第15話 私はなにを為すべきか


 私の婚約者である、イネッサ・ジェグロヴァ嬢が、通り魔のような者に刺された。

 手術は問題なく終わったとは聞いた。


 なにも手につかず私は呆然としている。

 なにかをしようとして立ち上がれば、それがなんだったのかを思い出せずにまた席につく。

 早朝に浅い眠りから起き上がってから、ずっとそんなことをしている。


 腹心の従者が現段階での憲兵団による調査報告を持ってきた。

 私はすぐにそれを読み解くことに取り掛かる。

 通り一遍の文字が意味を成さずに羅列されている。

 関わるすべての者を叱りつけたい、私の婚約者が生死の境をさ迷っているというのに、この体たらくはなんなのだ。


 申し訳程度に添えられた資料に、なぜかポフメルキナ嬢の名前が記されていた。

 目を通すと、彼女は王党派ジヤコフ伯爵家が関与していると述べたらしい。

 なぜ彼女がそんなことを知っているのだろうか。

 根拠はないらしく、備考欄に『夢で見た』と記されていた。

 さすがにそれでは調べようがないだろう。

 もしかしたら彼女は事件を目撃し、強い衝撃を受けて心身が不安定になってしまったのかもしれない。

 しかし、他になんの手がかりも証言もない状況だった。

 そのゆえに、私は従者にジヤコフ家について調べるようにと告げた。


 見舞いには、どんな花が良いのだろう。


 面会時間早々に到着できるように調整した。

 伺いを立てたらもうすでに弟のレオニート君が来ているという。

 私は庭師の奥方から受け取った花束の意味を、先日秘密裏に入手した『どきどき☆花言葉辞典』にて確認した。

 問題ないと判断し持参する。


 私を迎え入れたレオニート君は少しあきれたような顔をして、「今もらっても、お姉ちゃんが見られないじゃないですか」と言った。

 なるほど、たしかに。

 人に物を贈ることなどないからなにが相応しいかわからず、花しか思いつかなかった。


「今度はなんの花ですか?」


花車ガーベラを、そして小さい花は金盞花オステオスペルマムと言うそうだ」


「……おす……?」


「オステオスペルマム」


「……ここに書いてください」


 制服は着ていないが、鞄は持って来たらしい。

 ノートと筆記具を取り出してレオニート君は言う。

 私は付き添いの侍女に花を預け書き込んだ。


「……お姉ちゃんが起きたら、知らせなくてはいけないので。

 どんなお花を持ってきてくれたか」


 鞄にしまいながらレオニート君はつぶやく。


「すごく、喜ぶと思います」


 うつ伏せに眠るジェグロヴァ嬢の姿を見る。

 横向けた顔は固く目を閉じ、寝息すら聴こえず静かだ。

 だが安らかではないのだろう。

 青ざめた肌が一層彼女を人形じみてみせている。

 ……以前は顔を赤らめて、花束を受け取ってくれたのに。

 言いようのない気持ちが胸をよぎった。


 一時間ほどを病室で過ごした。

 けれどまだ親族ではないのだから、本当はすぐに立ち去るべきだったのかもしれない。

 レオニート君ととりとめのない話をした。

 学業のこと、それぞれの家族のこと。


 私が腰を上げたとき、レオニート君はつぶやいた。


「――お姉ちゃんは、あなたのことが好きなんだ」


 私は真っ直ぐにその目を見返した。


「お姉ちゃんを不幸にしたら、許しませんから」


 私は、ただうなずくことしかできなかった。


 胸の中になにかがつかえているような気分だ。

 つらいのではない、苦しいのではない、ジェグロヴァ嬢の姿を見たときに生じたのはただ静かな悲しみだった。

 大変な状況だというのに自分ではなにも為せないというのは酷く心を落ち込ませ、怒りに似た気持ちをも抱かせる。

 そして私は自覚した。

 私は、たしかにジェグロヴァ嬢を恋している。

 こんなことがなければ気づけないだなんて、あまりにも自分が情けなかった。


 暢気に学園に行っている場合ではない。

 私は憲兵団の陣頭指揮現場を視察しようと病院を出る。

 為せることはないと嘆くのはやめよう。

 ジェグロヴァ嬢は闘っているのだから。


 待たせていた馬車に向かう前に、病院の正面玄関の外でうろうろしている少女の姿を見かける。

 ポフメルキナ嬢だった。

 私は咄嗟に声をかけ、彼女は振り向いてほっとしたような様子を見せた。


「残念ながら、関係者以外は面会謝絶だ。

 私は婚約者として入れてもらえたが」


「……はい、でも、気になって」


「手術は成功したよ。

 あとは、本人の体力次第とのことだ」


「……そうなんですね」


 青褪めた顔をうつむかせて、ポフメルキナ嬢は言う。

 私は「座らないか」と病院敷地内のベンチを指し示した。

 彼女には尋ねなければならないことがある。

 並んで座って、すぐに私は用件を切り出した。


「ジヤコフ伯爵家について憲兵団で証言したね」


「はい」


 確信を持ってはっきりとうなずく彼女は、熱に浮かされているようでも心身が不安定なようでもない。


「君がその情報を手に入れたのはどういうわけだろう? そして根拠は?」


「……どうお伝えしたらいいのか……昨日からずっと考えていました」


 どこか遠くを見つめるように目をさ迷わせて、しばらく後にポフメルキナ嬢は私に向き直った。

 急かすことなく私はその言葉を待つ。


「長くて……不思議な話になります。

 信じていただくことも難しいとは思いますが、私が憶えている情報は、すべてセルゲイ様にお知らせすると決めました。

 聞いていただけますか」


「もちろん」と私は即答した。


 くしゃり、と泣きそうな顔で微笑んで、ポフメルキナ嬢は話し始めた。

 とても奇妙な、『前』の話を。

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