第5話『嵐の大洋、竜への道』

 高い山脈は空を裂くようにそびえ立っていた。変わりやすい天気、冷たいのに暑い山肌。晴れ間と暗雲が同時に見える。

トーラーの少年は黄金に輝く聖剣を手に銀の竜を相手にしていた。ポーションは尽きた。自らの魔力もそう残っていない。旅を支えてくれたエルフの魔術師とトーラーの傭兵、僧侶は物言わぬ肉塊となって倒れている。

少年は聖剣を掲げた。空気を切り裂く悲鳴と共に。竜の血が少年の黒髪を濡らすのを見ていたのは太陽だけだった。




 アウレム王国の西、竜へ至る道ドラゴンロードの先。その村はまさに竜を拝むために作られた祭壇を中心としていた。冒険者の始まりの地とも呼ばれ、冒険者が行き着く果てともされる。村の名はドラゴンローズ。竜の骸から生えた血濡れの薔薇を名産とする辺鄙へんぴな村だった。


 ドラゴンローズの冒険者ギルドには一人の男がいた。黒い髪に青い瞳を持つ男はかつて聖剣を振るった勇者だったが、聖剣は背負われるままでこの十年抜かれた試しはない。元勇者は名をオリンドと言った。二十五を過ぎた男はドラゴンローズの冒険者ギルドでは腫れ物扱い。銀の竜を仕留め、王宮からあらゆる報酬を受けたはずの勇者は毎日集会場の酒場で酔い潰れていた。


 ドラゴンローズでは毎日新人がやってきて毎日新人が消えていく。ここにはランクの低い初心者から上級者まで相手ができる魔物と幻獣が豊富にいる。新人は手慣れた先輩の後ろについていけば難なくランクが上げられたし、中級以降は自分たちが新人を教えながらさらに上のランクを目指せた。


 今日もまた一組の新人たちがやってきた。この村では男をパーティリーダーに据え置くことが多いからか冒険者たちは浅黒い肌の魔術師を見たが、受付にギルドカードを出したのはそばに立つ小柄な魔女だった。

「クエスト完了の受理をお願いします」

「かしこまりました」

金髪碧眼の見目麗しい書記官スーザンは慣れた仕草で魔女たちのカードを確認する。冒険者たちが魔女を気にし始めるころ彼らの視界にやっと白いフードを被った月と星の民が映る。

「お、おいあれ……」

「噂になってるあいつか?」

「まさか」

周囲が騒がしくなりオリンドはやっとエールが入ったジョッキを下ろした。茶色に金糸の装飾の魔女服に袖を通した少女はオレンジの髪と金の瞳。まるで太陽の化身だと見惚れるオリンドの前で小さな魔女は白いフードの男の手を引いた。白いローブの男は腰をかがめると薄い唇で魔女の額に触れる。

(見せつけやがって……)

オリンドは面白くなかった。せっかく綺麗だと思った少女にはとうに男がいた。そしてその男は腰に大振りな剣を差していて、剣士なら聖剣を持つ自分の方が上だと思った。

小柄な太陽は白い剣士に抱きついた。剣士も彼女を抱擁し、姿勢を戻すとギルド内をふっと見渡した。青白い月光を放つ瞳を見た冒険者たちはそれが魔眼だとわかり、わかっていても身がすくむ美しさと恐ろしさに震えた。

「ほ、本物だぞ……」

「やべえこっち見てる」

ただでさえ人がいないオリンドの周囲から冒険者が立ち去る。月の瞳は静かにオリンドを見つめていた。

「ヨニ? 何が気になるの?」

金の瞳もオリンドを見た。月の瞳の剣士はゆっくりオリンドに近寄った。小さな魔女は彼の手に引かれオリンドの座るテーブルを前に立つ。

「あー、えっとこんにちは」

魔女は年相応の表情でにっこりと笑った。

少女の笑みに気を取られた元勇者は月の剣士が伸ばした手に気付かなかった。バチン、とデコピンされたオリンドは仰向けに倒れ、慌てて起き上がろうにも体に力が入らなかった。

「なっ……!?」

月の剣士は続けて魔女の額をスッとなぞり、額に月の模様が浮かんだ少女は同じように力を失って倒れた。ただし彼女の場合は上位者が優しく受け止めた。

「ヨニィ!?」

魔眼の上位者は足でオリンドを転がすと背中にくくり付けた聖剣に手を伸ばした。持ち主以外の手を受け付けないはずの聖剣はすんなりと主導権を上位者に譲り、聖剣を持った上位者は床に仰向けになった魔女の腹へ突き立てるよう真っ直ぐに向けた。

「ちょ!!」

「なん!?」

魔女も元勇者も大層焦った。魔女の仲間と思われる魔術師と少年は片や興味津々、片や顔面蒼白で冷や汗をダラダラと流している。

「ヨニ待って!? いま何しようとしてる!? それ刺すの!?」

「おもしれー。何するんだ?」

「面白がらない!! 阿呆ォルカー!!」

「こんな面白いことあるかよ」

月の剣士は両手で握った聖剣をやや上に持ち上げた。

魔女は思わずギュッと顔中の筋肉を中央に寄せる。

「それ痛くない!? 痛くないよね!? 大丈夫だよね!?」

大丈夫、と声なき声が告げた。

オリンドは思わず自分の耳を疑った。

「大丈夫!? 信じるよ!?」

オリンドも周囲も見つめるしかない中、剣士は魔女の腹に鞘にしまわれたままの聖剣を突き立てた。剣はまるで水面に飲まれるように魔女の体に沈んでいく。

「フォルカ〜! 今どうなってる!?」

「半分ぐらい入ってんな」

「おぎゃー!!」

魔女が叫ぶ頃には聖剣は姿を消していた。上位者は剣を入れたであろう下腹部に手の平をそっと置くとその姿勢で目を瞑り、ややあって目を開いた。魔女は剣士に抱きかかえられるとソファへ連れて行かれた。野次馬は魔女一行を避けてサーッと割れる。

ソファに寝かされた魔女は剣士からのキスを額に受け、起き上がろうとして剣士に止められた。

「え、何? 寝てないとダメ系?」

月の瞳は穏やかに少女を見つめると顔中にキスを落とした。

「ああ、はいはい。休むからせめて部屋借りてからでいい? さすがにここはちょっと……」

元勇者は放置され、ギルドの個室を借りて出て行く魔女一行を見届けるほかなかった。


「ってコラァー!! 人の聖剣返せ!!」

 突然現れた新人に長年の得物を横取りされたオリンドは魔女一行の宿泊部屋に怒鳴り込んだ。

「お、コイツ自力で魔法から脱したのか? すげえな。どうやったんだ?」

ギルドの中で比較的大きな部屋を与えられたパーティは、低い机で書き物をしたりバゲットに肉がぎゅうぎゅうに詰め込まれたサンドイッチを頬張ったり、ベッドで横になったりその傍らで寝顔を見つめていたりした。

「剣……て、あれ」

オリンドは静かに目を瞑っている魔女に近付いた。少女は静かに寝息を立てていた。金色の美しい瞳は今だけ髪と揃いのオレンジ色のまつ毛の下で休んでいる。

「あの後すぐ寝ちまったんだよ」

「な、何で……?」

「何でって言われても」

「俺の聖剣はどこに行ったんだ!?」

「俺に聞くな」

浅黒い肌の魔術師は羽根ペンを紙の上で滑らせていた。魔術師たちが独自に作り上げた魔術文字は模様のように見えてオリンドには内容がさっぱりわからない。

「魔術師だろ!? さっきの魔法だって何だったのかわかるはずだろ!?」

「馬鹿言え。分かってたらその上位者を連れて旅なんてしねえ」

「じ」

オリンドが振り向くと月の瞳が真っ直ぐ元勇者を見つめていた。

偽物じゃない、本物の月光だ。それが人の目玉になっている。瞳孔どうこうがない人間がこの世にいるだろうか? いいや。

月は月だった。美しかった。恐ろしかった。

オリンドは思わず一歩後ずさった。

「うーん、聖剣を人体にしまうって史実も伝承も聞いたことないし……謎すぎるな」

「つ、連れがあんなことになったのに随分冷静だなあんた」

「魔術師ってのは寝食より知的好奇心の方が優先なんだよ」

「酷え……」

「民間人からすれば薄情に見えるだろうな。その自覚はある。けど」

魔術師フォルカーはベッドで深く眠る小さな魔女に視線を向ける。

「俺たちは目の前でわからないことが起きたらまず調べる。考える頭を止めるな。それが魔術への第一歩だからな。ガキの頃から染み付いてんのさ。ま、立場が逆ならそのチビ魔女も俺と同じようにしただろうよ」

元勇者は久しぶりに耳長族エルフの魔術師を思い出した。白髪に近い金髪をした緑の瞳の魔術師は見知らぬことをすぐ興味深そうに聞いてきた。

「……ああ、そんな奴もいたな」

「ん?」

「何でもねえ。で、聖剣はいつになったら返してくれるんだ?」

「そこの上位者に聞け」

オリンドが固い表情で振り返ると月の剣士は元勇者への興味を失い眠る魔女に口付けていた。

「えっ……」

その花の蕾のような唇に。

「おい!!」

「あ?」

「今キスしてたぞ!!」

「しょっちゅうしてる」

「口にもか!?」

「口だぁ!?」

フォルカーが慌てて立ち上がると月の剣士はしれっと真顔で姿勢を正していた。

「てめえとうとう手ェ出しやがったな幼女趣味!!」

「幼女……?」

「十六歳なんか幼女だろうが!!」

オリンドはポカンとしてフォルカーの顔を見つめた。

「……ああ、三百まで生きる魔術師から見ればそうなのか」

月の剣士ヨニは元勇者オリンドと魔術師フォルカーの表情を見ると眉間に皺を寄せて口の端を上げた。皮肉めいた笑顔に二人の男はカチンとくる。

「てめえやっぱりこっちの言葉わかってるだろ!?」

「何だ今の顔!! おい!! 剣返せ!!」

上位者ヨニはまたそうして真顔に戻ってしまい、二人の男は集会場に響き渡るほど怒鳴り続けた。




 翌日、翌々日と魔女クレイジーブーツは目を覚さなかった。

上位者ヨニは片時も彼女のそばから離れず、体を拭いたり水を飲ましたりとにかく何でも世話をしようとしたので、さすがにギルドに報告して女性たちが割り込んだ。

そして上位者の対応などブーツ以外に出来る訳がなく、ヨニは好き勝手に行動した。食堂に顔を出すと傭兵の飲み水を勝手に飲んだり、僧侶の女性が楽しみにしていたパンケーキを掻っ攫って魔女に食べさせようとしたり。上位者の俗世的な行動は観察できたもののフォルカーもオリンドも振り回されヨニの代わりに周囲に頭を下げることになった。


 跳躍の魔女が目を覚ましたのはさらに翌日だった。オレンジ色のまつ毛が持ち上がり金の瞳が現れると真っ先にその顔を覗いたのは月の瞳だった。

「……ヨニ」

上位者は目を伏せて唇で魔女の額に触れた。いつものように。魔女は体を起こし目元をこすった。

「んん……」

「あっ! 起きた!」

魔術師フォルカーを含む男たち三人が部屋に慌ただしく入ってくると十六歳の魔女はぎょっとしてシーツで寝間着姿を隠した。

「ちょっと! こっちは寝巻きなのよ!?」

「あーはいはい悪い悪い。このまま眠ったままだったらどうしようかと思った。丸三日寝てた自覚あるか?」

「三日!?」

魔女は従者アルフの顔を見た。

アルフは何度も頷き、隠していた不安があふれ涙を浮かべる。

「ま、マスター……」

「ああっ! ごめんねアルフ!」

アルフは腕を広げた主人の胸に勢いよく飛び込んだ。

「ご、ごめんね。放置して……」

再会の感動をしばし堪能するかと思われたアルフはすぐにパッと体を離した。少年の顔はりんごのように真っ赤だ。

「……あの」

「ん?」

「す、すみません……」

アルフはろくに人に触れたことがなかった。それゆえに乙女の胸がこんなにやわいものだと思っておらず、彼は不意にを意識してしまった。

フォルカーとオリンドは少年が何を恥じらっているのかに気付くと彼を魔女からベリッと引き剥がした。

「ガキがマセてんじゃねーよ」

「ん?」

魔女自身は気付いていない。

いい歳をして嫉妬する男二人と恥じらう少年をよそに上位者ヨニは魔女クレイジーブーツの両頬をそっと包むと堂々と口を吸った。

「ああ!?」

「お前抜けがけしやがったな!?」

「ぬっ……?」

呆気に取られる魔女を置いて男たちは顔を見合わせる。

(ここにいる全員ライバルか……!?)

(こいつ十六歳は幼女とか言ってなかったか……?)

(ま、マスターのやわらかいところを触ってしまった……! もうまともにお相手できる気がしない……!)

「……みんなどうしたの?」

魔女が呆然とする間、男たちの感情は好き勝手に揺れ動いていた。

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