エピローグ アリアは絶対捕まらない

エピローグです!最後までお付き合い下さりありがとうございます。

が、調子に乗って明日も番外編を投稿することにしました。

また、後書きにて大事なお知らせをさせていただきますので、ぜひ最後までお読みくださいませー!


***************



「ふふん、大漁、大漁。値切りはセンスとテクニック。磨き抜かれた値切りトークのキレもさることながら、生まれ持った値切り審美眼センスは、我ながら恐ろしいほどだわね」

『一個あたり銅貨三枚の揚げ物を値切り倒したくらいで、安上がりな女だよな……』


 とある、夏の終わりの昼下がりのことである。

 町娘に扮したアリアは、秋の到来を予感させる伸びやかな青空の下、市の賑わいを通り抜けていた。

 腕の中には、揚げたての白身魚のフライ。肩には、アリアにしか見えない相棒の白トカゲ。


 晴天に恵まれた石畳はからりと乾き、声を張り上げる売り子や客は騒がしいが、季節柄、暑苦しいというほどでもない。

 要は、最高のおでかけ日和。


 思わず鼻歌が漏れるほどには、アリアは上機嫌だった。


 この日のために用意した、歩きやすい革の靴は、軽快なリズムを刻んで噴水広場へと向かう。

 そこが待ち合わせ場所だからだ。


 ところが、噴水が視界に入った途端、彼女はドスの利いた声で「おい冗談だろ」と、可憐な唇を引き攣らせてしまった。

 待ち人――噴水を背にしたラウル・フォン・ヴェッセルスが、直立不動の構えでこちらを待ち受けていたからである。


 目深に被るよう命じたフードは、風に吹かれたのか早々に外され、白皙の美貌を露わにしてしまっていた。

 せめて噴水の縁に腰掛けていてくれれば目立たないのに、姿勢よく立ち尽くしているものだから、視線が集まる、集まる。


「どう見たって、お忍びに下町の市にやってきためちゃくちゃ高貴なお方じゃん……」

『よーしアリア、回れ右だ』

「賛成」


 速やかに踵を返したが、その途端、冬の湖のように静かな声が、


「早く戻ってきなさい、アリア」


 とこちらを呼び止めた。

 彼の声は、低く穏やかなくせに、やたらとよく通るのだ。


 精霊王のために割れた海原のように、ざっと人の波が割れる。

 ばっちり彼と目が合ってしまったので、もう、逃げることはできなかった。


「……こっそり待っててって言ったじゃない。あんただと目立ちすぎるから、あたしが買い出しに行ったっていうのに、これじゃまったく意味がないわ」


 花道と化してしまった空間を早足で通り抜け、彼の手を掴んでほかの場所へと避難する。

 噴水に腰掛けてのんびりと小腹満たしを、という算段だったが、こんな大量の好奇の目に晒されながらでは、ちっとも「のんびり」なんてできなかった。


「自覚あるわけ? あんたは平民じゃないし、もう騎士ですらない。貴族の中の貴族、次期ヴェッセルス伯爵なのよ。下町に出没していい身分じゃないの。せめて座って待っててよ」

「だが、立っていなくては、君の危機にすぐに駆けつけることができない」

「なんであたしが危機に遭う前提なのよ。ここはあたしのホームだっての」

「だって君は、歩くたびに厄介事に巻き込まれる人種に見える」


 馬鹿にしてんの、と睨みかけたが、ラウルはいたって真剣な顔をしている。

 そこがたちの悪いところだ。


 知り合う時間を重ねるごとに思うことだが、彼はその冷ややかな佇まいとは裏腹に、大層過保護かつ心配性な男で、どうもアリアのことを、歩き立ての幼児かなにかと勘違いしている節がある。


 やれ、屋台で絡まれなかったか、道中で人とぶつからなかったか、怪しい人間に声を掛けられなかったか、疲れてはいないか――、淡々と、しかししつこく問うてくるので、アリアは目立ちすぎの待ち方を見逃してやる代わりに、それらの質問の一切を黙殺した。


 ついでに、人気のない場所に落ち着くや、「はい、ご注文のフライ。銀貨三枚よ」と揚げ物代をふっかけてやる。

 だが、彼が「ああ。買い出しを任せてすまない」と金貨をひょいと渡してきたので、その大ざっぱさに再びキレた。


「なんっで、元値銅貨三枚の揚げ物に金貨を寄越すのよ! 馬鹿なの!?」

「こうしたときは多めに払うものだ」

「多めが過ぎてもはや頭の具合が心配になんのよ、そういうのやめてよ!」


 脈絡もなく大金を渡されたとき、普通の人間が抱くのは警戒心だと思うのだ。

 あまりにぶっ飛んだ経済観にアリアは出鼻を挫かれ、結局銅貨三枚だけをせしめたのだが、ラウルはと言えば、小さく笑みを浮かべるだけだった。


「君はやっぱり、お人好しだ」

「……そりゃどーも」


 彼のすかした発言には、毎度噛みつかずにはいられないものの、このすかした唇が象るかすかな笑みは、どうしたことか、嫌いになれない。


 そして、アリアと話すとき、彼はほかの誰と話すときよりも頻繁に、こうして頬を緩めた。


「……秋が近付いたとはいえ、まだまだ暑いわね。揚げ物はミスったかもしれない」


 なんとなく彼の顔を見ていられなくて、アリアは手頃な壁に背を預けながら、話題を変えた。

 するとラウルは、物珍しそうにフライを見下ろしつつ、頷く。


「だが活気がある。民が賑やかに過ごしているのを見るのは、心地いい」


 漂った油の匂いになにを思ったか、彼はぽつりと付け足した。


「ちょうど、一月経った」

「……そうね」


 アリアもまた、静かに頷きを返した。


 蜂起のあった日から、一月。

 それとも、大雨によって「憤怒」が宥められた日から一月というべきだろうか。

 夏から秋へと季節を渡る、このほんの短い期間は、アリアたちにとって怒濤の一月であった。


 まず、蜂起の炎を完全に鎮めた。

 あの夜ラウルは、気を失ったアリアをヨーナスに託してから、衛兵たちに倒されていた民を捉え、王城の一部に集めた。


 彼らが昏倒している間に、コンラート王子を通じて国王に緊急の奏上をし、これまでの経緯を報告。

 慈悲深い王は熟考の末、民からその場で金を取り上げることはせず、毛布と食料を持たせて放免した。


 同時に、関係者の処罰。

 国王の前に引きずり出され、ドミニクは素直に罪を認めた。

 処刑を覚悟していたようだが、実際のところ彼が直接犯した罪は、国宝に王水を塗りつけたことしかない。

 ただし、三年前の軍部への資金提供は重罪であるとして、諸々の勘案を経て、流刑に処された。

 身分と財産をすべて剥奪されて生かされることは、もしかしたらドミニクにとっては、死刑よりも過酷であったかもしれない。


 これに伴い、伯爵位継承権保持者が自分一人しかいなくなったため、ラウルは聖騎士の職を離れ、正式に次期伯爵を名乗るようになる。


 現ヴェッセルス伯爵は、弟の監督不行届があったとして、一年の減俸。

 エルスター男爵も、速やかに事態を報告しなかったとして、半年の減俸を命じられる。


 アリアもまた、国王の前に呼び出された。

 窃盗の罪で牢獄行きに違いないと思い込んでいた彼女だったが、驚くべきことに無罪放免を言い渡された。

 ただし、国王直々に、「目的が正しかったとしても、行為が誤っていては罪となる。次はない」と諭されたが。


 なぜだかアリアの横で跪いていたラウルは、なぜだか深々と頭を下げ、なぜだか当然のような口調で「言い聞かせます」と応じたが、アリアはそのことがいまだに納得できない。


 うむ、と頷いた国王の隣には、ラウルとよく似た美しさの王妃が、取り澄ました様子で腰掛けていた。

 彼女はアリアと目が合うと、扇の陰から目配せを寄越した。

 そこにあったのは、おそらく感謝の色。

 意識が朦朧としていてなお、彼女はアリアの顔も発言も覚えていたらしい。

 アリアはどんな表情を浮かべてよいかわからず、奇妙な居心地の悪さを感じながら、国王夫妻に礼を取った。


 さて、それと前後する形で、王城からは王都の民を救済するための様々な策が講じられた。


 大雨への対策に便乗する形で、ラウルが起案したのが、「憤怒」の憑いた金を回収するための策だ。


「新金貨を導入する、ねえ……」


 早々に揚げ物を食べ終えてしまったアリアは、町行く人々を見つめながら、ぼんやりと呟いた。


 そう。

 ラウルが出させた触れとは、古い金貨や金品と引き換えに、新しい金貨を渡す、というものだったのである。


 この王国で流通している金貨は、もう何十年も意匠が変わっていない。

 当時は採掘される金の量も十分ではなく、混ぜ物も多かったため、ものによっては形が崩れてしまったり、くすんでしまっているものもあった。

 それを、この機に刷新するというのである。

 ドミニクから奪い上げた大量の金鉱が背後にあるからこそできる、豪胆な国策であった。


 新たな金貨には、これまでの王冠の意匠に加え、稲穂の縁取りが施されている。

 これはすなわち民草の象徴であり、民が国政を支え、王と共にあり続けることを表わしているのだと、ヴェッセルス次期伯爵は説明した。


 金貨にじぶんが登場したこと、民とは立派な国の一部であるという主張を、人々は大いに喜び、こぞって新金貨を欲しがった。


 さらに、触れが出てから十日の内は、新金貨導入を記念して、交換量に応じて銀貨を与えるという。

 人々はいよいよ熱狂し、家中の金品をかき集めてまで、新金貨への交換を願った。


 なに、一時的に形見を手放したところで、役所がそれを処分することはない。

 新金貨に替えて、その日のうちに買い戻せば、形見が銀貨の土産を連れて帰ってくるのだ。

 そんな調子で、王都内の金貨はあっという間に新金貨に塗り替えられ、古い金貨や金品に憑いていた「憤怒」は、役所の最奥に移された王冠に、次々と吸い取られていった。

 今人々が手にしているのは、すっかり大罪を浄化された、清らかな金である。


 もちろんアリアも、ずっと胸に下げていた金貨のネックレスを外し、王冠に「憤怒」を吸わせた。

 元通りに身につけてもよかったが、大罪に精気を吸い取られたからか、金貨はやけにくすんで見えたので、アリアはそれをラウルに頼み、溶かしてもらった。

 今頃ベルタの金貨は、新しい金貨の一部に溶け込み、誰かの懐の中だ。

 ラウルは律儀に、引き換えの新金貨を渡そうとしてきたが、アリアはそれを断った。

 おまけの銀貨もだ。


 ちなみに、この銀貨を上乗せする策は、あくまで「憤怒」を溜めがちな貧困層を支援するためのもので、貴族は受け取ってはいけないことになっている。

 なのに欲を掻き、こっそり平民に紛れて銀貨を受け取ろうとした輩は、速やかにラウルによって記録された。


 欲深い家臣の名だけを連ねた帳簿ブラックリストは、内々に提出され、賢君と名高い国王は、それは深い笑みを浮かべてラウルを労ったという。

 ドミニクの縁者として減俸されるべきところを、「君には早く出世してもらわなきゃね」と、ラウルを重用する姿勢を見せたそうだ。

 一石で二鳥も三鳥も仕留めてしまうラウルに、アリアは感嘆するやら慄くやらである。


 それと、もうひとつ。


 ドラゴンの姿を取り戻したバルトは、その直後に巨大な炎息ブレスを使ったことにより、すぐに消耗してトカゲの姿に戻ってしまった。

 が、本人はあまり、それを気にしていないらしい。


 なんでも、「コツを掴んだ」らしく、「その気になりゃいつでもドラゴンの姿になれる」から、日頃は燃費のよいトカゲ姿のほうが好都合なのだそうだ。

 すっかりアリアたちとの生活に慣れきってしまったらしく、彼は彫像の中に戻ることも、精霊界に帰ることもせず、蔵やアリアの肩をちょろちょろと動き回っている。


 王都中に散らばった「憤怒」のかけらは、厳密に言えば全部を回収しきっていないので、王冠はまだ、完璧な姿を取り戻したわけではない。

 このまま精霊界に戻っては、きっと職務怠慢で処罰を食らってしまうから――と、そんな打算もあるそうだった。


 そう。

 新金貨をちらつかされても、古い金貨や金品を手放さない人間は、まだいる。

 あの夜に「乙女の涙」を浴びなかった人間も。

 彼らの中に、今もまだ、「憤怒」はひっそりと息づいているのだ。


 だが、大部分が回収されてしまったせいか、「憤怒」の残滓が残った今の状況は、大罪が解き放たれる前とさして変わらない気もした。


「憤怒」はあるのだ、そこかしこに。

 誘惑に負ける心、他人を見下す心、欲張る心、そんなほかの大罪とともに、怒りはごく自然に、誰の魂にも宿っている。


 ときに怒りに蝕まれ、ときに哀しみに打ちのめされながら、かすかな希望を信じて、今日も人々の営みは続いてゆく。


「……めでたし、めでたし」


 いつも通りの景色を取り戻した町を前に、アリアはぽつりと呟いた。


 元通りだ。

 人々は穏やかで、ときどき怒りに駆られて。

 王冠はほとんど姿を取り戻し、ヨーナスは無事で、相変わらず薄給に喘いでいる。


 アリアの胸元からは金貨が消えたが、肩にはバルトが増えたので、きっと釣り合いはとれているのだろう。


 だからこれで、なにもかもが元通り。

 主には、この有能な男のおかげで。


 静かに下町の民を視察しているラウルに、アリアは皮肉っぽく笑いかけた。


「敏腕伯爵令息のおかげで、この国は今日も平和だわ。結局あんたって、めちゃくちゃ貴族向きなんじゃないの。『汚らしい俗世とは関わりたくありません』みたいな顔して、聖騎士やってた人間がさ」

「そんなことはない。貴族特有の腹の探り合いには、正直困惑している」


 油のついた指を丁寧にハンカチで拭った彼は、神妙に首を振る。


「だが、早く功績を重ね、ドミニクがかぶせた汚名を返上しなくてはと、気を張っている」


 そうして、真正面から、アリアを見つめた。


「でないと、君に堂々と求婚できない。以前の求婚は、ヴェッセルス家が処分された時点で一度取り消させてもらったが、数年内には必ず、再度申し込む予定だ」

「……ば」


 恥ずべきことに、罵倒が口を衝くまでに、少々時間が掛かってしまった。

 痛恨の極みだ。


「馬っ鹿じゃないの。いいえ、ここは断定すべきね。あんたは馬鹿の中の馬鹿よ」

「なぜ」

「どう考えても、あんたがあたしと結婚する理由なんてないでしょうが!」


 心底不思議そうに首を傾げられたので、アリアは思わず叫んでしまった。

 この男は、釣り合いという言葉を知らないのだろうか。


 アリアは下町出身の孤児で、今は貴族の養女になったとはいえ、しょせん、減俸処分を食らった貧乏男爵だ。

 この性格で、しかも「次はない」と言われた前科持ち。


 一方のラウルは、「蒼月の聖騎士」から格上げ、、、され、今や「氷の次期伯爵」と呼ばれる男だ。

 彼自身は、家から犯罪者ドミニクを出してしまったことに負い目を感じているようだが、身内であっても公平かつ迅速に叔父を処分してみせたことで、ラウル自身の評価はむしろ高まっている。

 そのことに本人だけが気付いていない。


 だいたい、「夫となってともに責任を負うから、早く罪を自白しに行こう」というのがそもそもの求婚の動機だったはずだ。

 だがすでに報告は終えたし、この件の処分はなされた。


 押し倒されたぶんは彼が自分で手を刺したし、彼の叔父に襲われたぶんはその場でやり返した。

 つまり、ラウルが責任を取るべき事項なんて、まったくないのである。


「理由なら、最も重大なものがある。私は君を――」

「言っとくけど、あたしにだって好みはあるんだからね」


 真顔のまま、とんでもない口説き文句を寄越そうとしているのを察し、アリアは素早くラウルを遮った。

 距離を取るように、ぴしりと相手の鼻先に、指を突き付ける。


「よくって。あたしが結婚したいのは、棺桶に片足を突っ込んだ裕福な独居老人なの。数年後に莫大な財産を寄越してくれる相手なの。あんたに少しでも、かする要素がある?」

「私の財産は、すべて君の好きにして構わない」

「重いうえに違う! 本来の持ち主が生きてるんじゃ、どうしても気兼ねするでしょうが! 誰憚ることなく、心置きなくお金は使いたいのよ。でもあんた、どう考えても五十年先もぴんぴんしてるじゃない! 無駄に鍛えられた体しやがって」

「鍛えておかないと、君を守れない」


 アリアの人差し指をそっと下ろしながら、彼は臆面もなく告げた。


「私は生涯、君を守りたい」

「あーーーーーーーーーっ」


 どストレートな発言に耐性のないアリアは、大声出してごまかすという、あまりにも芸のない措置に出た。

 肩でのんびり揚げ物を頬張っていたバルトが、びくりと跳ねて地面に駆け下りる。


「聞こえなかった。風のせいで全っ然聞こえなかった。空っ風が吹き始める時期ね、季節の移ろいを感じるわ。今日はもう帰ろうかしら」

「アリア」

「そうそう、今夜はバーデン伯爵の夜会に呼ばれているんだった。主催者の年が年だから、きっと理想のジジイもやってくるはずよ。気合いを入れて臨まなきゃ。心が弾むわ」

「アリア」


 ラウルは、指を掴んだ手を滑らかに移動させ、アリアの腕そのものを握った。

 左手で引き剥がそうとすると、そちらの手もそっと掴まれる。


 気付けば、両腕をしっかり拘束され、顔を寄せられていた。

 彼の身のこなしが静かすぎるせいで、油断すると、いつもこうした目に遭わされる。


「再婚の決め手ってなんなのかしら。これまでは独居老人本人の趣味嗜好ばかり意識してたけど、案外その家族っていうのが肝かもしれないわよね。後添えだけど、実のご子息たちともうまくやれますよ、っていうアピールが肝要なのかも」

「アリア」

「だとしたら、老人受けを追求するんじゃなく、その子ども世代の受けというのも意識した露出を」


 アリアは勝手に紅潮しようとする頬を懸命に宥め、ぺらぺらとまくし立てていたが、ふいに、その声は遮られてしまった。


「…………!」


 ラウルが、唇をもって彼女の口を塞いだからである。


「――精霊の忌み嫌うもの、偽りの舌」


 やがて、ゆっくりと身を起こしたラウルは、長い指で、アリアの唇をなぞった。


「心にもないことを言うのはよしなさい。あまり嫉妬を煽るようなことばかりを言われると、君の口を封じたくなってしまう」

「ふ……っ、封じた後に言ってんじゃないわよ!」


 アリアは耳の端までを真っ赤にして抗議した。


「信じられない、このど変態! 破廉恥! 性騎士! なにこんな、自然に……! よくって、あんたからの求婚なんて、たとえヴェッセルス家が公爵になろうが、絶対、絶対――」

「よろしい」


 こつ、と額同士をくっつけて、ラウルは、それは美しい笑みを浮かべた。


「今度は、『舌』ごと封じよう」

「過去三分の発言をすべて撤回します」


 怖じ気づいたアリアは速やかな撤退を図る。

 ラウルは「残念」と、真意の見えない無表情で呟いたが、そこで腕を放すことなく、しっかり言質を取りはじめた。


「確認する。バーデン伯爵の夜会に出るのはやめなさい。彼は真っ先にブラックリストに載った強欲な男だ。――返事は?」

「…………」

「なお、異議を唱えるというのなら、そんな口は今すぐ封じて」

「はい」


 強ばった顔で即座に頷いたアリアに、ラウルはなおも踏み込んだ。


「もうひとつ。男の前で扇情的な装いをしようなど、論外だ。自分が嗜虐心を煽る魅力に溢れているのだということを、君はもっと、自覚したほうがいい」

「…………」

「返事は?」


 苦虫を五千匹ほど噛みつぶした顔をしていると、ラウルがとうとう、両手を頬に移動させてくる。


「どうやら異議がありそうだから、この舌は――」

「ああ、もう!」


 ついに我慢の限界を超えたアリアは、近付いてくるラウルの顔を、両手で押し戻した。


「はい! はい、はい、はい! 頷きゃいいんでしょ! はいったら、はい!」


 大声で叫ぶ。

 わかっている、これでは逆ギレだ。


 だが、この美貌の男が滲ませる色気は、なんだかとてつもなく心臓に悪い。

 命を守る行動を取ろうとすると、必然、こうならざるをえなかった。


(なんでこんなに、押されまくんなきゃいけないのよ! このあたしが!)


 しょせんは世慣れぬ、堅物の坊ちゃんだと思っていたのに。


 だがまあいい。

 バーデン伯爵の悪い噂はアリアも小耳に挟んでいた。

 ひとまず今夜は大人しくして、またほとぼりが覚めた頃を狙って、ラウルに見つからぬよう、カモを探しに行けばいいのだ。


 なんとか自分を納得させていると、そんなアリアとは裏腹に、ラウルはひどく満足そうな笑みを浮かべた。


「よろしい」


 珍しく、しっかりと口の端を持ち上げた笑みがあまりにも美しくて、つい見とれてしまう。

 その隙を突くように、彼は突然、アリアの頭になにかを掛けてきた。


「ご褒美に、これをあげよう」


 しゃらり、と金鎖の擦れる軽やかな音。


 胸元に感じるかすかな重みから、宝飾品を押し付けられたと思ったアリアは、咄嗟に顔を顰めた。

 出会ってから数ヶ月、彼がひょいと渡してくる贈り物は、いつも高額で底知れなさがあるのだ。


「いや、いらないから! 女を買う客じゃあるまいし、毎度毎度高額な贈り物をしてくるのは勘弁してって、いつも――」


 だが、ぐいと乱暴にネックレストップを引っ張り、その手触りに思わず言葉を途切れさせる。


 繊細な金の鎖に繋がれていたのは、新しい金貨だった。


「……なにこれ」

「新貨幣だ。古い金貨を預けたのに、君がいっこうに新しい金貨を受け取らないから、ずっと気になっていた。君はしょっちゅう、金貨を握り締めていたのに」

「いつも握り締めるって、人を守銭奴みたいに……。いや、そりゃお金は好きだけど」


 アリアが常に金貨を握り締めていたのは、べつに金運を呼び寄せたかったからではない。

 ただ、ベルタとのよすがを感じていたかっただけで、真新しい金貨を渡されたところで、まったく意味はないのだ。


「ていうか、この鎖、すっごい繊細なんですけど。まさか純金じゃないでしょうね。元のネックレスの何倍すんのよ。こんなの渡されても、扱いに――」


 困る、と続けようとして、アリアは不意に押し黙った。

 鎖をしゃらしゃら揺らした拍子に、金貨の裏側が見えたからだ。


 そこには、あの特徴的なベルタの筆跡で、こう彫られていた。





 ――心に込めた愛は、けっして誰にも奪われない





「これ……」

「新貨幣を鋳造している工房に頼んで、特別に彫ってもらった。筆跡も、なるべく再現してもらったつもりだが……中途半端に似せるくらいなら、書体は変えたほうがよかったかもしれないと、今でも少し悩んでいる」


 ラウルは、悩みなど感じさせない静かな表情で告げてから、呆然としているアリアの代わりに、そっとネックレスの位置を直してくれた。


「彼女の死を曖昧にするための慰謝料きんかよりは、彼女の言葉を刻んだ金貨のほうが、君も持ちやすいのではないかと思って」

「…………」

「べつに、思い出ごと忘れようとしなくてもいい。憎しみをすべて、手放さなくても」


 彼の瞳は、氷と同じ色をしているくせに、どこまでも温かかった。


「万が一この金貨に、再び『憤怒』が取り憑いたとしても、私が必ず、君を宥めにいくから」


 ぽろ、と涙が零れ、アリアは、ああもうと思った。


(ああもう。ああもう)


 絶対誰にも捕まらないと、天なる母に何度も啖呵を切ったというのに、こんなの――彼に、囚われてしまう。


「……今のは、目にごみが入ったの」

「ああ」

「本当よ」

「ああ」

「『ああ』は一回」

「一回しか言っていない」


 アリアが乱暴に目を擦りながらそっぽを向けば、ラウルは礼儀正しく視線を逸らし、代わりに空を見上げる。


「……今日は風が強いからな」


 正直者の彼がひねり出した嘘が、あまりにも下手くそなので、アリアは泣き顔のまま噴き出してしまった。


(捕まらないわ。あたしは絶対、この男に捕まらない。捕まらないんだったら)


 いつもそうしてきたように、金貨を握り締めて唱えてみるけれど、三回自分に言い聞かせても、ちっとも確信が持てないあたり、果たして効果はあるのかどうか。


 アリアは金貨を握り締めるのをやめ、真新しいそれを、そっと太陽にかざしてみた。


 心に込めた愛は、けっして誰にも奪われない。


(でも、心ごと奪われちゃったら、どうすりゃいいわけ?)


 天なるベルタに尋ねてみるが、答えなどあるはずもない。


 目を細めるアリアを、ともに天を見上げるラウルを、呑気にフライをついばむバルトのことを――金貨の弾く光が、いつまでも照らし出していた。



***************

以上で完結となります!

最後までお付き合いくださり、本当にありがとうございました。

皆様から頂く温かなコメントの数々が、日々の更新の励みでした。

強気ツンデレ泥棒令嬢と、寡黙溺愛堅物騎士に幸あれ!

と思ってくださる方は、ご感想やレビュー等、ぜひよろしくお願いいたします。


そして!ありがたいことにこちらの作品、

【書籍化】&【コミカライズ】が決定しました!

詳細は近況ノートをご覧くださいませ。

しばしの後、アリアは書籍の形で皆様の元に戻ってまいります!

皆様のご声援のおかげです、本当にありがとうございます。


それまでの間寂しいよ、と思ってくださる方は、

よければ下記作品で無聊をお慰めくださいませ。


◆つよつよ主人公が大好きだ!→後宮も二度目なら~白豚妃再来伝~

◆つよつよ主人公が大好きだ!→シャバの「普通」は難しい

◆外面と内面のギャップ萌え!→貴腐人ローザは陰から愛を見守りたい


改めて、いつも温かな応援をありがとうございます。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。

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