死ねない青年と記憶に残らない少女のお話

鶴江かなた

 

 「……これで48回目。」

 俺は天をみたまま、肺に溜まった空気と共に吐き出した。もとい、全身がベッドに沈み込み、足は吊るされ、首にもギプスが巻き付けられて、そこら中包帯でぐるぐる巻きにされて、動ける状態に無いわけだから、天以外見れるものもないのだが。

 48。なぁ、窓の向こうの君。これ、何の数字だと思う?

 この数字はな、俺が死ぬことに失敗した回数だ。

 ……嘘をつけ、と思うだろう? 事実さ。バイク事故にあっても、マンションから飛び降りても、業火に焼かれても、大雨で増量した激流の中に飛び込んでも、死ぬことは無かった。せいぜい、全身骨折全身打撲がいいところ。俺は、不幸には好かれているのに、死には嫌われた人間だ。

 48回目は、処方された精神薬か何かをガブリと飲んで、おおかた、どこか高いところから落ちたか、何かに轢かれたんだろう。見ての通り、身動きが取れない程の怪我をした上に、頭がクラクラする。まぁ、死のうとした直前のことなど、よく覚えちゃいないのだが。

 心電図をとる機械が規則的にならす音が耳にうるさい。だんだんと頭に響いてきた。

 「失礼します。明坂さん、明坂祐太さん。目は覚めましたか? 」

 勢いよく扉が開いたかと思ったら、これまたよく知った顔の看護師さんがパンパンに膨れたA4ファイルを片手に、部屋に入ってきた。

 この時代だ。カルテも電子化すれば良いのに、と思うがどうもそう全てが上手くいかないところが、病院のよろしくないところである。

 「……この通りです。お久しぶりですね、看護師さん。」

 「お久しぶりです、ではありません。いい加減に死ぬことは諦めてください。何回目ですか? 」

 「ふむ……。この病院にかかるようになってからは、17回目、とかですかね。あぁ、6回目の火事に巻き込まれた件と、12回目の、一昨年のバイク事故は本当に事故なので、ノーカウントにしてもらいたいところですが。なかなか死ねないのも困ったものです。」

 「はぁ……。本当にいつでも通常運転ですね。逆になぜそれだけ死に直面するような現場にあっておいて、本当に死なないのかが不思議な程です。」

 「いやぁ、本当に。包帯やらギプスやらの様子を見るに、今回も派手に死に損なったみたいですね。」

 鎮痛剤が切れたら、それこそ死ぬほど痛いのだろう。頭がクラクラとするのは、死に損なう前では無くて、強い鎮痛剤を使用しているせいかもしれないな、と頭の片隅でふと思った。

 「褒めてはいません。それと、いくら不死症と言っても、当分は絶対安静ですからね。」

 「わかってますよ、毎度面倒かけてすみません、早く死ねたらいいんですが。」

 「そこまで死ぬことに努力するなら、同じくらい生きる意味を探す努力もしてください。」

 若干怒りが混じった強い声で言いつつ、点滴やら心電図やらを手際よく確認していく看護師。

 備え付けられた机に置かれたカルテに、綺麗な文字で記されている病名。

 先天性準フクダ症候群。通称、不死症。

 その名のとおりだ。体が強すぎて死なない病気。怪我をしたところで、驚異的な治癒力で回復し、病気を患ったところで、重症化など絶対にしない。薬物や毒にも、常人と比べれば何倍も耐性がある。寿命で死ぬ他、簡単に死ぬ方法がないのだ。

 現在のところ治療法は見つかっておらず、原因も不明。遺伝子疾患の1つと考えられるが、親が不死症であったところで、子どもに遺伝する訳でもないし、その逆もまた然り。

 死なないだなんて素晴らしいことじゃないか、と何も知らない者は言う。

 逆だよ。この病気のせいで俺は死ねないんだ。小学生の頃に死んだ、普通の人間だった双子の姉貴の元に行けなくて、もう何年過ぎたのか。

 もはや、呪いとしか言いようがない。自殺を繰り返しては失敗し、死ねなかったことに嘆く。これを何度も、何十回も繰り返して、精神が壊れない方を褒めて欲しいくらいだね。

 看護師の言葉を聞き流しながら、また死ねなかったと、1人絶望していると、カラカラと、引き戸の乾いた音が響いた。

 首は動かせず、目だけをそちらへ向ける。10センチ程の隙間から覗いていたのは、紫色の眼だった。

 「あら、明坂さんの親戚の子ですかね。お嬢さん、どうぞお入りなさい。」

 「いや、俺はこの子のこと──」

 知らない、と言いかけたところで言葉が喉の奥で引っかかった。

 記憶に残る、小学生の姉貴にそっくりなのだ。

 決定的に違うのは、その色のみ。

 人種的な日本人とは程遠い、透き通る雪のような肌に、アメジストの眼。毛髪も、蛍光灯の光を反射して蒼く輝いているかのように見える綺麗な銀髪。

 オカルトは信じないが、ドッペルゲンガーと言われてもおかしくないほどまでに、似ている。

 「……お兄さん、大丈夫? 」

 「……これを見て、大丈夫に見えるか? 」

 突っかかりながらも、言葉がスラスラと出てくる。どういうことなんだ。

 「大丈夫ですよ、お嬢さん。このお兄さんは、絶対に死なないですから。早く治るのを神様にお願いして、待っていてください。」

 「うん。わかった、看護師の人。」

 「いい子です。では明坂さん、また午後に定期観察に来ますので。」

 「え、あ、あぁ……。」

 急に現れた、姉貴そっくりの少女を目の前に、驚きと動揺を隠せない。

 「お兄さん、死なない? 」

 「死なないよ。少なくとも、お前の前じゃ、な。そういう病気だ。」

 俺は何をクソ真面目に答えているのだろうか。初対面の、それもどこの子かも知らないような子に。姉貴に似てるから、安心してしまってるのだろうか。

 「それよりお前、どこの子だ? 少なくとも、俺の知り合いの中に、お前みたいな嬢ちゃんは居ないんだが。」

 「しおんは、ずっとあっちの建物に住んでるよ。この病院のすぐ近く。お兄さんの知ってるお母さんもお父さんも、しおんには居ないよ。だから、お兄さんの知り合いの子どもじゃないよ。」

 病院の近くのあっちの建物、というと、ファミリー向けのマンションに住んでいる子どもだろうか。

 一般病棟というものは簡単に出入りできるような場所ではない気がするのだが、この病院は大丈夫か。

 ともかく、知り合いでもないこの子どもの相手をする義務は俺には無いし、双子の姉貴にそっくりなその顔をもう見たくはなかった。

 「あぁそうかい。さ、赤の他人の怪我人の部屋でいつまで遊んでんだ。早く帰りな。」

 「ん、また明日来る! またね、お兄さん! 」

 「いやそうじゃな、はぁ……。」

 元気にまた来ると宣言した少女は、パタパタと病室を出ていった。

 もしかしたら、俺の記憶の中の姉貴が少し変わってしまっているだけかもしれない、などと現実逃避を始めた。

 何せ古い記憶だ。家に帰ったら、子どもの頃のアルバム引っ張り出して、姉貴の顔をしっかりと覚え直さなきゃな、などと自分でも理解し難いことを考え出し、考えることを諦めて寝た。

 翌日、そのまた翌日、と例の少女は毎日のように俺の病室に元気に遊びに来た。何度追い返しても、素直に帰ったかと思えば、必ず翌日には遊びに来る。絶対安静を強いられている俺には、もはやどうしようもない。

 いつもの看護師さんにも顔を覚えられ、少女はとても嬉しそうだった。どちらかというと、看護師さんは少女の味方をし、かわいい親戚の子を追い出したらダメでしょうと窘められた。

 姉貴そっくりの見知らぬ少女を追い出すという行為を、5日目にして諦めた。

 毎日通い続ける少女に対して、俺も警戒心がいつの間にか解けたのだろう。外に出られる日はリハビリがてら一緒に中庭を散歩してみたり、病室に備え付けられたテレビを一緒に見たり、売店で何故こんな物が病院にあるのかも不思議な、変な形の置物を買ったり。ここまで動けるようになれば、もう退院も近いだろうと、考えていた。

 今日も、病室でテレビを見ていると、少女はじゃーん、と効果音をいって、箱をどこからか取り出した。

 「お兄さんの大好物、あげる! 」

 「それ、ホワイトチョコレートか? 」

 「うん! しおんのお部屋から持ってきた。」

 「あのなぁ嬢ちゃん……。確かにホワイトチョコレートは俺の大好物だが、病院に持ってきたら駄目なんだぞ? 」

 「うっ……。ごめんなさい。」

 「次からもう持ってくるんじゃねぇぞ。あと、それは嬢ちゃんが食いな。」

 「いいの? お兄さんのためにしおんこれ買ってきたのに。」

 「おう、食え食え。」

 いっただっきまーす、と元気にホワイトチョコレートを口に頬張る姿と、美味しいと喜ぶ姿は、記憶に残る姉貴の姿を呼び覚ました。

 ホワイトチョコレートじゃなくて、みたらし団子だった気がするが、姉貴もこう、ほっぺが落ちそうみたいに左手で頬を押さえて、頬張っていたなぁなどと、映像が流れる。

 「本当、ビックリするほど姉貴にそっくりだな……。」

 「そんなに、そっくりなの? 何回も言ってるけど。」

 そんなに言ってるのか? 少女の目の前で、何度も言った記憶は無いのだが、もしかしたら、無意識のうちに、ことある事に呟いているのかもしれない。姉貴に対する執着心の強さに、自分で自分に引きそうになった。

 「あ、あぁ、そうなんだ。驚くほどそのまんまでなぁ。違うのは、目の色の髪の色くらいだよ。ま、もう近くには居ないんだけどな。」

 俯いて、一息つく。すぐに、少女に頭を優しく撫でられた。パッと前を向くと、ちょっと驚いた顔をコロッと笑顔にした少女は、

 「お兄さんが寂しそうだったから。」

 と、頭を撫で続けてくれた。少し心が軽くなった。

 「そうかい、ありがとう。」

 「えへへ。……あっもう5時になっちゃう! 急いで帰らないと、お兄さんまたね! 」

 「おう、気をつけて帰れよ。」

 パタパタと急いで扉を出た少女を見送る。日が傾き始めている窓の外を眺めていると、またパタパタと誰かが来た音がした。

 「お兄さん! 」

 勢いよく開いた扉の向こうにいたのは、少女だった。

 「忘れ物でもしたか? 」

 「ううん、違うの。」

 走ってきたのか、弾む呼吸を落ち着かせ、深呼吸をした少女はキッと、真面目な顔で俺の目を見つめた。心の底を見透かされるような、不思議な気分になった。

 「お兄さん、しおんのことも、お兄さんのお姉さんのことも、忘れないでね。」

 忘れるわけが無い。こんなに姉貴にそっくりで、ましてや日本人離れした見た目の子など、忘れたくても忘れられないだろう。

 「ははっ、もちろんだ。忘れないから、安心しろ。」

 「やくそく、だよっ! またね! 」

 「気をつけて帰れよ。」

 急がなきゃ、といいながらパタパタと廊下を走っていく少女。廊下は走るもんじゃないぞ、と思いながら、俺は窓を開けて、外の風に当たった。

 部屋でテレビを見ていた、また別の日。俺は退院が近いことを少女に伝えた。そろそろ、こんなまったりした時間は送れなくなる。退院手続きもあるし、退院するにも忙しくなるはずだ。

 「俺、もう退院なんだ。だから、嬢ちゃんと遊んでやれるのも今日までな。」

 「……お兄さん、もう退院なの? お兄さんのところ、遊びに行ってもいい? 」

 「ははっ、そうかい。そりゃ嬉しいこった。ちゃんと、お父さんかお母さんの許可取ってから来いよ。」

 「しおんは──」

 少女が何かを言いかけたところで、看護師と医師が部屋に入ってきた。

 「お嬢さん、今からお兄さんと大切なお話したいから、今日はもう帰ってもらってもいいかな? 」

 「……やだ。」

 「こら嬢ちゃん。センセイと看護師さん困らせたら駄目だぞ。今日は帰んな。」

 頭をぽんぽんと撫でてやれば、寂しそうな顔をして、ばいばいと、手を振って部屋から出ていった。それ以来、と言っても、退院までの2日間だが、しおんは俺の病室に遊びに来ることは無かった。

 退院してからは、仕事先に謝罪に行ったり、いろんな手続をしたりと、肉体的にも疲れて、家に帰っては電池が切れたロボットのように倒れて寝てしまう生活が続いた。

 そこから、何日も経ったある日。久々の休日だったその日に、ふと思い出したかのように、病院から持って帰ってきた鞄の中身をひっくり返した。腐るようなものは無いし、洗いものは全て洗ったのだが、何故か、まだ何か取り出していないような気がした。

 コロコロ、と鞄から転げ落ちてきたものは、変な形の置物。ふと窓際を見れば、同じデザインの置物が4つ。ホコリを被ってしまったその4つ隣に、新品で綺麗な置物を並べた。

 「なんでこんなものが……。そういや、あの嬢ちゃん、元気にしてっかなぁ。」

 ぽつりと呟いた自分の言葉に巨大な違和感を感じた。“あの嬢ちゃん”とは、誰のことだ?

 すぐに、天と地がひっくり返るような感覚がした。脳が揺れる。

 「姉貴だ。違う、あれは、姉貴じゃなくて、姉貴みたいな──」

 落ち着け、落ち着くんだ。パニックになってどうする。

 そうだ、処方してもらった鎮静剤を飲めばいい、何処だ、何処にある。

 薬を飲んでも、気持ち悪さは収まらない。むしろ、頭痛がしてきて、その波がどんどん大きくなっていく。追加で、頭痛薬も飲んだ。

 薬を飲んでも効かない。冷静な対応などできるはずもなく、追加で、薬を飲む。

 「死にた、死んで、姉貴に、会いたい。嬢ちゃん? 誰のことだ、誰の、誰か教えてくれ、姉貴教えてくれ。」

 ふと、あの置物を買ったに違いない、病院に行けば何かわかるのではないかと考えが浮かんだ。

 パニックで冷静に考えられない俺は、玄関の扉を開け、病院に向かおうとした。が、黒く途切れた映像の次に見た景色は、見覚えのあるいつもの病室の天井だった。

 「病院……。はぁ……。これで、49回目か。大台の50回まであと1回、だな。うぇ、気持ち悪……。」

 霞む視界の中でも存在感の強いライトの光を目で追いかけていると、画面酔いでも起こしたかのように吐き気に襲われた。薬の影響か、視界がぐらぐらと揺れているのだ。

 「失礼します。明坂さん、起きていますか? 今回は、薬の飲みすぎによるオーバードーズです。……全く、不死症で良かったですよ。救急隊員曰く、致死量飲んだようですからね。玄関先で発見されたそうですが、また自殺衝動ですか? 」

 「さぁ……。俺にもよく分かりません。残念ながら、倒れた直前のことはよく覚えちゃあいないんですよね。」

 「はぁ……。気持ちを切り替えるために、引越しなどなされてもいいかもしれませんね。あれ? 」

 カラカラと引き戸の開け乾いた音が聞こえた。そちらをみると、息が詰まった。頭がクラクラする。

 姉貴のドッペルゲンガーと言っても過言ではない、外国人らしい銀髪で、アメジストの眼を持った少女が室内を覗いていた。

 「親戚の子、ですかね? 」

 「姉貴に、そっくり……。」

 言葉が詰まる。喉の奥に何かが引っかかっているように感じたが、どうにか、絞り出た言葉。

 俺の言葉を聞いて、少女は俯いたまま病室に入ってきて、パッと俺の顔を見て呟いた。

 「お兄さん、大丈夫? 」

 「……大丈夫そう、に、見える、か? 」

 吐き気を催すほどに、頭が割れそうに痛んだ。

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死ねない青年と記憶に残らない少女のお話 鶴江かなた @Kanata_2ra

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