男女構わず名前で呼ぶことを。私自身も彼を『樹』と呼びたいけれど、その1歩を踏み出す勇気が出せずに時間は過ぎる。


 彼からは、限られた時間の中の電話でも『好き』と言われるし、メッセージも頻繁に送られてくる。でも、私は彼の思いに100%でこたえる事ができなくて、未だに『好き』と言えずにいる。自分の夢よりも彼が『好き』かわからなくて。


 気まぐれにインドに行った彼から、大量の写真と写真に関する説明のメッセージが送られてきたとき、彼と行ったことがないその地に一緒に行った気になって嬉しかった。それから、彼は時間を見つけると旅行に行って、写真とメッセージを送ってくるようになった。今、彼はタイにいる。ゾウに乗ると言っていた。


 1個上の先輩に思いがけず告白されたのは、彼が旅立った日のことだった。先輩のことは尊敬しているし、話も合う。自分と同じ夢を追いかけて1歩先を走りながらも、同じ道を走っていける人。


 本橋くんとの未来は想像できないのに、先輩との未来は容易に想像できて、すぐに返事ができなかった。でも、一呼吸おいて断った。


「私、考えるだけで元気になれるくらいずっと好きな人がいるんです。ごめんなさい」


 先輩は少し悲しそうに笑ったけど、「今日言ったことは気にしないで。これからもよろしくな」と言ってくれた。


 もし、この告白を受けて、本橋くんと別れたら、彼は身勝手な彼女から解放されて自由になれただろうか?


 そんなことを考えてしまった自分が恥ずかしくて、涙が出た。先輩は慌ててハンカチを貸してくれた。


 私の2度目の恋は夢未満。私はずっと思い続けている彼よりも、目指し続けた夢の方を優先する。


 それでもまだ別れ話をしたくないのは、私が欲張りだからだろう。


 ごめんね、樹。


 名前で呼ぶ勇気が出るのと、別れ話をする勇気が出るのはどちらが先だろうか。

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