Encounter

兄妹と人形

「ちょっと待って、嘘でしょっ!?」


 叫び声とともに、アリィは急ブレーキを踏んだ。動揺にクラッチを踏み忘れたのか、嫌な振動を伴ってバスが停まる。

 厚めの雲が空を覆って薄暗い昼日中。空からはしとしとと雨が降り、視界が水滴で埋め尽くされる。ワイパーが拭い去り、明瞭となった視界をまた水滴が覆い隠して、を飽きずに繰り返すフロントガラス。その向こうを、リオとアリィは身を乗り出してまじまじと見つめた。

 バスの黄色いヘッドライトが、目の前に現れた障害物を浮かび上がらせた。スラリとした白い手足。濡れそぼった長い白銀の髪。布がふんだんに使われた黒のゴシックドレス。こちらを鋭くめつける緑色の瞳。

 光弾く雨に打たれ石畳の道路の上に立つ姿は、紛れもなく――


「……人間?」

「だよね!?」


 興奮気味に叫んだアリィは、ドアを開けて雨降る中に躍り出た。リオも、ペンギン型ロボットのミロが必死にサイドブレーキを上げようとしているのを手伝った後で車を下りた。

 その人は、警戒心を剥き出しにしてアリィのことを睨みつけていた。リオが駆けつけてからは、リオのこともだ。牽制の眼差しが交互に兄妹の間を行き交って、その娘はわずかに口を開いた。


「なんだ、お前たちは」


 年頃はリオと同じくらいか、少し下、というくらいの娘だった。しかしその割に声が低い。老成した響きを伴っているようにも聴こえ、それがまた退廃的な容姿と相まって彼女に凄みを持たせている。

 本当に人間か。だとしたらどういう人物か。鮮烈な印象を与える娘に、リオは刺激を与えないよう慎重におずおずと進み出てる。


「俺たちは、旅の者で――」

「……旅?」


 雨の所為か、彼女は目を眇めてリオを見上げる。少しばかり首を傾げたその素朴な反応に、リオは少しばかり緊張を緩めた。強張った口が軽くなる。


「母が死んで、妹と二人きりになって。この滅びた世界で、他に誰か人は居ないのかと思って、旅をしているんだ」


 でもまさか、本当に逢えるなんて思わなかった。しかもこんなに早く。

 そう言うと、娘は銀の柳眉を顔の中心に寄せる。


「……私?」


 さぞ不思議そうに問うものだから、今度はリオのほうが眉をひそめることになった。


「私は、人間ではない」

「え? でも――」


 リオの薄青の瞳が目の前の娘の頭の上から足の先まで上下した。何度見返してみても、彼女は人間にしか見えない。形の良い丸い耳は目と同じ高さにあるし、臀部でんぶに尻尾が生えている様子もない。ずぶ濡れで身体に張り付いた服の下は当然見えないが、剥き出しの肩や広い袖から覗く細い手首、サンダルを履いた足首なども、人間のものとしか思えない形をしている。


「似ているかもしれないが、違う。私は人形だ」


 兄妹は顔を見合わせた。二人揃って信じ難いという表情をしているのを確認し合う。確かに人形のように整った容姿をしているが、関節に継ぎ目のようなものも見当たらず、これもまた信じられない。

 アリィが彼女を見て、口を開きかけて。


「待って」


 妹の目に強い輝きを見たリオは、両手を上げて二人を押し留めるように間に入る。不服そうに頬を膨らませるアリィに肩をすくめつつ、娘のほうに向けた手を動かして、バスのほうを指差した。


「中で話そう。このままじゃ全員ずぶ濡れだ」


 伏せがちな緑の瞳がリオの人差し指の先へ向く。彼女はしばらく唇を引き結んで考え込んだ。視線をしばらく右往左往とさせた後、「世話になる」とだけ言って、ツートンカラーのバスの方へと歩いていった。

 妙なことに、リオとアリィの方が、彼女を追い掛けることになる。


 いくら人の居ない廃墟の街であっても、道のど真ん中で立ち往生するのはなんだかはばかられ、アリィはマイクロバスをゆっくりと移動させた。道路の隅に車を寄せた後、後部座席を改造したキャビンでようやく三人ともずぶ濡れの服を乾いたものに交換した。リオは、薄いチュニックの上に緑のジャケットを羽織る。アリィは、白い作業着のズボンに深緑のタンクトップ。そして、ドレスを纏っていた彼女は、今はアリィと同じ恰好になっていた。ただし、アリィとは違い作業着の上も羽織っている。

 格式的な美しさを持つ娘と、機能性を重視した作業着の取り合わせは、あまり釣り合わない。だが、姿勢が良いからだろうか、服が彼女の雰囲気を損なうようなことはなく、娘は氷像のような存在感を放ち続けている。


「私のことは、エカと呼べ」


 自らを人形と称す彼女はそう言った。

 着替えの間に沸かしておいたお湯でココアを淹れて、三人揃って一息吐いた頃のことだ。屋根や窓を叩く雨の所為か空気は冷たく、それだけに温かい飲み物が身体に染みた。

 そうして心がほぐれたのか、彼女のナイフのように鋭い面差しは少しだけ緩み、張り詰めたものが消えていた。触れ難い印象が消え、リオたちも緊張を緩める。


「エカ?」

「名前だ。父が私のことをそう呼んでいた」


 リオはアリィとまたまた顔を見合わせた。名前はともかく〝父〟とは。ますます人間のようではないか。

 それに、とリオはエカを横目で窺う。彼女はマグカップの中身を啜っている。人形なら飲食はしないのではないだろうか。


「父と言っても、製作者だ。便宜上そう呼んでいる」


 そうなんだ、と頷く。飽くまで彼女が人形だと言い張るのなら、いくら追及したところで無駄だろう。こちらも否定できる材料を何ひとつ持ち合わせていないのだから。


 それからリオたちは、エカの身の上を訊き出した。

 長いこと父とこの街で二人暮らしだったこと。

 その父が、少し前にエカを置いて旅立ってしまったこと。

 それからはたった一人で生活していること。

 そして今日、腹が減ったが食糧が尽きていたため、狩りに出ようとしていたこと。


「獲物を捜していると、奇妙な生き物を見つけた。目が光った四角い虫のような」


 どうやら、このバスのことらしい。


「だが、動きが妙なので、様子を見ようと近づいてみた。そうしたら、お前たちがこの四角い虫から出てきたというわけだ」

「虫……」


 アリィが複雑そうな顔で俯いた。自分で修理・改造したからか、アリィはこのバスにかなりの愛着を持っている。それが虫扱いされるのは耐え難いが、自動車を知らないらしい彼女を責め立てても仕方がないだろう、と葛藤している様子だ。


「……で、狩りのほうは?」

「何も」


 当然だろう、とばかりにエカは応える。若干顎を引き、半顔でこちらを見つめるさまは、まるでこちらを責めているようで――それもそうか。彼女はこうしてリオたちに付き合ってくれているのだから。

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