第27話

 これまでに経験したことのないほど満ち足りた睡眠だった。体中が圧倒的な幸福感に満たされている。


(うわあ綺麗。天井に黄金色の光が反射して……なんてまぶしい光……光?)


 ロレインは跳ね起きた。


「え、あ、う、ええ?」


 起き抜けのせいで舌がもつれる。心臓が胸から飛び出さんばかりに、激しく鼓動を刻んでいた。


「起きたか」


 ジェサミンの声にぎょっとして目を向けると、やはり寝起きの彼がいた。

 琥珀色の髪が盛大に乱れている。白いシャツの裾がめくれあがっていて、鍛えられたお腹が丸見えだ。制御しきれないオーラがにじみ出て、空に輝く太陽のようにまぶしい。


「気分はどうだ?」


 肘枕をついたジェサミンが、にやりと笑いながらロレインを見上げる。


「なかなか……複雑です。でも、あの、何と言いますか。とてもいい感じです……」


 ロレインは手で顔を押さえながら答えた。申し訳なさもあるが、恥ずかしさで全身が熱くなり、体の内側から溶けてしまいそうだった。

 ジェサミンが声をあげて笑う。


「昨晩のお前は可愛かったぞ。途中で起きては、やれ水が飲みたいだのクッションを持ってこいだの」


 ロレインは指の隙間からジェサミンを見ながら「ううう」と唸った。


「も、申し訳ありません……」


「なんの。抑えこんできた我儘が一気に爆発したにしては、ささやかすぎる願いばかりだった。俺にしがみついて『一度でいいから寝坊がしてみたい』などと言うものだから、不憫すぎて身悶えしたぞ」


 ジェサミンは気を悪くした様子もない。それどころか嬉々としている。

 二人して分厚い絨毯の上に倒れ込んで、いつしか眠りに落ちていた。ジェサミンの言う通り何度か目が覚めたが、どうしても離れたくなくて。

 彼の体の上に子どもみたいに横たわったり、たくましい背中に手を回したりして、とうとう朝までぴったりくっついて眠ってしまったのだ。

 時計の時刻は、ロレインがいつも起床する時間をとっくにすぎていた。間違いなく寝坊だ。


(マクリーシュでは、非の打ちどころのない生活態度を貫いてきたのに……。でも、すごく心が軽くなってる)


 ジェサミンはロレインから、いとも簡単に自制心を奪い去ってしまう。すっかり酔いはさめたが、指の隙間から見えるたくましい体に目が釘付けで、頭が沸騰していた。正常な思考力などあるはずもない。

 ジェサミンが起き上がり、ロレインの手首を優しく掴んだ。そのまま引っ張られ、隠していた顔が露になる。


「寝坊をしたことがなかったのか?」


 じっと顔を覗き込まれ、ロレインは彼の金色の眼差しを見返した。


「えーっと……はい。王太子妃になる娘は、どんなささいな間違いもしでかしてはならない……先生方が、そういった教育方針だったので」


「そいつらはどうかしているな」


 ジェサミンが呆れたように言った。


「俺ですら体調次第では寝坊するぞ」


 がしがしと頭を掻きむしり、ジェサミンが目を細める。


「お前は間違いなく『いけないこと』をする経験が足りない。前回ルールを破ったのがいつだったか、思い出せるか?」


 少し考えて、ロレインは首を左右に振った。いつだったかまったく思い出せない。


「多分、十年以上前だとは思うのですが」


「ふーむ。とりあえず酒は毎晩飲ませるとして、他にどんな『いけないこと』を教え込むか……」


 ジェサミンが含み笑いをする。


「何しろ十年分のストレスだからな。いい発散方法を考えてやるから、楽しみにしていろ」


「はい。ちょっと怖いけど、楽しみです」


 ロレインは正直に答えた。不安はあるけれど、大いに興味をそそられる。

 ジェサミンの周囲で、何でも自分の思い通りにする人特有の自信がオーラとなって輝いている。でも彼には、おごり高ぶって人を見下すようなところはない。


(豪放磊落って言うのかな。度量が大きくて、小さなことにこだわらない。人間味があって、心がすごく温かい)


 ジェサミンのためなら火の中水の中という、腹心の部下がたくさんいるというのもうなずける話だ。ロレインも彼の前でなら、何度でも心からの笑顔になれる。


「よし、とりあえず朝飯だ。ベラたちを呼ぶとするか」


「私たち、朝まで二人っきりで……。みんな、何もなかったと言っても信じてくれませんよね……」


 急に現実が襲ってきて、ロレインは気まずさと恥ずかしさの入り混じった奇妙な感覚にとらわれた。


「女官には正直に言えばいい。ティオンは当然大騒ぎするだろうが、別にそれで困るわけではない。すでに夫婦なのだし、お前の父親に挨拶を済ませるまで俺が我慢しているだけの話だ。じきに結ばれるのだから、誤差でしかない」


 ジェサミンがひょいと肩をすくめた。

 二人して立ち上がり、身だしなみを整える。ドレスはすっかりしわくちゃだ。乱れた髪を、ジェサミンが手櫛で梳いてくれた。

 ジェサミンのシャツのボタンが外れていたので、お返しにロレインがはめてあげた。

 いちゃいちゃしている、という感じだ。とてもむず痒いのだが、心が満たされるのが不思議だった。

 女官たちを呼ぶための紐にジェサミンが手を伸ばす。次の瞬間、窓の外から静寂を切り裂く大声が聞こえた。


「わ、若様方! 風邪が治ったばかりで走ってはいけませんっ!」


「カル様、シスト様、エイブ様、お待ちください! お兄様に叱られてしまいますよっ!!」


 声の主たちが焦っているのがわかる。ロレインは慌てて窓の外を見た。三人の子どもたちが、すごい勢いで庭を走っているのが見えた。

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