ボタンを押すと 【一話完結】

大枝 岳志

ボタンを押すと

 ギャンブル狂いのせいで完全に自業自得だが、俺には金も未来も何も無い。最近やっとあり付けた派遣バイトも初日でクビになった。


「繁忙期だからすぐに入れますよ。持ち物もお弁当だけあればオーケーです。誰でも安心して働ける現場なので安心して頂いて大丈夫です!」


 だなんて、大嘘抜かしやがって。あのクソ営業。


 派遣先は朝イチから死んだ目をした連中がゾンビのように群がる通販専門のバカでかい倉庫で、俺は勤務早々に現場のリーダーと揉めてクビになった。何もかも、あのヒステリックなリーダーババアのせいだ。

 朝の点呼の段階で俺は目をつけられた。


「あなた! ちょっと、あなた!」

「はい。上阪です」

「名前なんてどうせ覚えないんだからどうでもいいの! それより、靴!」

「靴? 靴が何スカ?」

「それ安全靴じゃないでしょ? 安全靴じゃない方は中には入れませんから! 出て行って下さい、今すぐ!」

「はぁ? 周り見ても棚に入ってんの洋服だからけじゃないっすか。服が落ちて来て怪我します? 普通の靴で余裕でしょ」

「あのね、そういう問題じゃないの! 私達のルールを守って下さいと言っているの! わ、か、り、ま、す、か!?」

「全然分かんないっす」


 俺は激昂したババアに事務所へ連れて行かれ、その場で派遣会社名と名前を言わされ即刻退勤させられた。

 現場が終わり次第手渡しで給料を貰う約束だったので、財布の中の残金は二十八円しか無かった。

 仕方なく片道十キロの道のりを徒歩で帰ると、家の電気は停められて、ポストにはアパートの退去勧告の手紙が突っ込まれていた。


 とにかく何でもいいから金が欲しい。しかし、楽して稼ぎたい。その点、スロットは良い。なんせ座っていれば金になる。しかし、元手が無い。だが、安全靴なんか絶対に買いたくない。


 そう思ってたどり着いた先はインターネットの「闇バイト掲示板」だった。「タタキ」「デンワ」「ウケダシ」「運び」などの怪しげな文言の羅列の中で、俺は一際怪しげな掲載文が気になり、スクロールする手を思わず止めてしまった。


【一泊二日。都内近郊すぐ出られる方。送迎あり。手渡しで即日一本出します】


 一本? まさか、百万円のことだろうか。 

 半信半疑でメールを送ると、すぐに電話が掛かって来た。


 相手は吉村と名乗る髪の毛を後ろで束ねている痩せた五十代のおっさんで、とにかく喋り方に覇気がなかった。一時間後に迎えに行くと言われ、今はその吉村の運転するバンの助手席に座っている。


「上阪くんだっけ……君さぁ、犯歴ある?」

「はんれき、ですか?」


 はんれき、という言葉が一瞬何のことか分からないでいると、吉村はいかにも面倒臭そうな顔で吸っていた煙草を窓の外へ投げ捨てた。


「あー……あの、今まで警察にパクられたことあるのかなぁー……って話し」

「いや、ないっす」

「ふーん……親兄弟は……仲良いの?」

「全然っす、縁切られてるんで。へへっ、前科なしの完全独身ヤモメなんで、好きに使っちゃって下さいよ」

「好きにって、いやぁ……そう簡単には行かないんだよね。まぁ、縁が無いのに越したこたぁ無いんだけど……」

「そうっすよね、はい。分かりますよ」


 鉄砲玉みたいなクズを使うにも、きっと難しい場面もあるんだろう。そう思って同意をしてみると、吉村は鼻を「ククン」と鳴らした。笑っているのだろうか。


「いやいや……分かりますよって、そんなねぇ……あ、今日はこれからホテル泊まってもらうから……フロントに「吉村」って言えば分かるから。明日は九時にホテルのロビーで……今夜は好きにやっちゃっていいから、頼みたいもんとか、色々……」

「ありがとうっす」

「とうっす……? あれ、今いくつだっけ?」

「はい、三十二っすね」

「そりゃずいぶん……まぁいいけど」


 着いた先のホテルは紅葉で有名な観光地の山間に建っていて、歴史を感じさせるような古くてイカつい造りのホテルだった。

 気になって調べてみたら最低でも一泊五万はするホテルで、俺は正直ビビった。

 吉村は車から俺が降りるのを見届けると、挨拶もなしでバンを発進させて何処かへ行ってしまった。


 ホテルの部屋はかなり古かったが、清潔感のある大きな和室だった。窓の外にはデカイ滝と紅く色付いた木々が広がっていて、しっかりした大人が泊まりに来る場所なのだろうな、と俺は思った。

 ギャンブルクズの俺がこんな所に泊まっているだなんて場違いなような気がしていたが、もしかしたら明日パクられるのかもしれないと思うと楽しめるだけ楽しんでやろうとも思えた。


 ほぼ貸し切り状態の温泉に入り、館内を散策した。しかし、ホテルが高級過ぎるのかお目当てのゲームコーナーが無かった。あればメダルゲームでいいからスロットが打ちたかった。俺は既にあの刺激的な音と光が恋しくなっていた。


 スロットが打てない代わりに、食い切れないほどの夕飯を平らげ、「好きにして良い」という言葉に甘えて酒を「これでもか!」というほど飲んだ。

 部屋に戻り、スロットメダルのように輝く満月を眺めながら「打ちてー……」と声に出して酒を飲んでいると、部屋を二回ノックする音が聞こえて来た。

 こんな時間に誰だろうか。ゆっくり扉を開けると、そこには見覚えのないピカピカの髪のロングヘアーの美女が立っていた。


「あ……あの、どちら様ですか?」

「吉村様のご依頼で参りました。メイコと申します。失礼致します」


 メイコと名乗る女は部屋に入るなり、突然浴衣の上から俺のあそこを弄り始めた。


「ちょ、ちょっと! ヤバイですって!」

「いえ。こういったサービスですので」

「サービス……そ、そうですか……あっ」


 なるほど。吉村のおっさん、まさかこっちの世話までしてくれるとは。

 予想外のラッキーな展開に俺は全力でむしゃぶりついた。どうせ俺なんか金も未来も何もない人間だ。どうせ金があっても全部ギャンブルで溶かしちまうのがオチだ。

 だったら散々遊び呆けて明日パクられても、別に構いやしない。

 このホテルもサービスも、きっとそういうことなんだろう。


 親兄弟ともとっくに縁は切れているし、世の中に俺のことを心配する人間なんて一人もいない。

 唯一の「知り合い」といえば、口の悪いネット掲示板に集まる連中くらいなもんだ。

 歳を重ねて独りで居ると、名前も顔も知らない「知り合い」ばかりが増えて行く。


 布団の上でがむしゃらにメイコを抱いた。身体の近くで息をするたび、この女は汗の匂いまでエロかった。早々に俺が果てると、メイコはウェットティッシュで全身を綺麗にしてくれた。

 いくらサービスとはいえ、女にここまでされたことは無かった。俺は本気でメイコに惚れそうになっていた。


「メイコ、また……会えないかな?」


 着替えを済ませたメイコにチンポ丸出しのまま勇気を出して伝えてみたが、メイコは「ふふっ」と鼻で笑ったきり、そのまま部屋を出て行ってしまった。

 結局は商売女か。その事実は少し悲しかったけど、まるで夢か幻のような極上の時間だった。


 次にいつ食えるか分からなかったから、翌朝も飯をたらふく平らげた。ロビーへ向かうと既に吉村が待っていた。えんじ色のシャツを着て、ソファに腰掛けてうたた寝をしている。


「おはようっす、吉村さん」

「…………」

「吉村さーん、おはようございます。俺です」

「あ、あぁ。悪い……えーっと……有坂くんだっけ?」

「いや、上阪っすよ! っていうか、なんスカあのグンバツな女! マジ最強最高の夜でしたよ!」

「あぁ、そう。というか、君は声が大きいな……ちょっと準備に手間取っちゃって、あんまり寝てないんだよな……じゃあ、行こうか」

「はい」


 何が起きても懲役覚悟で車の中へ乗り込んだのだが、運転を始めると吉村は突然喋らなくなった。

 俺が何と声を掛けても、機嫌を伺ってみても、何も答えようとしない。

 仕事中は喋らないのが闇バイト界の暗黙のルールみたいなものなのだろうか? いやいや、俺にはルールなんてもう懲り懲りだ。


 田んぼばかりの面白くもない道をしばらく走っていると、車は人里離れた板金工場のような小さな建物の前で停まった。


「降りて」


 やっと口を開いた吉村にそう言われ、吉村の後ろをついて行く。吉村は工場のシャッターを半分開け、腰を屈めて中へ入る。それを真似して中へ入ろうとしたが腰がシャッターにぶつかってしまい、周囲に鉄のたわんだ音が響いた。


「何してんだテメェ!」


 暗闇の奥から吉村とは違う、ドスの効いた声で怒鳴られた。俺はビビってそそくさと中へ入ると、工場の作業台の側に二人組の男が立っているのが見えた。


 一人はスキンヘッドで大柄で、犬のロゴが入った可愛らしいトレーナーを着ている。しかし、顔に眉毛は無かった。

 もう一人はスーツ姿のサメのようなイカつい顔のおっさんで、どう見てもカタギではない人種だと一目で分かった。 


「こいつが例の?」


 スキンヘッドが俺を指差して言う。さっきの怒鳴り声の主だと気が付いたが、声の威圧感が凄まじく、俺は突っ立っている事しか出来ない。

 吉村が「ええ……」と返すと、スーツが「こいつがねぇ」とボヤくように言った。


 雰囲気からして、これから何を指示されるのかさっぱり検討がつかなかった。車の窃盗か、強盗か。それとも、海外へ飛ぶような仕事だろうか。


 スキンヘッドとスーツは黙ったまま俺をジロジロと舐め回すように眺めていて、居ても立っても居られずに口が勝手に喋り出した。


「あの、上阪って言います。あのー……何をするんですかね? あの、闇のバイトとか、犯罪系とか自分あんまり詳しくないですけど、パクられ上等なんで、なんでもしますんで、宜しくお願い、あの、したいと思います。気合ありますんで、マジっす!」


 そうやって挨拶を一発キメたが、二人とも何の反応も見せなかった。少しも表情を崩さないスーツが俺と目を合わせたまま、作業台に手招きする。 


「これ、押して」


 そう言われて作業台に視線を落とすと、赤いボタンのついた長方形の装置が置かれていた。長さは縦十センチ、横幅五センチほどで、真ん中に赤いボタンが付いていて、それ以外には何のボタンもスイッチも付いていなかった。漫画に出てくる冗談みたいな爆破スイッチにも見える。


「あの……このボタンを押せばいいんすか?」


 押した途端に電気が走ったり、爆発したりしないだろうか?

 俺が訊ねると、スーツは目線を作業台の上に落としたまま、呆れたような声で言った。


「いいから。早く押せって」

「あの……これって何のボタンすか?」


 なんだか怖くなって恐る恐る聞いてみると、スキンヘッドが近くにあった工具箱をいきなり俺の背後の壁にぶん投げた。壁に当たって中身が飛び出し、工具が床にバラける音が薄暗い工場内に響いた。


「テメェはつべこべ言わずに押しゃあいいんだよ!」

「す……すいません」

「いいか? テメェはこっちの言うことだけハイハイ聞いてりゃ良いんだよ。さっきから聞いてもねぇことベラベラ喋り腐ってよ。テメェのことなんかこっちは興味もねぇし、聞きたくもねぇんだよ!」

「は、はい……すいません……」


 スキンヘッドに叱られ、萎縮するとかえってボタンが遠くにあるように思えて来る。

 これを押したら一体何が起こるんだろう……。

 そう思って手が出せないでいると、吉村が俺の横でボソッと呟いた。


「あー……もう時間ないんで。これ、早くしないとヘタ打ちますよ。押さないならこいつ、どうします?」


 早くしないとヘタを打つ? このボタンを押さないと何かマズイことになるのか? だったらあんたらが押せばいいじゃないか。なんで俺なんだ。ただ、ボタンを押すだけじゃないのか?

 不安と恐怖、そして少しの苛立ちが生まれた瞬間、こめかみにそっと冷たいものが当てられたのを感じた。

 ふと視線を右にズラすと、スーツが俺のこめかみに拳銃を押しつけていた。


「殺してバラすなんて訳ないんだぞ。早くしろ」

「いや……でも……」

「あっそう」


 声と引き金を引く音が同時に響いて、俺は身震いした。

 スーツの目は絶望的なほど仄暗く、まるで色が見えてない様にも思えた。黒目が普通の黒目と違い、全く光を拾っていなかったのだ。


 これは殺される。そう思い、無我夢中でボタンを押した。

 ボタンを押すと「カチャン」というプラスチックの玩具のような音がしたが、ボタンを押したからといって特に何も起こらなかった。


 これは一体、何なんだ?


 そう思っていると、スーツが俺の肩を叩いて嘘みたいに分厚い封筒を握らせた。


「おつかれさん。もう帰っていいよ」


 おつかれさん? 封筒の中を見ると、びっしりと万札の束が入っている。これは一本どころじゃない。

 俺は喜びよりも先に得体の知れない恐怖感に襲われた。


「帰ってって……あの、俺は今何をしたんですか? あの、ボタンを押すのが仕事ってことですか?」


 何も言わずに出て行こうとする三人の背中に向かって声を掛けると、スキンヘッドが声を荒げた。


「もう終わったんだからとっとと帰れや! 俺はなぁ、テメェみてぇなヤツが一番目障りなんだよ!」

「この後、俺……パクられたりとかするんですか? あの、パクられるなら準備とか色々……」


 そうやって必死に訴えると、三人はぴたりと足を止めて「ハハハ!」と一斉に笑い出した。おかしくてたまらない、と言った様子でスキンヘッドに至っては腹を抱えて笑っている。

 スーツは頭を掻きながら俺を振り返った。


「あのなぁ、パクられるくらいで済むならいいけどな。あとな、訴えようとして警察行っても無駄だぞ。ボタン押したらお金もらったんですって駆け込むか? あ? キチガイだと思われるだろうなぁ。もう会う事ないけどな、全部忘れろよ。何があっても、おまえと俺達は関係ねーからな」

「え……なんすか、それ。あの、吉村さん! 吉村さん、送って行ってくれないんですか?」


 縋るような気持ちで声を掛けたが、吉村は笑いながら「無理無理」と言ってバンに乗り込んでしまった。

 残りの二人もおかしくてたまらない、という様子で噴き出しながらバンへ乗り込むと、急発進してバンはすぐに見えなくなった。


 一体、俺は何をしたんだろうか?


 理由も分からずに建物の前で呆然としていると、知らない番号から着信が入った。

 電話に出るのが怖くて無視をしていると、すぐに違う知らない番号から着信が入る。


 タクシーを呼ぶにしても電話が鳴り続けていて調べ物も出来やしない。


 どうしよう、そもそもここは何処なんだ? 辺りを見回してみても見えるのは秋の澄んだ青空と、刈り取られ尽くして茶色が剥き出しになった田んぼと、山と高圧線の鉄塔だけだった。


 知らない番号からの着信が止むと、今度は近くの防災無線から甲高いサイレンの音が突然鳴り出した。中々鳴り止まないその音は何故か人を食う化け物の鳴き声を連想させ、俺はたちまち怖くなった。


 サイレンが鳴り終わった途端に、再び知らない番号からの着信が入る。

 出ようかどうか迷いながらも、電話が鳴るたびに指はどんどん画面に近付いて行く。


 そうして異なる番号からの十回目の着信が入ると、俺は恐怖に負けて画面の「応答」ボタンをタップしてしまった。 



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