エカの標

「星だ」


 唐突なエカの言葉に、リオもアリィも目を点にしてこちらを見た。


「星?」

「前に、流れ星とやらを見たことがあっただろう」


 あれはまだ夏の日のことだった。暑さから野営は外で行って。三人で並んで寝そべり空を見上げていた。

 そんな遠い日の出来事。いつだったか、空から星が一つ流れ落ちた。


「あのとき、リオに言われた。〝失敗作でも私が好きだ〟と」

「ああ……あったね」


 アリィの声に呆れと苦いものが混じる。はじめ、リオのその言葉を聞いてエカは反発した。そのときのことを思い出したのだろう。彼女の顔に申し訳なさそうな表情が浮かぶ。

 だが、エカとリオの二人の間では、それだけでは終わらなかった。リオは、現在のエカの有り様を受け入れてくれたのだ。

 父すら認めてくれなかった、ありのままのエカの姿を。


「あのとき、リオにああ言ってもらえて、私の中で何かが定まった気がしたんだ。そうしたら……なんだか落ち着いた」


 二人はあまり知らないだろうが、エカは時折乱暴を働いた。具体的には、よく物を壊していた。エカの中で訳も分からず溜まっていた怒りが、そのように露呈していたのだ。

 だが、二人と旅して、それがなくなった。街にいたときの閉塞感がなくなったことも関係あるかもしれないが、それまで抱えていた鬱屈した気分が奇麗に消え去ったのは、あの流れ星の夜の出来事を境としていた。

 今、振り返るまで、ずっと意識していなかったが。


「星を見ていると、あのときのことを思い出す。それから私は、私が失敗作でも気にしなくなった」

「星……」


 エカの言葉に釣られてだろうか、アリィは空を見上げた。季節も場所も変わった今、そこにはあのときとはまた違った銀砂が広がっている。空気は冷たく、より澄んでいるからだろうか。あのときよりもずっと星の数が多いような気がした。

 そこから零れ落ちてくる星はない。

 けれどエカの胸の中で、あのときの流星が強く輝いていた。


「俺の言葉がエカの支えになったのだったら、嬉しいよ」


 妹と同じように星を見上げていたリオは、視線を下ろしエカを見据えた。青い瞳には、星に似た穏やかな光が灯っている。

 優しい言葉に頷いたエカの横で、アリィが口を尖らせた。


「ちょっと、私もエカが好きなんだからね。おにぃだけじゃないんだからね」

「分かっている」


 エカは笑った。同時に自分の気持ちが凪いでいることを自覚した。癇癪を起こしていた自分が遠い日のことのようだ。

 二人に出逢えたのは幸運なことだったのだ、とエカは知る。


「そうだな。だから二人も、見定める星を決めれば、きっと悩むこともなくなる」


 エカの場合は流れ星で、空にとどまっている星ではないが。胸の中で光り輝いているそれが、彼女が彼女として在るしるべとなっていた。

 だから、きっと二人も何かを標と定めれば、前に進む勇気が持てるのではないか。エカはそんなふうに考える。


「標、か……」


 うーん、とアリィは腕を組み頭を悩ませる。その眼に再び不安が宿った。


「でも、私たちに、希望はないよ」


 人間の生き残りがいる可能性はなくなり、そこで新しい生活をはじめられる見込みもなくなった。もとより新しい生活を求めていたリオたちには、まさに希望潰えた状態だろう。


「お前たちの父親はどうなんだ」

「どうって?」

「お前たちを思い、新天地を探しているんだろう。お前たちが望む答えを持っているんじゃないのか」


 だが、二人の反応は芳しくなかった。ここでもまた、自分が造られた存在であることを引きずっているようだ。両親の求める役割を果たせているかも分からない自分たちが、父の助けを求められるのか、という。

 二人の悩みは、突き詰めるとそこに辿り着いてしまうようだった。

 分からなくもない。エカ自身も、自分の父に何かを求められるかというと、そんなことはないからだ。今はただ父を問い詰めて文句を言うことしか頭にない。その後のことは――


「なら、私が決めてやる」


 いい加減に焦れたエカは立ち上がり、二人にそう言い放った。兄妹は目を丸くして、自分を指し示すように胸の前に手を置いたエカのことを見上げている。


「どうせ三人とも父親は捜さないといけないんだ。そこはこれまでと変わらない。問題はその後だ」


 リオとアリィの不安は、そこにあるのだ。だったら、先に目的を果たした後のことを決めてしまえばいい。そう結論づけたエカは、二人に指を突きつけて言った。


「お前たちは、父親と会った後、私と一緒にこれからも旅をするんだ。そのまま世界中を巡るぞ」


 二人に定められた役割など関係なく、今のこの状況を続けていく。

 それは、エカが強く望んでいることだった。父が気に入っていた街を離れ、あちらこちらを巡った今、自分があの街に戻ることなど考えることができなかった。叶うならこの旅がずっと続けばいい、と心の片隅で思い続けていた。

 その自らの望みに彼らを巻き込んでしまおう、とエカは思い至ったのだ。


「旅して、どうするの?」


 瞳を揺らすアリィの疑問に、エカは「知らん」と吐き捨てる。


「そんなのは旅をしながら考えろ。私に言えるのは、お前たちがこれから何を知ろうと、何者であろうと、私とともにこの滅びた世界を巡ることだけは変わらないということだ」


 それは二人の中でどのように響いたのだろうか。リオとアリィの兄妹は、きょとんとした互いの顔を見合わせる。

 そして、二人して噴き出した。


「なんか単純」


 声を立てて笑いながら、アリィ。その向かいでリオもまた苦笑に近い笑みを浮かべている。


「そうだな。俺たちはこれから、何があっても一緒だ。それでいいじゃないか」


 それからリオの視線がエカの方へ向いた。あまりに穏やかな瞳に、エカの胸が一つ鼓動を打った。


「ありがとう」


 その言葉に、胸に中心からじんわりと温かいものが広がっていく。

 鼻を鳴らし、嬉しそうにこちらを見る二人から視線を逸しつつ、エカは口元が綻ぶのを隠せなかった。自らが二人を勇気づけることができたこと、そして二人が自分の提案を受け入れてくれたこと。二つの喜びがエカの中で湧き上がる。

 ――言って良かった……。

 などと、口が裂けても言わないが。心の中で、少しだけ自らを褒め称えた。

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