30.黄金を巡る攻防(3)

 ラウルの腕に抱き留められたまま、アリアは気を失った。

 だから続いて起こった出来事は、すべて後から聞いたものだ。


『アリアぁ……しっかりしろよ』


 横抱きにされたアリアに、バルトはちょろりと駆け寄ったらしい。


『おまえ、なんて顔で泣くんだよ。見てらんねえよ』


 八つ当たりするようにぴしぴしと尻尾を鳴らし、彼はトカゲの前肢で、アリアの顔をぺたぺたと撫でた。


 目先の暴徒は無力化したとはいえ、群衆は続々と、王城にやって来る。

 大罪の取り憑いた金だって、アリアの金貨が涙で「宥められた」だけで、憤怒のかけらは、あと何百、何千と残っている。


 けれどバルトにとって、そんなものはどうでもよかった。

 目の前で気を失い、その後も静かに涙をこぼすアリアのことが、心配で、哀れで仕方なかった。


『ごめんな。こんなことに、巻き込んじまってごめんな』


 彼は悔いていた。


 アリアにこんな形で過去と向き合わせてしまったことを。

 軽い気持ちで、宝石の回収を唆したことを。

 トカゲの姿を言い訳に、ほとんどを彼女に任せてきてしまったことを。


 勝気で排他的に見えるアリアが、本当は繊細で愛情深い少女だと、途中から気付いていたくせに。


『ごめんな……』


 バルトは、心の底から謝った。

 王冠にまつわる一切のことは、自分に責任があったのにと、初めて強烈に意識した。


 精霊と、人間。

 偉大なるドラゴンと、卑小なる生き物。

 これまで一切揺らぐことのなかった傲慢な隔たりを忘れ、ただただ痛切に、少女の涙を止めたいと願った。


 アリアを、助けたいと。


『後は、全部俺がどうにかするから。もう、泣くなよ』


 そうして、バルトがそっと、トカゲの舌でアリアの涙を舐め取った、そのときだ。

 ごおおお、と、大地が轟くような音が響き、バルトは驚いて舌を引っ込めた。


『えっ? ……えっ?』


 一拍遅れて気付く。


 大地が唸っているわけではない。

 この轟音は、自分の体が立てているのだと。


『ええっ!?』


 ぐんと体が膨らむ。

 破れた鱗からたちまち新たな鱗が覗き、宝石のように硬質な光を放つそれは、またたく間に全身を覆った。

 細い紐のようだった尻尾は、大の男が両腕を回しても届かぬほど太いものに。

 小さかった爪は、まるで甲冑か、大剣のように頑強なものに。


 とうていアリアの顔に乗っていられない大きさになりつつあったバルトは、変化が始まった瞬間地面に飛び降り、それでもすぐに足場がなくなってしまうと、本能の導くまま、空に昇った。


 そう、宙を、べている。

 夜空にゆったりと浮かぶ彼の姿は、正真正銘、ドラゴンであった。


「その姿は……」


 ラウルが驚きを滲ませてこちらを見上げている。

 長身の彼が、今や人形のように小さく見えることから、バルトは自分の大きさを理解し、ついで、自身になにが起こったかを把握した。


『あー……』


 本来の姿に戻るために、バルトに課された「精霊の条件」。


 心から、人を助けたいと願うこと。


『なるほどな……。なーるほど。そういう……』


 すとんと腑に落ちてしまえば、後はバルトの思うままだ。

 彼は、艶々とした瞳をきらりと光らせると、勢いよく天を目指した。


『任せろってんだ!』


 人に取り憑いて久しい大罪を、宥め、引き剥がすもの。

 乙女の涙と、ドラゴンの炎息ブレス


 月に囓りつけそうなほど高く舞い上がった後、バルトは太い首を巡らせ、地を見下ろした。


 町から王城へと続く、松明の行進。

 猛々しかった憤怒の炎も――こうして見れば、風に揺れる蝋燭の炎のように、寂しく、頼りない。


『なんて哀しい炎だよ』


 ぽつりと、バルトは呟いた。


 憤怒というのは、もっと勇ましく、禍々しい感情なのだと思っていた。

 攻撃的で、苛烈。

 まさに燃えさかる炎のように、力強いものなのだと。


 だがどうだ。

 遙か高みから見下ろす怒りの火は、金色をした涙のようだ。

 滴のように連なって、ゆらゆらと揺れている。


 バルトは、大きく息を吸い込むと、行進する人々に向かってではなく、天に向かって口を開いた。

 ぐう、と、体が膨らむほどに力を貯め込み、一気に吐き出す。


 炎息ブレス


 おおおん、と、一帯に音を轟かせたそれは、空をも揺るがし、夏の夜にゆったりと浮かんでいた雲を、激しく掻き回した。


 ぽつん……。

 形を変えた雲から、やがて、一滴の雨粒が落ちてくる。


 ぽつん。

 ぽつ、ぽつ……。


 まるで雫が雫を呼ぶように、雨粒は次第に量を増し、王都一帯は見る間に、ばけつをひっくり返したような大雨になった。


「雨……?」

「雨だ。嘘だろう、こんな夏の夜に」

「乙女の涙だ」


 夏に突然降る雨――乙女の涙。

 予測不能で厄介で、どうか止んでくれと願わずにはいられないもの。


「なんだよ、雨かあ……」


 人々は困ったように空を見上げ、ついで、掲げていた松明を、持て余すように眺めた。

 こんな大雨では、炎の行進なんてできやしない。


「おい、どうする」

「どうするも、こうするも」


 あちこちで、顔を見合わせたり、肩を竦めたりする人々の姿が見える。

 やがて彼らは、ずぶ濡れになりながら、来た道を引き返しはじめた。

 これまで抑えきれずにいた怒りを、雨でゆっくりと冷やしながら。


 その後三日三晩続いた大雨は、人々の蜂起の念をすっかり挫いてしまった。

 だってこんなどしゃ降りの中では、松明も剣も持てやしない。


 一向に止まない雨に、人々が不安を覚えはじめたとき、王城からの触れが届きはじめる。

 避難所を準備したことや、食料や飲み水を用意してあること。

 この雨で家業に大きな損害を出したものは、秋の税を減免すること。


 手厚い支援を起案したのは、都令を務める、勤勉なるヒルトマン子爵だった。

 精力的に実務に当たるマイスナー伯爵やクレーベ子爵も支援に当たり、慈悲深き王妃もこれに口添えしたという。

 賢君と名高い国王は、これを速やかに承認した。


 暴動を許した三年前とは異なり、もう二度と、民の命を掌から漏らしやしない。

 そんな強い意志を感じさせる対応に、民は思い出した。


 そうだ。

 そうだった。

 暴動の冬で失ったものは取り返しがたく、哀しみと怒りに囚われることはいまだある。

 けれどその後、いいや、暴動の渦中だってすでに、王はなにくれとなく、民に手を差し伸べていたではないか。


 殴りつけてくる手もある。

 押さえつけてくる手もある。


 けれど、闇に浮かぶ星のように、ささやかに、そして確かに、自分たちに向かって差し出されている手もある。

 どちらを見るかは、自分次第だ。


 雨が上がり、民が落ち着きを取り戻しはじめた頃、もう一つ、民の心を弾ませる触れが出た。

 起案したのは、若き美貌の伯爵令息、ラウル・フォン・ヴェッセルス。


 思いがけないその触れを聞きつけて、民はこぞって、貯め込んでいた金貨や握り締めていた金細工を、役所に預けに行った。

 これをもって、金に取り憑いていた「憤怒」は、滞りなく回収された――。





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明日の最終話は、なろうさんより一足早く、朝8時に投稿します!

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