第2話-2

 時計が午前十一時を回り、魔女と魔術師たちの元には紅茶と軽食が届けられた。それとほぼ同じくして魔眼の下位者が連れてこられる。トーラーの少年は暖炉のそばで火の粉を被ったような焼けた灰色の髪にボロ切れを着て目を眼帯で覆われていた。その様相から人身売買によってここに至ったと察した双子魔女は少年にどう接していいか分からなかった。

「よく来たわ、魔眼の子。言葉はわかる?」

こう言う時、水晶の魔女クオーツはある意味冷酷だった。奴隷は奴隷、平民は平民、貴族は貴族と割り切っていたから。かく言うクオーツは貴族出身で身分の高い女性だった。只人だった夫の侯爵が先に亡くなると、クオーツは貴族の生活から脱却した。息苦しい社交界に嫌気が差していたから。それでも時折、こうして彼女の中からは身分の高い女の振る舞いが滲み出た。

「はい、レディ」

「よかった。言葉も話せなかったらどうしようかと思っていたのよ。じゃあ、この場にいる上位者の意思を翻訳して?」

「はい、レディ」

眼帯を外された少年は視線を落としたまま月の瞳の剣士と魔女ブーツの前に立った。

「月の香りがする方、無礼をお許しください。仕事ですので」

少年は視線を上げ、薄紫色の瞳で月の瞳と対峙した。

「うっ……!」

少年は剣士の瞳を一瞬見ただけで激しい頭痛に襲われ、それでも月の瞳を見続けた。魔女クオーツは魔眼保持者の口から何が聞けるか楽しみににこにこしている。クオーツの弟子二人は彼女ほど露骨ではないが興味深そうに少年を見つめた。その光景を前に青ざめる双子をよそに。

「……ま、“魔術師や魔女の魂胆は見え透いている”」

「あら」

「“我ら星見に関わった魔術師と魔女にろくな結末は待っていない……。” う、くっ……。それから……」

「それから?」

「“双子に手を出した者全てに相応の報いを”……」

「なるほど。もういいわ」

魔眼の少年は頭痛から解放されるとその場にへたり込んだ。魔術師たちの弟子、クオーツにとっては孫弟子の者たちが魔眼の少年を回収し部屋の隅に移動する。

「相変わらず私たちは上位者に嫌われているようね」

「そのようですね」

「でも双子は特別みたいですよ。何故でしょう?」

「気にいる要素があるはずよねえ……。まあ、残りは隻眼に任せましょう」

クオーツはそう言い放つと紅茶と軽食に手を伸ばした。


 食後、ギルド長オイヴァ直々の依頼により跳躍の魔女クレイジーヒールとクレイジーブーツはクオーツの弟子二人と共に西の森の奥深くへと出かけた。魔眼の少年も連れて八人と言う特殊なパーティ編成を組んだ一行はいつ魔物が飛び出してもおかしくない獣道をひたすらに歩く。双子が先頭。その背後に上位者とヒールの使い魔ブルームが並び、少し離れて魔眼の少年。一番後ろがルーカスとフォルカー。

(上位者が何するか観察って言うけど目的もなく歩くのってどうなの?)

(さあ? 観察できれば何でもいいんじゃない?)

(魔術院ってそう言うところあるよね。さっきの坊やの扱いもだけどさ)

(そうね。ああ言うのが嫌でさっさと卒業したんだもの)

双子は真後ろについて離れない魔眼の上位者たちに振り返った。大柄な剣士も女性も双子の顔を見ると目を細めたり微笑んだりした。

(気に入られてるのは本当みたい)

(案外目を見つめても大丈夫かもね)

(実はさっき一瞬見ちゃった)

「バカじゃないの!?」

「しーっ! 声に出てる!」

魔物が跋扈する深い森で叫べばどうなるか? 案の定そばの茂みから魔犬が飛び出し襲い掛かるが、魔物は真後ろにいた上位者のどちらかが放った星の魔法によって体を穴だらけにされ塵へと変貌した。

「うわ」

「瞬殺」

使い魔ブルームはまた仕事を横取りされた気がして魔眼の男をムッと見上げた。魔眼の剣士は素知らぬ顔。その後方では魔術師ルーカスが魔眼の少年に声をかけた。

「今の反応、上位者は何を感じていた?」

「はい、ミスター。森に入ってから警戒を解いていないので想定通り動いた、と言う気配しか分かりません」

「そうか。些細なことでいいが、上位者の、特に剣士から受け取った印象を今のうちに話してくれ。先生の前では言いにくかっただろう?」

少年は身分差に慣れきった魔女クオーツを思い出して俯き、上位者たちに続いて歩く。

「……はい、ミスター。月の香りの方は初めにこうお伝えくださいました。“お前の目は我ら星見の残滓ざんし。砂にも満たないちりだ”、と」

「丁寧な言葉に直せばそうなのだろうな。直感としてはどう受け取った? 感覚の方を優先したらどんな言葉になる?」

「……“視界から消えろゴミ”、です」

「なるほど」

ルーカスは歩きながら羽根ペンと紙を浮かせてメモを取った。

「下位者は上位者から見れば取るに足らない存在だとは推測が出ていたが、その通りだったな。フォルカーも今のうちに聞きたいことは聞いておけ。先生の前だと色々面倒だろう」

「俺はいい。まだまとまってないのもあるが、剣士に思いっきり反感を買った理由を考えてる」

「そうか。ただ口が悪かったからだと思うか?」

「いや、別の要因があると思ってる。でもそれが何なのかは分からん」

「本人がわからないのではメモの取りようがないな」

 一行はその後も西の森をただ歩いた。やがて森の中央に差し掛かり、それ以上進むには上級冒険者の資格が必要だと示す赤い縄が木の幹に縛り付けられていた。目印を見つけた双子は足を止め先輩魔術師たちに振り向く。魔術師たちは双子の前まで歩いて寄った。

「目的地まで着いたけどどうする?」

「何の成果もなく帰ると先生が不満だろうからな。何かしら新しい報告が出来る事項を見つけたいところだが……何か考えはないか?」

「あったらとっくに試してるわよ」

「それもそうか」

「お茶にしよ。お腹空いたし」

「昼食を持ってきたのか?」

「今週キツキツで。シルキーのお弁当」

「ではご相伴に預かろう」


 敷物を広げ双子と魔術師、使い魔のブルームが腰を下ろすのを魔眼の少年はそばで視線を合わせないようにしながら見つめる。

「座りなよ。さっき食べられなかったでしょ?」

「いいえレディ。僕は奴隷なので」

「魔術師や魔女が奴隷を買うのは合法だが、どう扱うかは主人による。お前はいま私とフォルカーが預かっている。いいから座って食べなさい」

「……はい、ミスター」

魔眼の少年がルーカスに腕を引かれ敷物に腰を下ろす。魔術師たちはやっと正装用のポンチョの首元を緩め、はぁと溜め息をついた。

「やっと気楽に話せる……」

「お疲れ様ルーカス。はい、サンドイッチ」

「ああ、ありがとう」

「フォルカーも」

「おう、あんがと」

サンドイッチと紅茶を口にしながら魔術師と魔女は傍らで佇む剣士と女性を見上げる。暁星の民は二人とも別々の方向を見て立って、心ここに在らずだった。

「魔眼の上位者と言えばこの状態なんだがな」

「そうだよな。こっちが話しかけてもまるで聞いてない、何も反応しない感じが上位者だもんな」

「上位者は人間には聞こえない流れ星の音を聞いてるんだっけ?」

「暁星の民は特にそうだと言う論文が出ている」

「“その瞳は星を見上げ、星を写し、思考は宇宙にある。”だっけ?」

「隻眼の魔術師の『上位者』第一章の冒頭だな。読んだのかフォルカー?」

「一応。一夜漬けだけど」

紅茶で口を湿らせたブーツは「あ」と声を出した。

「思いついた」

「何だ?」

「紅茶勧めてみる? 飲むかも」

「なるほど。やってみよう」

ブーツが星見の剣士に声をかけようと顔を上げるとほぼ同時に月の瞳が少女を見下ろした。まるで話しかけられると分かっていたように。

「……紅茶飲む?」

ブーツが己のカップを差し出すと剣士は膝を落とした。魔術師たちが見守る中、月の瞳の剣士はカップを受け取るのではなく少女の頬にキスをする。

「ほがっ!?」

剣士は立ち上がるとまた遠くを見つめた。

「紅茶は飲まないようですね」

「本当にキスすんだなぁ。ブーツだけだろ?」

「そ。ヒールわたしは今のところ剣士さんからその手のアプローチなし」

「ふーん。何でだろうな?」

「何でだろうね」

顔が真っ赤のブーツを放って置いて一行は昼食を終えた。


 魔術師たちはその後、双子魔女に近況を報告した。弟子がそれぞれ三人に増えたこと、鉱石魔術の第一人者クオーツの派閥と天体魔術の第一人者ジュピターの派閥は相変わらず仲が悪いこと。

「頼んでないが、上位者に関わったのがお師匠お気に入りのお前たちだしウォーレンも乗り込んでくるぞ」

「げぇ」

魔術師ウォーレン。天体魔術の第一人者、木星の魔術師ジュピターの後継者。クオーツの研究室を継いだルーカスと同格の研究者であり、魔術院の上層部。

「お師匠としては自分の派閥と人体魔術の第一人者、隻眼の魔術師アスドルバルで調べたいようだが、まあ難しいだろうって予想してた」

「おばあちゃんが盾になってくれなかったら私たち今頃粉々ね」

「そうだな。それも考えて俺たちを付けたんだろ」

「ん?」

「だーから、今後俺たちは自分の研究よりお前たちと上位者を優先しろって指示なの」

「えぇー!?」

「水晶の魔女の命令だし、上層部は嫌とは言えない」

「そんな大事おおごとなのこれ?」

「大事だろ」

「マ? 無理〜」

魔女ブーツが後ろへバタッと倒れようと姿勢を崩すと、いつの間にか真後ろに立っていた魔眼の剣士の足に支えられる。剣士は少女をただ見下ろしていた。

「あ、どうも」

剣士はまたフイと視線を逸らした。

「ああ、そうだ。この魔眼の少年だが」

「ん?」

自分が話題に上ると少年はピクッと肩を硬らせる。

「研究室預かりになっているが主人が決まっていない。ブーツにどうだろうと思うのだが」

「え? 私?」

「使い魔がまだだろう」

「あー、まあね。私はいいけど……」

ブーツがチラリと見ると少年は怖々と視線を返した。

「君はどう思う? 上位者がこんなすぐ近くにいる魔女の従者ってことになるんだけど……」

「……レディは僕に選べとおっしゃるんですか?」

「ご主人様くらい自分で決めたいじゃない?」

少年は視線を落とした。憂いの目をする少年は決していい環境になかっただろうと双子は想像している。そしてそれがどれだけ劣悪だったのかは想像出来なかった。想像出来ないくらい酷かったのだろうと思った。

「……レディ、僕は今まで自分で何かを選ぶ権利はありませんでした。パンがどれだけ固くても与えられるだけマシでした」

「うーん、そっか」

「ですが、もし、何かを選んでもいいとレディが仰るなら……僕は貴女さまが、いいです」

奴隷に選ぶ権利を与える主人と言うのは稀有だ。少年はそれをよく理解していた。この人なら自分を無下にしないだろうと、いや、無下にしたとしてもそう酷くはないだろうと考えた。

「本当?」

「はい」

「じゃあ、よろしくね」

魔女ブーツが握手を申し出ると少年はその手を両手で恭しく取った。

「この身をいつまでもお使いください。マイマスター」

その言葉を待っていたとルーカスは少年の契約書をカバンから取り出した。

「用意がいい〜」

「元々そのつもりで持ってきたからな」

魔術師ルーカスは研究室名義だった契約書の譲渡文に署名し、羽根ペンと権利書をブーツに手渡した。ブーツも署名し、少年の顔をもう一度見る。

「名前なんだけど」

「はい」

「男の子ならこう、女の子ならこうって決めてた名前があるの」

「はい」

「アルフ。どうかな?」

少年の薄紫色の瞳に光が差し込む。十三人目の主人は管理番号ではなく名前をくれた。それが嬉しくて、嬉しすぎて少年の胸は高鳴った。

「はい、とても好きな名前です。マスター」

「じゃあアルフ、よろしくね」

少年は魔女ブーツの従者アルフとなった。少年は知らぬうちに頬をピンク色に染めて微笑んでいた。少年にとってそれは初めての笑顔だった。


 冒険者ギルドへ戻ると魔女クオーツはギルド長オイヴァと会議を続けていた。双子の片割れクレイジーブーツはスカートの裾を持って水晶の魔女クオーツにお辞儀をする。

「まあ、ではブーツの従者にしたのね」

「はい、アルフと名付けました。アルフ、水晶の魔女さまにご挨拶を」

「アルフと申します。以後、よろしくお願い致します」

「ええ、ブーツをよろしくね。では、今日の報告を聞きましょうか。ルーカス、フォルカー」

「はい、先生」


 ルーカスたちが口頭で報告をする間、ブーツはアルフの湯浴みに、ヒールはアルフの服を買いに向かった。

「あの、自分で出来ます……」

「髪はやってもらった方が気持ちいいって! 遠慮しない遠慮しない!」

ブーツは泡風呂に肩まで浸かった少年の髪を石鹸で丁寧に洗う。暖炉の横で焼けたような灰色の髪は洗うと艶やかな灰銀の髪へ変わった。

「おお、綺麗な色してんね。あ、顔とか体は自分で洗ってね。大きいタオルも遠慮なく使って。ここは従者も使う普通のお風呂だから」

主人がそう言って離れると、アルフは水面に浮いた泡に顔をつけて泡だらけにし、それをこすって顔の垢を取りながら自然と微笑んだ。


 ヒールが購入した素っ気ないシャツと半ズボン、靴下と革ブーツを与えられた従者アルフは魔女クレイジーブーツの後ろについて客室へと戻った。

「戻りました!」

「ああ、お帰りなさい。ちょうど話がまとまったところよ」

水晶の魔女クオーツとギルド長、双子魔女をよく知る魔術師ルーカスとフォルカーにより双子は当面の間、ルーカスとフォルカーをそれぞれ加えた八人、つまり四人パーティの二組と言う特殊な構成で上級者クエストをいくつか受けることになった。

「上位者の動きを観察したいのと、何かあったら俺かルーカスが出張れるから二人のランク上げにも丁度いいだろうってまとめ」

「中級者クエストは二人とも難なくこなしているからな。だが何故それ以上を目指さなかった? 十三歳で卒業したお前たちなら容易いだろうに」

「上級クエストは取り分も多いけど取られる保険料も多いでしょ」

「そんな理由か……」

「十代の新人魔女には切実な話なの!」

「はぁ、わかった。受ける依頼量が増えたらその辺りは気にしなくて良くなるから心配せずともいい」

「剣士さんとおか、お姉さんのギルドカードはどうするの?」

「臨時のものを発行する。カードはお前たちがそれぞれ所持しろ」

「なるほど? 了解」


 冒険者ギルドの書記官たちは魔眼の上位者のギルドカードを発行すると言う前代未聞の事態に右往左往した。双子魔女の協力により何とか顔写真を作成し、剣士はヨニ、女性はエラと仮の名義を与えカードを発行すると太陽はすっかり傾いていた。


「怒涛の一日」

「アゲイン……」

 双子魔女はヘトヘトで帰宅した。双子は元々従者の部屋にするつもりだったブルームの部屋をカーテンで仕切り、空いていたベッドの埃を掃除用のホウキに払ってもらい、新しい従者にパジャマと替えの下着を与えた。

「服はだんだん増やすから今は一着で我慢してね」

「……着替えを頂けるのですか?」

「そりゃあもちろん。私たちの従者なんだもの。恥ずかしい格好なんてさせないわ」

「そうそう。磨いたアルフがこんなにも男前だって周りに見せびらかさなきゃ気が済まない」

アルフはそう言えば貴族に飼われた奴隷は煌びやかな格好をしていたな、と記憶の断片を思い出した。

「……畏まりました。マスターと姉君が恥ずかしくない格好を心がけます」

「うん、今はそれでいいよ。さーて、ご飯食べよ……」

「明日から忙しそうだから気合入れて早寝するわよ」

「頑張る……」

 双子と従者が眠ると暁星の民は屋根の下から星を見上げた。その唇が薄く開き、歌を奏でる。魔眼の上位者たちは今宵も、見上げれば落ちてしまいそうな夜空に輝く星々に合わせ歌を紡いだ。

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