第31話

「若様方、ちっとも不思議ではありませんよ。陛下は『めろめろ』になってしまっているのです。ロレイン様の魅力には敵わないということですね」


「よけいなことを言うな、ティオン!」


 ジェサミンが顔をしかめ、ティオンをじろりとにらみつけた。オーラは抑えられているが、必殺の目つきだ。


(うわあ。ティオンさんって怖いもの知らず……)


 「すみません」と言いつつも、飄々としているティオンの態度に、ロレインは心から感心した。


(皇の狂戦士みたいに、徹底して鍛えられた体じゃないけど。厳しい訓練をくぐり抜けた戦士みたいに、並外れた心の強さがある人だなあ。そうでなければ、後宮の管理人は勤まらないのかも)


 ロレインがそんなことを思ったとき、本物の皇の狂戦士が足早に近づいてくるのが見えた。

 全身筋肉のような、ずいぶん大きな男性──ジェサミンの側近のケルグだ。


「陛下……」


 ケルグは何事かをジェサミンに耳打ちした。


「くそっ! 老人たちは朝が早いな」


 ジェサミンが唇を引き結ぶ。


「悪いが、一緒に朝飯を食えなくなった。とある案件で、長老どもが説明を求めに来たのだ」


「まあ。緊急かつ重要な案件なのですね。カルとシストとエイブのことはお任せください」


 ロレインは優しく言った。いくら長老たちでも、朝一番で尋ねてくるなんて異例のことだ。喫緊の課題であるに違いない。

 ロレインのお腹や腰に、三つ子がさらに強くしがみついてくる。我儘を言ってはいけない場面だとわかっているのだろう。幼いながらも、皇帝であるジェサミンの双肩にのしかかる責任の重さを理解しているようだ。


「守り役の皆さんがいくらかでも楽になるように、私も頑張りますから。早急に新しい守り役を探さなければなりませんが、真に信頼できる人材の見極めにも手を貸せると思います」


「頼んだ。お前がいてくれて、つくづくありがたい」


 次の瞬間、ジェサミンの熱がロレインを包んだ。ふわりと抱きしめられたのだ。間に挟まれた三つ子がきゃあきゃあと歓声を上げる。

 甘い空気が辺りに漂う。ジェサミンが無意識に醸し出すスイートなオーラに、ケルグが目を白黒させているのが見えた。


「いつも心の片隅で、俺のことを思っていろ。俺もそうする」


 ロレインの髪に顔をうずめて、ジェサミンが小さく言った。


「ははは、はい……」


 これ以上甘さを感じたら胸がはちきれる、と思ったところでジェサミンの熱が離れた。

 双方の間で意思が通じたかのようにジェサミンとケルグは同時に踵を返し、大股で歩き去って行った。ティオンも小さく頭を下げ、彼らの後に続く。


「ベラ。若君たちが私と一緒に食事をすることを、すぐに厨房に伝えて貰えるかしら。マイとリンは、サンルームに四人分の席を設けてくれる?」


 女官たちが笑顔でうなずき、すぐに動き出した。


「もしかして私の出番でしょうか?」


 ばあやがにっこり笑い、気合いを入れるように右肩を回して見せた。


(子どもの扱いが上手なベテランで、ちょっとのイタズラくらいでは目くじらを立てない、温厚な守り役……)


 ロレインは「あ」と声をあげた。望み通りの適任者がすぐ近くにいたのに、どうして気付かなかったのだろう。

 うっかりな自分を責めるように顔をしかめ、それから大きな笑顔を浮かべる。つい昨日まで、人前で過度に感情を出してはならないと思っていたことなど、すっかり忘れていた。


「ばあや。私の可愛い弟たちのために、手を貸して貰える?」


 ロレインはばあやの両手を握った


「ええ、ええ、喜んで。この二週間、心地よくくつろがせていただきました。でも、ゆっくりしすぎて体がなまってしまって。ぬくぬくと暮らすのもいいですが、私はやはり働きたいのです。神経痛のお薬もよく効いておりますしね。私が責任もって、若君たちのお相手をさせていただきますわ」


 ばあやはそう言って、二人の守り役に視線を向けた。看病でへとへとになっていたらしい彼女たちが、救われたような表情になる。ばあやがいれば、多少は安心して休むことができるに違いない。


「はじめましてカル様、シスト様、エイブ様。私はロレイン様のばあやです。今日からは、若様方のばあやにしていただけますか?」


 三つ子の前でしゃがみ込んだばあやは、すっかり子どもを守る乳母の顔になっていた。

 三つ子が顔を見合わせ、同時に「いいよ」とうなずく。彼らは素直な笑顔を浮かべた。どうやらばあやのことが気に入ったようだ。

 弟たちがばあやを好きになってくれたことが、ロレインには嬉しかった。年齢のわりに利発な子たちだから、彼女が信頼できるとたちまち見抜いたのかもしれない。


(サラとエライアスの結婚式がどうだったか、ジェサミン様は情報を集めるはず。そのあと、マクリーシュから誰かが来る可能性が高い。それまでの間は、あんな人たちのことは考えたくない。平穏な宮殿での暮らしを楽しみたい)


 三つ子と一緒にいればあっという間に時間はすぎるはずで、余計なことなどひとつも考えずに済みそうだ。


「じゃあ、朝ご飯を食べに行きましょう。みんなで食べたらきっと美味しいわ!」 


 ロレインは歌うように言った。弟たちに愛され、自分も愛を返せることが嬉しくてたまらなかった。

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