第6話

 残りの時間は慌ただしく過ぎていった。


「さあ、これで完成です」


 ハーブティーの女官──ベラという名前らしい──が最後の仕上げとして、ロレインに薄くて柔らかなガウンを羽織らせた。

 白いガウンは向こうが透けて見えるほど薄い。その下に着ている紫色のドレスは袖幅が広く、襟ぐりは浅めだ。肩や腰回りには可愛らしい飾り房がついている。

 ヴァルブランド帝国の伝統的な衣装であることは疑いようがない。ロレインは困惑していた。


(追い返されるために来たのに、どうしてこんな大げさなことに……?)


 きっと帝室の権威を示すことが目的なんだろう。わけがわからないながらも、ロレインはそう結論付けた。


「それではロレイン様、皇帝陛下をお迎えするための場所へ移動しましょうっ!」


 ティオンが興奮した声で言う。ロレインは彼と、それから三人の女官たちに促されて歩き出した。

 案内されたのは後宮内の『鐘の広場』というところで、ロレインはその豪華絢爛ぶりに仰天した。

 壁にも天井にも、柱にもシャンデリアにも黄金がふんだんにあしらわれている。大きな噴水があり、光り輝く水の流れが目と耳を楽しませてくれた。

 見事な彫刻を施した大きな扉の前に、二人の女官が控えていた。剣を携えているので、彼女たちが後宮の戦士なのかもしれない。


 鐘の広間には大勢の使用人がいて、そのことにもロレインはぎょっとした。出迎えはティオンひとりだけだったのに、一体どこに隠れていたのだろう。

 人だかりの中に、なぜか白衣姿の人たちが混じっていることに気づいて、ロレインは怖気づいた。


「あの、ティオンさん。あの方たちはお医者様か何かですか? 一体何が始まるのです? 私が予想していた場面とは大違いなのですが……」


「い、いやあ。不測の事態に備えて、とでも言いましょうか。どうかお気になさらず」


 ティオンは曖昧な声を出し、口元を引きつらせた。

 ロレインは不安な思いで周囲を見回した。広場は使用人たちの興奮したささやき声で満ちている。


 ふいに、扉の向こうから鐘の音が聞こえた。使用人たちのおしゃべりが一斉にやむ。

 その場の空気が張り詰めるのがわかった。マクリーシュの王宮でもこれほど場が緊迫したことはない、とロレインは思った。


「皇帝陛下のおでましです!」


 二人の女戦士が同時に言い、右と左から荘厳な扉を開く。

 皇帝を初めて目にする瞬間に備えて、ロレインは気を引き締めた。意匠を凝らしたドアの隙間から、立て襟の長衣姿の男達の一団が見える。


 彼らの真ん中に、ひときわ背の高い男性がいた。頭と肩が抜きんでている。完全に扉が開き、男達が前に進み出てきた。

 中心にいる人物には独特の存在感があった。全員が白い長衣を身に着けているが、その人だけは金のガウンを重ね着している。色鮮やかな刺繍が施された豪華なものだ。


 いやおうなく人目を引く、息をのむほど端整な顔立ち。ゆったりした衣服でも、堂々たる骨格と筋肉質な体の持ち主であることがわかる。

 琥珀色の髪は獅子を彷彿とさせる。前髪は後ろに流されていて、やはり獅子を思わせる金色がかった茶色い瞳が目を引いた。


 ロレインは畏敬の念に打たれた。彼にはものすごいオーラがあった。太陽が輝いているみたいだ。

 他を圧倒する威圧感は太古の神のようであり、野生動物のようでもある。とにかく支配者らしい雰囲気を備えていた。


(これほど強烈なオーラを放つ人がこの世に存在するなんて……っ!)


 鋭い光を放つ瞳が、まっすぐにこちらに向けられていることにロレインは気づいた。彼が身にまとう濃厚な王者の風格が、うねりとなって襲い掛かってくるようだ。


(こ、怖い! でも、ちゃんと見返さなくちゃ。怯えていると思われたらコンプトン公爵家の名誉が傷つく……!!)


 ロレインはまばたきもせずに皇帝の目を見返した。息が詰まりそうなほど張り詰めた時間が流れる。

 そのとき、ロレインの背後で背筋の凍るような悲鳴が上がった。


「ひいいいいっ」


「ティオン様、ベラが気を失いました!」

「マイとリンもですっ!」


「くっ! 陛下のオーラ全開に当てられたかっ!!」


 ティオンの慌てたような声がする。


「え、何事?」


 背後の騒ぎは大きくなるばかりで、ロレインは思わず振り返った。ティオンがベラを抱きかかえ、ぺちぺちと頬を叩いている。風呂の世話をしてくれた二人の女官も床に倒れていて、ぴくりとも動かなかった。 

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