第5話-2

「ほん! とーにっ! 申し訳ございませんでした!」

 意識がなかったあいだの事情を全て聞いた跳躍の魔女クレイジーブーツはヨニが迷惑をかけた相手に頭を下げに行った。真横で意味もわからず頭を下げさせられるヨニの頭には疑問符がたくさん浮かんでいる。

「俗世のこと何もわかんない人なんです! ごめんなさい!」

「い、いや水の一杯くらい気にしてねえからよ……」

「わ、私もパンケーキは魔術師さまに奢って頂けましたし……。お気になさらず」


 宿泊部屋に戻った魔女とその連れは元勇者オリンドだけを招き、改めて謝罪をした。

「本当にごめんなさい。でも取り出し方がわからないから今すぐどうこう出来ないの……」

「つまり、その魔眼の上位者とやらが取り出さない限り風の聖剣は返ってこないんだな……」

「そうです」

肩を落とす魔女一行とオリンドの横で上位者ヨニは目を瞑って佇んでいる。

「そもそも取り出せるかもわかんねーからな、こっちは」

「何……!?」

「いや、だってそうだろ。ブーツの腹ん中に入れられたんだぞ? 人間の体に大振りの剣が一本丸々入ると思うか?」

「そ、それはだから魔法じゃ……」

「そう。多分魔法だ。魔術と魔法は大きく異なる」

「……そういや真面目に考えたことなかった。何が違うんだ?」

フォルカーはオリンドのために鞄から小さな黒板とチョークを取り出した。机の上に置いた黒板にフォルカーは図を描いていく。

「まず共通して奇跡ってのは、天理と呼ばれる世界の法則に対し自分からアプローチをする。天理に接続する方法を計算と術式に落とし込んだのが魔術。人族が古来から工夫してきた学問だ。火をおこすために詠唱や術式を用いて火を点ける。火を興すだけなら火打ち石で済むところをわざわざ魔術にしているのは、着火する場所や火の大きさ、どれくらいの時間燃やしたいのかを術者が好きに操るためだ。一方、魔法と呼ばれる現象は計算式を用いない。術者の身体感覚がそのまま天理に通じるようになってるから考えただけで奇跡が起こせる」

「……魔法の方が強そうだな」

「その通り。魔術では魔法の速度と威力を越えられない。計算式を含む魔術は詠唱にしても術式にしても考えてから出力するまでに一定の間隔が発生する。ところが魔法は術者の感覚だから基本は考えればそのまま叶う」

「基本は?」

「この上位者に限った話だが詠唱を用いた魔法も存在する。太古のエルフは魔法を使っていたがどこかで魔法を失った。その残滓ざんしが今の魔術の基礎になったと言われている。詠唱による天理への干渉は魔法使いたちもやっていたんだろう」

「ほ、ほお……」

「他にも細々した違いはあるがざっとそんな感じだ。で、お前が気にしていたって部分だが、無理だ」

「何でだ? 奇跡は奇跡なんだろ?」

「魔法はその魔法をかけた術者にしか解除できない。かけられる瞬間魔法の威力と効果を魔術でそぐことは出来ても根本的な解決はできない」

「げっ」

「だからお前の剣がどうなったのか推測はできても俺たちには何も出来ん」

「な……!」

「だからこの上位者に頼めって言ったんだよ。話が通じるならだけど」

オリンドは青い顔でヨニの寝顔を見た。上位者は立ったまま眠りの園に出かけている。

「あ、あのさ……」

魔女クレイジーブーツはそろりと手を挙げ二人の話に加わる。

「その、剣がどこに行ったかなんだけど……」

「お、心当たりがあるのか?」

「私のお腹にはないってことだけは分かる。体重が増えた訳じゃないし、体に異常が出た感じもしない」

「そりゃ有益な情報だ。つまり風の聖剣はブーツの腹を通して別の場所に送られた。なら次はどこに送られたかだ」

「そうだよね……」

魔女と魔術師は思考にふけろうとしたが、元勇者オリンドは大きな溜め息と共に顔をおおった。

「その間どう生活しろってんだよ……」

「あ」

「そっか。得物えものがないから生活手段がないのかお前」

「そうだよ……」

顔を見合わせた魔女と魔術師はおおよそ同じことを考えていた。

「それなら解決するまで合同パーティを組みましょう」

「え?」

「元勇者なら普通の剣も振れるでしょ? ヨニが聖剣を飲み込んじゃった責任はパーティリーダーの私にあるから、私たちがしばらくあなたの依頼に付き合う」

「普通の剣ったって資金が……」

「準備資金も負担するわ」

オリンドは真剣な魔女と魔術師の顔を見つめ、止まっていた日々が急に動き出した不安と恐怖を覚えつつも、落ち着いて考えれば選択肢などないのだと頷いた。

「じゃあ、世話んなる」

「よろしく。跳躍の魔女、クレイジーブーツよ」

元勇者の剣士は十六歳の少女の手を取った。

「オリンド。元、風の勇者オリンドだ」


 オリンドは久しぶりにギルドカードを受付に提出した。無期限の合同パーティを組んだオリンドとブーツ一行はまず簡単な採取クエストから始める。

「金がねえならねえって言えよ……」

 近くの林で薬草を摘みながらオリンドがぼやくと魔女ブーツはフンと鼻を鳴らす。

「剣一本すら買えませんなんて正直に白状したらあなたは許可しなかったでしょう?」

「そりゃあな」

「責任は取るわ。魔女に二言はないの」

「ホントか? うちの魔術師の知り合いは魔術に関わってる連中なんて詐欺と嘘にまみれてるって話してたぞ」

「そう言えばお前仲間は?」

一番触れてほしくなかった部分を口に出されオリンドは手を止めた。

「本当に阿呆ォルカーね。一人で申請した時点で察しなさいよ」

「あ?」

「こいつ昔からデリカシーないの。ごめんなさい」

「んだと靴べら」

「いや、いいよ。仲間は……この山の上にいる」

「上?」

オリンドは立ち上がるとそびえ立つドラゴンローズの高い山を指した。

「山頂付近。あの雲がかかってる辺り」

「そう。それなら迎えに行かなきゃね」

魔女の言葉に元勇者は目を丸くした。

「何?」

「い、いや……」

「まさか放置する気だったの?」

「気じゃなくて放置してきたからな……」

「何年?」

「……十年」

「そう。でも今は私たちがいるし一人一体は担げるでしょう」

「簡単に言うな。歩荷ぼっかの仕事したことあるのか?」

「ないわ。これからするの」

「……一度決めたら譲らねえタイプかお前」

「まあね」

「そ。まあ、仲間を拾うのは俺の鈍った体がしゃっきりしてからだな」

「そうね」


 採取を終えた魔女たちは受付へ戻ると立て続けにポーションの納品クエストを受注した。水場を借りた魔女と魔術師は休む暇もなくポーションを作り始める。

「何でポーション? それも下級……」

「私とフォルカーなら下級は何も考えずに作れるから。量産は簡単だし」

ブーツこいつは手が暇な時ひたすらポーション作ってたな。学生時代」

「そのせいでレベル上がりすぎて先生に止められたけどね」

「どんだけ作ったんだよ……」

魔女たちはポーションを目標数作ると納品し、昼食を挟んで再び同じクエストを受注する。水場に戻ってきてまたポーションを作って納品すると半日の稼ぎにしてはそこそこの値段になっていた。


 夕方、食事をしながら魔女ブーツは夜用に張り出された魔術師と魔女向きのクエストを掲示板近くのテーブルで眺めた。フォルカーは当たりをつけるとフリーの依頼書を二、三枚引き剥がして持ってくる。

「上級ポーション、解毒剤のダブル納品。夜光虫の採取なら二手に分かれていけんだろ」

「そうだね、じゃあ……」

上位者ヨニはポーションの納品依頼書を取ろうとするブーツの手首を掴んだ。魔女が見上げると月の瞳は不満そうに少女を見つめている。

それ以上魔力を使うな。

また、声なき声がオリンドの頭に響いた。

「……病み上がりなんだから午後クエはやめといた方がいいんじゃないか?」

「え?」

「なんかそいつそんな感じの顔してるし……」

ヨニは跳躍の魔女に覆い被さって額に口付ける。そのまま背後から抱き締められてしまった魔女は仕方ないと肩をすくめる。

「わかった。大人しくしてる」


 ブーツが就寝準備に入りフォルカーが納品用のポーションを作りに水場へ向かうと、オリンドは彼らの目を盗んで一人で掲示板に向かった。

(何でもいいから魔物の討伐とか……。いや、装備の回収が先か)

掲示板を熱心に見るオリンドの背後に誰かが立った。元勇者がすぐ振り返るとそこにいたのは上位者ヨニだった。

「……魔女さんはいいのか?」

月の瞳はじっとオリンドを見つめる。元勇者はいつの間にか一枚の依頼書を掴んでいた。

ハッとして見た紙には中級者向けの魔物の討伐依頼が記されていた。

「い、いや剣もないし……」

だがオリンドの足は勝手に受付へ向かった。焦る本人とは裏腹に彼の腕は依頼書を書記官に差し出す。

「あ……“ヨニと二人で行ってくる”、え!?」

「かしこまりました」

「い、いや俺は……!」

元勇者は傍目には上位者を引き連れて仕事に出かけた。その姿を冒険者たちは呆然として見送り、オリンド自身は制御の効かない体に困惑しっぱなしだった。


 陽が地平線よりも低くなった頃、オリンドは山の中腹の茂みに潜んでいた。傍らではヨニが瞳を伏せて佇んでいる。

「……あのよ」

オリンドが話しかけると剣士はまぶたを持ち上げた。あふれ出した月光は周囲をわずかに照らす。銀の光を見たオリンドはやっと自分の意思で体を動かした。

「お前俺に魔法かけたのか? 剣もないのにどうやって魔物を倒すんだよ? その腰にぶら下げてるモン貸してくれる訳じゃねえだろ?」

元勇者は上位者が腰に提げている剣が聖剣だと勘づいていた。

この世には聖剣と呼ばれる聖具がいくつか存在している。正確な数はわからない。時代ごとに違うからだ。聖剣は持ち主を失うとどこかへ消え、必要とあれば再び世に現れる。そして聖剣は持ち主以外には操れないはずだった。

(聖剣の所持者同士が遭遇する機会は早々ない。こいつが俺の聖剣を手にできたように逆もあり得るのかもしれないが……。いや、まずないな)

月の瞳は静かに前を見据えている。オリンドは溜め息をつくと獣を解体するための大振りなナイフを取り出した。

「失敗したらお前のせいだからな」


 元勇者オリンドは上位者ヨニが歩く後ろをついていった。月明かりに照らされる山道。明るいからこそ濃い闇の中に魔物の不気味な目がギラギラと光っている。依頼書に書かれていたのは中型の魔犬一匹。しかしヨニたちが踏み入った木陰には少なくとも五匹の魔犬が群がっていた。

(どうすんだこれ!? 自分で倒してくれるんだろうな!?)

「……“本質は形にない”」

「は……?」

「“頭巾は僧を作らず”」

「な、何だって……?」

魔犬の群れは容赦なく二人に襲いかかる。オリンドは何とか攻撃を躱し、ヨニは微動だにせず魔犬の体を弾く。

「何だその都合がいい魔法!」

オリンドは解体ナイフで魔犬の心臓を突き刺した。しかし魔物はそんなことで死にはしない。体勢を整えれば再び襲いかかってくるだろう。

「おい手伝え! 腰に立派なモン差してんだろうが!」

つまらん、その程度か。

「はぁ!?」

上位者は右手を差し出した。頭上に星雲が立ち込め、手の平に向かって小さな星が真っ直ぐ軌跡を描いて落ちてくる。上位者は星の光を掴むとそれを剣のように振るって魔物を切り裂く。踊り子のように光の軌跡を描いた上位者が立ち止まる頃には、魔犬の群れは消えていた。

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