第23話 私のラストチャイム


 年が明けて、新緑の香りを乗せた風が颯々さつさつと吹き過ぎる季節。

 最後の学期の最後の月になった。

 最後の終業の鐘ラストチャイムが鳴らされるのは二十五日。

 卒業パーティーと、その後に行われる卒業認定試験へ向けて、最終学年の私たちは気忙しい日々を送っている。


 パーティーでは、在校生たちが様々な出し物をして、私たち卒業生の門出を祝ってくれる。

 レオニート君は劇で主役を張るらしい。

 そして、その脚本シナリオはポメ君こと、ポフメルキナ嬢が書いたのだそうだ。


「ぜったい、いい劇にしてみせますよ!」


 ポメ君の意気込みがすばらしい。

 どんなものになるのか楽しみだった。


 当日、演劇舞台がある体育館の前列に、年少の生徒たちが整列した状態で床に座る。

 中高学年生たちは、その周囲に運び込まれた椅子へそれぞれ座るのだが、私はジェグロヴァ嬢と共に最前列の特等席を用意されており、多少申し訳なく思いつつも並んで座る。

 父兄たちは立ち見だが、それでもかなりの人数が来ているように思う。


 劇のタイトルは『皇都に咲く花』というものだった。

 ひとりの少年が夢と現実の世界を行き来し、つらい現実から目を背けて、夢の世界に心を寄せてしまう、という難しい主題のものだった。

 しかし、たくさんの助けとなる人物が表れる。

 現実に心をつなぎとめてくれる兄。

 夢は夢であることを辛辣ながらも愛をもって知らせてくれる友。

 ささやかな毎日の幸せに気づかせてくれる隣人たち。


 年少の生徒たちには難しすぎるのではないか、と思っていたが、彼らは固唾を呑んで見守っている。

 そして主人公の少年が自分の心に潜む闇と戦うときには、「がんばえー‼」と方々からたくさんの声が上がり、会場に笑みが広がった。


 最後の少年の言葉が、とても印象的だった。


『ああ、ぼくは、今ここに生きている。

 血が通う、この体で生きている。

 夢はとても美しかった。

 けれどそれは夢なんだ。

 ぼくはもう忘れない、現実にこそ、愛する人々がいることを。

 その人たちこそ、ぼくが幸せにすべき人たちだと。』


 ずっと劇を見ていて、思うところがあった。


『そして……ぼくも幸せをつかむんだ。』


 終幕で拍手をする中、隣に座るジェグロヴァ嬢を見た。

 彼女も複雑そうな顔をしており、私と目が合うと、少しだけ微笑んだ。

 彼女も以前、ポメ君からいくらか聞いたのだ、と言っていた。

『前』の話を。


 あの台詞セリフは、きっとポメ君自身の宣言なのだろう。

 私たちは、きっと彼女を『現実』に留めることができたのだ。


 夕方に差し掛かり、多くの一年生たちは父兄に手を引かれ帰っていく。

 その中、卒業パーティーラストチャイムの最後を飾るダンスが校庭で行われる。

 収穫を控えた夏を迎えるための民舞で、男女が交互になって手をつなぎ、輪になる。

 多くの場合はパートナーと隣り合って踊るので、私の隣には常のようにジェグロヴァ嬢がいた。


 そして、最後の終業の鐘ラストチャイムが鳴り響いた。


 するとどこかから低学年の子たちが出てきて、手に持った色とりどりのものを楽しげに放った。

 一瞬で空がはなやかになる。

 風船だ。

 とても高価なものが惜しげなく使われて、多くの者が喜びの悲鳴を上げた。

 どうやら、ジェグロヴァ公爵が自分の娘と私の卒業を祝うために用意してくれたらしい。


 私はジェグロヴァ嬢の手を取ったまま、舞踏の輪から離れた。

 それぞれの生徒が、思い思いに十一年間を振り返り、笑ったり泣いたりしている。

 私もいろいろな事を思い出しつつ、それでもこの一年が一番充実したものであったと思った。

 少しだけ静かなところに着くと、私はジェグロヴァ嬢に向き直って、かねてから言いたかったことを口にする。


「君が刺されてしまったとき、私は、私が憎くてしかたがなかった」


 ジェグロヴァ嬢は私の目を真っ直ぐに見た。

 その緑の瞳はとても美しい。


「あのとき、いろいろなことを考えた。

 君を失ってしまう可能性に恐怖した。

 そしてやっと気づいた、私は君を愛している」


 瞠目して、彼女は絶句する。

 そして大粒の涙をひとつ落とす。

 私はひざまずき、その白い指先に口づけ、願った。


「あなたを名で呼ぶ許可をいただけますか……イネッサ・ジェグロヴァ嬢」


 それは家族のように親しい間柄になりたい、という意志表示だ。

 国益のための婚約である私たち。

 それぞれの気持ちが考慮されたわけではなく、ただ一番都合が良かっただけ。

 だからこそ、あらためて私からの言葉が必要だと思った。


 涙を拭うと、ジェグロヴァ嬢はつんとすまし顔を作って言う。

 そのくせ、隠せない笑みが口元にある。


「とうの昔に婚約が成されておりますのに、いまさらなにを。

 まあ、今日はお花ではなくご自身でおっしゃったことですし、べっ、べつに許して差し上げてもかまいませんことよ!」


 私は微笑んで立ち上がった。

 そのか細い躯を腕に抱き入れ、真っ赤な耳に「ありがとう、イネッサ」とつぶやいた。

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