人形の境遇

「……なにか、食べられるものはあったかな」


 キャビン内を見回すリオを見て、アリィは立ち上がった。


「おにぃのスコーンだったら、まだ残りがあったと思うよ」


 アリィは天井から吊り下がったキャビネットに手を伸ばすと、中から籠を取り出した。被せてあった布を取ると、きつね色の砂の塊にしか見えない、リオが昨晩焼いたスコーンが数個転がっている。

 あまりに不恰好なそれにリオは情けない気分になりながらも、籠の中身をエカに勧めた。


「……こんなので良かったら」


 エカはしばらく無表情で籠のなかを覗き込んでいたが、やがて無言でスコーンに手を伸ばし食べ始めた。見た目の繊細さに反した、豪快な食べ方だった。口の中が乾くのをココアで潤しつつ、無言で全てを平らげる。


「足りた?」

「ああ。満足した」


 エカは指先に付いた滓を舐め取る。ほとんど動かない彼女の表情から、スコーンの出来栄えについての評価を窺うことができず、リオはホッとしたような、一方で物足りないような気分になる。もう少し精進しようと心に決めるが、住処を離れたことで、積載した小麦粉の量にが減る一方なのが悩みの種だ。


「そういえば、お父さんの手紙」


 顎に指を当て、ふとアリィは顔を上げる。リオに向けて手を伸ばし「出して」とだけ言った。

 突然の催促にリオは片眉を持ち上げてみせるが、何も言うことなく肩を竦めて立ち上がり、シートの下から缶の箱を取り出した。

 アリィは素早く箱を開け、手紙を引っ張り出す。


「あ、あった。やっぱり。同行者ができたって書いてある。もしかしてこれ、エカのお父さんじゃ――」


 喜々として手紙に視線を走らせていたアリィの声がふと途切れた。表情がみるみる消えていく。


「アリィ?」


 どうかしたのか、と尋ねたが、顔を上げてぎこちなく笑みを作ったアリィは、なんでもない、とばかりに首を横に振るだけだった。

 指先が慌ただしく父の手紙を折り畳む。

 リオは眉を顰めたが、落ち着かなげに瞳を右往左往させるアリィの様子に追及するのを断念した。今は訊かないほうが良い気がして。


「エカは……ここで独りで、お父さんを待っているの?」


 おずおずとしたアリィの言葉に、もともと乏しかったエカの表情がすっと消える。


「寂しくない?」

「……知らぬ」


 エカはぎこちなくアリィから顔を背けた。澄ましたような表情が、不機嫌なものに変化したのをリオは見た。

 だが、アリィには見えなかったらしく、何かに急き立てられているかのようにエカに踏み入る。


「ねえ、もし良かったらさ。私たちと一緒に行かない? ここに独りでいるよりも、きっと――」

「……断る!」


 差し伸べられた手を振り払うような激しい一言に、アリィは息を飲んだ。そんなアリィの様子に気付いて、エカはばつの悪そうな表情を浮かべる。唇を噛み締めて俯いていたが、そのうち何かを振り払うように頭を左右に振った。


「私は、ここに居る」


 低く、言い聞かせるようなエカの言葉に、アリィはシートの上で項垂れた。

 沈みきったアリィから顔を背けたエカは、近くのテーブルにマグカップを置くと、ドアの方へと身を寄せた。手元のレバーを引いてスライドドアを開ける。湿った冷気が吹き込んで、三人の髪を揺らした。


「スコーン、美味かった」


 エカは、リオからもアリィからも頑なに顔を背けたままそう言い残すと、雨の降る中へと飛び出した。

 リオは咄嗟に手を伸ばす。


「待って!」


 しかし、エカの白い背中は振り返ることなく、雨の向こうへと消えていった。




「……行っちゃったね」


 窓からエカが登っていった斜面を見上げ、アリィは呟く。いつの間にかその腕の中には、ミロが飛び込んでいた。青いペンギンは、アリィを見上げて不思議そうに小首を傾げている。


「怒らせちゃった、かな」

「そんなことないよ」


 でも、とアリィは食い下がる。自分の質問で突然彼女が不機嫌になったように見えたから、そのように感じたのだろう。

 リオも窓の外に目をやった。相変わらずしとしとと降る雨。ずぶ濡れになるほどではないが、傘も何もなく外に出るには躊躇ためらうものがある。そんな中を、エカは肩をいからせて登っていった。

 ただ、激情のままに。

 その感情や衝動には、覚えがあった。

 リオもかつて同じような衝動を抱いたことがある。あれは、父が居なくなってすぐのことだった。

 リオは窓から目を離すと、落ち込んだ妹に声を掛けた。


「エカのお父さんがエカを置いていったのに、何か理由があるのか?」


 手紙を読んだときの妹の反応、そして突然の勧誘と、エカの変容。その原因にエカの父の存在があることは、一連の流れを見ていて察していた。

 そしてその理由が父の手紙に記されているだろうことも。

 アリィは黙って、出しっぱなしにしていた手紙を差し出す。機械で打ち込んだかのように正確な文字の羅列を目で追って、文末で視線が留まった。


「……なるほど」


 父の手紙の最後に添えられた一言。端的で、とてつもなく衝撃的なその言葉は、確かにエカに対する同情を覚えるに足るものだった。

 アリィが突然彼女を誘ったのにも納得する。自分たちと似たような境遇、しかし異なる選択。エカの立場は別の道を選択した自分たちの姿と重なった。だからこそ、エカの父が帰ってこない可能性に、アリィは胸を痛めたのだ。


「エカのお父さん、いつか本当にこの街に帰ってくると思う?」

「……どうかな」


 リオは首を横に振った。この手紙にあるのは、父による客観的な事実のみ。エカの父の心など推し量れはしない。

 だが、エカを見る限り、少なからず父を慕っているようだった。それだけのものを、彼女は父親から貰っているはずなのだ。

 彼女が人間であれ、人形であれ。

 どんな形のものであれ。

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