第3話『隻眼の魔術師と月の魔法』

 跳躍の魔女クレイジーブーツが目を覚ますと、ベッド脇には月と星の装飾が入った白いローブの剣士、仮にヨニと名付けられた上位者の男が目を瞑って佇んでいた。

「……もしかして毎朝これ?」

剣士ヨニはふっと目を開いた。薄暗がりの中、月の瞳が青く輝く。新人魔女の少女はその瞳を見つめた。魔眼の剣士もまた視線を落として少女の瞳を見つめた。

(……魔法をかける気はないみたい)

ベッドに残った自分の体温から離れたがいブーツは寝返りを打って枕元の時計を見た。まだ五時だと言うのに目が覚めてしまい、少女は仕方なく上半身を起こす。

「うっ、さっぶい」

昨日は疲れ果てて寝間着どころか肌着で寝てしまった少女は椅子の背に引っ掛けた上着に手を伸ばす。魔眼の剣士ヨニは音も立てずブーツに近付き、白いローブを広げると少女の体にかけた。

「お? ありがと」

魔女は手に取った上着を肩に引っ掛けると洗面台へと降りていった。


 今朝は珍しくブーツの方が早起きだったため、魔眼の女性エラに髪を梳かされるのは妹が先となった。

(測ったように洗面所に来たなこの人……)

エラは慣れた手つきでブーツのオレンジ色の短髪を整え、髪の一部を編み込んで年頃の少女らしい髪型へと変えていく。

(確かに、お母さんが生きてた時はこうだったな……)

エラは完成したブーツの髪を満足そうに見つめると彼女の肩をポンと叩いて「終わり」と言わんばかりに洗面所から出て行こうとする。

「ありがと。……お母さん」

ブーツが母と呼ぶとエラは目を見開いて振り返った。

「……お母さん」

もう一度そう呼ぶと、エラは涙がにじむ目で微笑み、姉にしたように双子の妹を抱きしめて頭を撫でた。

(この人はお母さんじゃないけど、いいよね?)

この女性が喜んでくれるなら、とブーツは抱擁に身を任せた。


「明日は吹雪ね」

 跳躍の魔女クレイジーヒールは自分より早く起きた妹ブーツにそう言い放った。

「今日いいもの見つけてもヒールにはやんない」

「私より早いなんて半年に一回あるかないかの奇跡でしょうが。あ、おはようブルーム」

「おはようございますマスター。ブーツさん」

「おっはよー。アルフは?」

「いま洗面所です。一通り教えたので自分のことは出来るはずです」

「お、そっか。面倒見てくれてありがとう」

「家族として当然のことです」

「へへ、うん」

アルフがソロソロと顔を覗かせると双子はにっこり微笑んだ。

「おはようアルフ」

「おはよう」

「おはようございます、マスター。姉君」

「ヒールでいいわ」

「はい、ヒール様」

「せめてさん付けね」

「はい、ヒールさん」

「それでよし」

 全員揃って食事をする間、双子は上位者たちに飲み物や食べ物を勧めてみた。剣士ヨニは飲み水を手渡されたら綺麗に飲み干し、女性のエラは双子が差し出したパンケーキやウインナーを一口づつもらった。

「食べない訳じゃないみたいね」

「そうっぽい」


 双子が冒険者ギルドに顔を出すと場は騒然としていた。傭兵ヴィートのパーティを見かけた双子魔女たちは彼らに話を聞こうと駆け寄る。

「あー、隻眼の魔術師が来たらしい」

「アスドルバル様だけならこんなことにならなくない?」

「もう一人来たんだと」

「ああー……」

(ウォーレンさんだな……)


 双子が客室に顔を出すと頭を抱えるギルド長の前で水晶の魔女クオーツ、黒髪と黒髭が濃い壮年の男性、金髪碧眼の若い男性が壮絶な視線バトルを繰り広げていた。

黒髪黒髭の濃い目の男性が隻眼の魔術師アスバルドル。人体魔術の第一人者。二つ名の通りアスドルバルは隻眼で、海賊のように眼帯をしている。肌は褐色だが南国の血が混ざったフォルカーほど濃くはない。

金髪を女性のように肩を越える長さまで伸ばした若い男が天体魔術の第一人者、木星の魔術師ジュピターの跡を継いだ魔術師ウォーレン。

さらにその場には既に魔術師ルーカスとフォルカーも到着していて室内はまるで戦場だった。

「お、おはようございます皆様」

ヒールが一家の代表として挨拶をすると魔術師たちはパッと双子と、その背後に立つ上位者二人を見た。

「おはようヒール、ブーツ」

「おはようございます、水晶の魔女さま」

魔術師ウォーレンは剣士ヨニの月の瞳に気付くと視線を合わせないようにしつつも「おお」と感嘆の声を上げた。

「なんと、本物の月の写しですね」

魔術師ウォーレンの言葉に気分を害したのかヨニは天体魔術の研究者を冷たく睨んだ。魔女ブーツは険悪な雰囲気に油を注ぎかけたヨニの手を取り笑顔を作った。

「ま、まあ座ろっか! ねえヨニ!」

剣士ヨニはブーツの顔を見ると穏やかな視線に戻り、背を屈めて少女の額に口付けた。

(な、何とかなった……)


 挨拶も早々に魔術師たちは双子から朝食の話を聞き、それぞれの頭で思考を展開させていた。静寂と言うには熱い空気を伴う光景を前に、双子は笑顔を引きつらせた。今日の上位者たちは目を開いているものの思考がどこかに飛んでいて、目の前の光景が頭に入っていない様子。

(今朝は心ここに在らずって感じ)

「……ヨニ」

名を呼ぶと月の瞳はブーツの顔を見た。その様子を魔術師たちも観察し、思考を止めずに見守る。

「呼ぶとわかるんだね。本当の名前じゃないのに」

剣士ヨニはただじっとブーツの顔を見つめる。少女は魔法の瞳を見つめ返すことに抵抗がなくなり、綺麗な瞳だなと改めて観察した。

「……それだけ見つめていて何もしてこないのか」

隻眼の魔術師アスドルバルがそう口にするとブーツは彼に振り向いて頷いた。

「何かをしてくる気は全くないようなのです」

「だがそれは双子への特別な態度だ、と」

「そのようです」

「ふむ、やはり双子に何か特別な要素があるのだろう。他の人族とは違う何かが」

ブーツが視線を戻すと剣士ヨニはまだ少女を見つめていた。

「……お星様の声を聞くのはいいの?」

ヨニは目を細めるとブーツの額に口付けをして目を伏せた。

「本当に大人しいな。目の前に邪魔な要塞があれば更地にしてしまう歩く災害とは思えん」

「え、暁星の民ってそんなに物騒でしたっけ……?」

「派閥に関係なく上位者とはそう言うものだ」

魔眼の上位者にもグループや派閥が存在する。

一つは月と星を眺め白いローブを羽織った暁星の民。

一つは黄金の鎧を着た騎士のような一団、黄昏の使徒。

一つは伝承にのみ、その存在が記されるエリュシオンの民。

上位者と言えば暁星の民か黄昏の使徒を指し、黄昏の使徒は特に竜種同様、目の前に現れれば災害と化す厄介な相手だった。

そんな側面を持つ上位者が、魔法に頼り切り非武装のはずの暁星の民が、帯剣している男を含んでいたことに魔術師アスドルバルは驚いていた。また興味深くもあった。

(面白い、実に面白い。非武装の者しかいなかったところに武装した男が現れたのか、それとも武装していたが武装を解いたのか経緯が読めない。読めないからこそ興味深い……)

魔術師アスバルドルが上位者たちを見て機嫌がいいことに鉱石魔術一派と天体魔術派の魔術師ウォーレンは気付いていた。ギルド長はこの場での存在意義を示すために一つ咳払いをする。

「では本日双子魔女にお頼みしたいクエストは、西の森の最奥まで向かい黒竜の卵を奪ってくることです」

「え!?」

「オイヴァさん!?」

「ここにいる諸先生方がついてくださるそうだから安心しなさい」

(全員来るから安心できないんでしょ!?)

(胃がストレスで死ぬ!!)

双子は冷や汗をダラダラと流した。


 水晶の魔女クオーツは浮かぶ車椅子に乗り、他の面々は歩いて西の森へと踏み入った。昨日と同じく双子魔女が先頭で歩き出したところ上位者ヨニがその先へ踏み出し、ヨニを先頭に双子、後ろにエラとブルームとアルフ。魔術師ルーカスとフォルカー。最後尾にクオーツ、アスドルバル、ウォーレンが並んだ。

「何だか今日のヨニは前を歩いてくれるね?」

「そうね。昨日のことがあったからじゃない?」

「そうかな……? ちょっと違う気がするけど。ねえアルフ」

「はい、マスター」

「今のヨニの考えって読めるかな? ああ、目は使わない範囲で」

「申し訳ございませんマスター。高位の方、特にヨニ様のお考えはほとんど読めないのです。僕が下位者だからだと思います……。中位者ならもう少しお考えに近付けると思うのですが」

「あー、そっか。うん、ありがとう」

「いいえ、お役に立てず……」

「大丈夫だよ。他の人はもっとわかんないんだしさ」


 一行は西の森の中央、上級冒険者のみの立ち入りを許す赤い縄の木の前までやって来た。すると双子の後ろにいた上位者エラが双子を追い越して上位者ヨニの横へ並び、二人して足を止める。

「ん? 何?」

「二人ともどうしたの?」

上位者両名は後ろに振り向いて双子とそれぞれ向き合った。魔眼たちは双子の顎に手を添え、利き手で額をそっとなぞった。後方の魔術師たちは異変に気付きザッとワンドを取り出したが、彼らの心配は杞憂に終わった。上位者たちは青白く光る魔力で双子の額に月の模様を描き、それが終わると手を離した。

「……何か描かれた?」

「これどうなってる? アルフ」

「はいマスター。月のような綺麗な丸い模様がおでこに描いてあります」

「何かの魔法かな? せんせーい」

魔術師たちは集まると我先にと双子の額に描かれた模様を観察した。

「月か。月は静寂、女、銀。太陽の影、太陽の光の写し……」

「隠匿か隠遁じゃないですか?」

「……危ない場所に行くから目立たないようにしてくれたのかな?」

「今までの経験上、そんな感じがしますわ」

「何そのお嬢様言葉?」

「諸先生方の前ですわよブーツ?」

「ああ、はい。すみませ、申し訳ございませんお姉様」

「秘匿魔法?」

「あり得ますね」

「引き続き進んでちょうだい」

「はい、水晶の魔女さま」


 一行は再び剣士ヨニを先頭に鬱蒼とした森の中を進む。魔女と魔術師たちはいつ強力な魔物が飛び出してもおかしくない状況から周囲を警戒していた。その際、上位者二人が声なき歌を口ずさんでいたことに彼らは気付かず、魔物が現れないまま竜の巣の近くへと近付いていた。

「この森で魔物が一匹も出ないと言うことはあるのか?」

異常に気付いた魔術師ルーカスが双子に問う。だが魔術師の声は双子に届かなかった。双子とその従者、そして上位者二人は目の前から忽然と姿を消していた。

「あっ!? しまった……!」

「秘匿魔法が我々にも効いたのか! お師匠!」

「落ち着きなさい。魔術と違って上位者は世界の天理、魔法に通じる者たちよ。下手に動けば刺激してしまうわ」

「うむ。下手に動くより、どこへ消えたか推論を立てよう」

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