第15話
ロレインたちのいる場所は、宮殿側にある『正妃の部屋』だ。
何人もの令嬢が『おためし』で利用した後宮の部屋より断然いいだろう、とジェサミンは判断したらしい。
もちろん室内は華やかに装飾されている。贅沢という言葉では到底足りないくらいだ。
低くて大きなテーブルにはたくさんのお菓子が置かれている。ロレインたちは絨毯の上にクッションの山を築き、くつろいだ姿勢でお菓子をつまんだ。
厳しい王太子妃教育を受けながら、心の奥で「普通の令嬢のように青春を謳歌してみたい」と思っていた。まさかヴァルブランドで夢が叶うとは。
「ねえねえ。ロレイン様は、違う人生を切望して後宮入りを志願したの?」
黒髪黒目でほっそりした体型のパメラが言った。
「え? え、ええ。そう──そうね」
ロレインはぎょっとして、次いで気まずい気分になった。
「いえ、正直に言うわ。ヴァルブランドに来たのは人生をやり直したかったからじゃなくて……『一時的』に逃げたかったからなの。マクリーシュを離れるのは、ほんの二か月だけのつもりだった」
「あらあら。でも、そんなことじゃないかと思ってたのよ」
赤毛のレーシアが、黒い瞳をいたずらっぽくきらめかせた。ロレインは小首をかしげた。
「だって、ロレイン様は野心満々じゃないんだもの」
「皇后の座を狙うタイプには見えないわよね」
レーシアの言葉を、茶色い髪のサビーネが引き継ぐ。彼女の瞳は穏やかな灰色だ。
ロレインは目線を下に向けた。
「婚約を破棄されてからは、ずっと屋敷に引きこもっていたわ。自分から行動を起こすことはほとんどなかった。社交の場に出ても、貴族たちはよそよそしい態度をとるから。誰ひとり近づいてこないし。ひそひそ話をされて、非難の目を向けられるだけ」
マクリーシュでのことを思い出すと、どうしても気持ちが沈んでしまう。
「エライアスとサラとの接触も、できるかぎり避けてきた。でも、二人の結婚式に招待されて……私は筆頭公爵の娘だもの、国家行事を欠席することは許されないわ。でも、我慢の限界を超えたの。結婚式に出ないで済むならなんだってやってやるって気持ちで、後宮入りを志願した」
「エライアスとサラは、なんて無神経なの。二人揃って人の神経を逆撫でする天才ね。結婚式に出たくなくて当然よ、出られるわけがないわっ!」
シェレミーの声が怒りに震えた。彼女は蜂蜜色の髪と目の持ち主だ。とても華やかな美人で、ジェサミンに似た迫力がある。
「わかってくれて嬉しい。婚約破棄の傷を抱えたまま招待客の中に混じるだけでも耐えられないのに、サラは私にスピーチをさせたかったんですって」
四人の令嬢があんぐりと口を開けた。
「……本当に人間なの? 邪神とか悪魔じゃなくて?」
恐ろしい疑問が湧いたらしく、シェレミーが震える声で言った。ロレインは苦笑しながら「多分人間だと思う」と答えた。
「父は何とかして、私を一時的に逃がそうとしたの。後宮入りの話を持ってくるなんて思いもよらなかったけれど……私には父の思いやりがありがたかった」
ロレインは最後に見た父の顔を思い出した。出航する船に向かって手を振る、寂しそうで切なそうな顔。
「素晴らしいお父様なのね。ロレイン様を見てたらわかるわ」
パメラがつぶやくと、他の三人も同意するようにうなずく。次の瞬間、シェレミーがはっとしたような顔つきになった。
「マクリーシュ王国からの志願者はロレイン様ひとりだけだったけど。よく考えたらそれっておかしいわ」
「そういえばそうね」
レーシアが真顔で応じる。
「陛下のお妃探しはヴァルブランドの令嬢から、他の大国や歴史の長い国の王女や高位貴族の令嬢へと移ったわ。ものすごい権力者で、ものすごく裕福な方だもの。オーラのことがあっても、候補は次々と現れたわ」
「ええ。玉の輿狙いの令嬢たちが、我こそはと殺到したのよ。結局ふさわしいお相手は見つからなかったけれど」
「数か月前に、打診の範囲を小さな国にまで広げたわ。マクリーシュの前に四つの国から志願者を募ったの」
「オーラのせいで、陛下は粗野で獰猛で残忍だという噂が広がっていたし、例の『お前を愛することはない』も有名になっていたけど。それでも相当な人数が集まったのよ」
四人の言葉に、ロレインは背筋がぞくりとした。
「……もしかしてサラが、エライアスが……他の候補達を握りつぶした? 結婚式のスピーチより、たったひとりで後宮入りさせて悲惨な結果に終わる方が、よほど面白いと思った……?」
シェイミーがロレインを見て、気の毒そうな表情になった。
「その可能性はあるわね。ロレイン様のことだもの、何だかんだ言ってスピーチは立派にこなしたでしょうし。すごすごと帰ってきた姿をあざ笑う方が、たっぷり楽しめると思ったんじゃないかしら」
せせら笑うサラの声が聞こえた気がした。エライアスはサラの望みなら何でも叶える。彼ならそれくらいのことはしそうだった。
「もしそうなら許しがたい侮辱よ!」
「でもざまあみろじゃない? 結果としてロレイン様は、陛下の正妃になったんだし!」
「事実を知って眠れぬ夜を過ごそうと、自業自得よね」
「ケルグが情報を持ち帰るのが楽しみだわ。エライアスもサラも、すごくいい反応をするに違いないもの」
四人は必死で明るい話題に持っていこうとする。感謝しかない、とロレインは思った。
「ね、明日は街歩きに行かない? 新しくできた本屋さんに行って、可愛い雑貨のお店を覗きましょうよ」
「のみの市に出かけるのもいいわね。掘り出し物を探すのは楽しいわ」
「服飾店でコーディネート対決はどう? 交代で試着して、あれこれ批評するの」
「いいかもしれないわね。最下位になったら全員分のお会計を持つっていうのはどう?」
みんながロレインの方に身を寄せきた。手を握ったり、肩に手を置いたり、背中を撫でたりしてくれる。
彼女たちの優しさに胸を打たれ、ロレインは微笑んだ。
それからは楽しい話題だけを選んで会話を続けた。すっかり気分が軽くなった頃、部屋の扉が大きく開かれた。
きらびやかな金のガウンをまとったジェサミンが入ってくる。四人の令嬢を順番に眺めると、彼は思いっきり渋い表情になった。
「これは『まだいたのか』のお顔ね」
「『女の話は長いな』とか『いつになったら終わるんだ?』のお顔じゃないかしら」
「そうじゃないわよ『ロレイン様との時間を邪魔するな』のお顔よ」
「つまり『さっさと帰れ』ね」
四人はさすがに親族だけあって親しげで、完全にジェサミンをからかっている口調だ。
「ぐ……わかってるならさっさと帰れ! 邪魔をするならオーラを出すぞ!」
気持ちを見透かされたジェサミンが怖い声を出す。
四人は「はいはい」と笑いながら立ち上がり、笑顔をまき散らしながら帰って行った。ロレインも笑顔で手を振った。
「彼女たちには感謝しかありません。慣れない国で私が寂しくないように、精一杯気を遣ってくれているんです。会話の中でさりげなく、ヴァルブランドの伝統やしきたりを教えてくれて……」
意味深長な目でジェサミンを見上げる。彼は「う」と息を呑んだ。
「俺の態度も……悪かったと思う。あいつらには今度謝る。お前が詫びの品を選んでくれるか?」
「素晴らしいお考えです。気合いを入れて選びますね」
ロレインは満面の笑みで言った。
「すでに尻に敷かれている気がするが、俺の気のせいか?」
ジェサミンが唸ったので、ロレインは真面目な顔で「気のせいです」と答えた。
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