第24話 ただいまFHS

『ゲームにログインできません~』


 FHSにログインした莉都――ことジャスミンを待っていたのは、待ち合わせに遅れるホワイト・リリィからの通信だった。


 ディープスペース初心者である彼女が何かしらの接続トラブルに手間取る可能性は承知していた。ジャスミンは冷静にリリィから事情を聴取する。


「昨日はどうやってログインしたの?」

『それがよく覚えてなくて……色々試してみたんですけど、FHSのデータ? 自体が無いというか』

「まずは落ち着いて。コンピュータ同士が相互に情報を集積するディープスペースでは、コンピュータ単体にデータを保存することはない。間違えて削除して今までの進捗がパーなんてことはないから、それについては大丈夫。まずは接続できなくなる原因をひとつひとつ洗い出していきましょう」


 ジャスミンは通信越しに指示を出し、リリィのディープスペースについて一通りの設定を確認してもらう。


「ここの表示にはチェックが付いてる?」

『えっと……付いてます』

「なら通信関連は無問題……と。残る可能性としては――」


 いったいどんな原因があり得るだろう――と悩むジャスミンの脳裏に、ひとつの可能性が浮かび上がる。それはジャスミンが莉都として今日の昼、愛佳のコンピュータに施した設定だった。


「――チャイルドロックが掛かっているとか?」

『そういえば今日セットアップをしてくれた人がそんなカタカナ語を言っていたような……』

「なら間違いなくそれね。一応訊いておくけど、あなたは小学生以下じゃなくて、保護者の同意なしにディープスペースを利用できる年齢?」

「はい! 一応高校生なので大丈夫です! 歳は――」

「具体的な年齢までは言わなくてよし。ディープスペースでは余計な個人情報は喋らないこと――それじゃあまずはこの操作をしてみて」


 通信でリリィに指示を出し、チャイルドロックの設定画面に飛んでもらう。ジャスミンの推測は正解で、リリィのログインを妨げているのはチャイルドロックによるフィルタリングだった。現実のリリィが小学生以下ではない以上、このロックは自身の意志で解除できるし、彼女には自らの閲覧する情報を自らの手で選別する権利がある。


 しかし高校生のディープスペースにチャイルドロックを設定する保護者というのも、なかなかに過保護だ。リリィは学校に通えていないという話を昨日していたが、束縛を感じさせる家庭環境も含めて、彼女は普段どのような暮らしをしているのだろう――画面の向こうに居る相手のプライベートについて、ジャスミンは余計な思考を巡らせてしまう。


「その画面が出たなら、もうログインできるはず。試しにやってみて」


 その通信から十数秒程の間を置いて、リリィはFHSにやって来た。


 きらびやかな光が溢れ出し、そこからひとりの少女が姿を表す。ふわりとウェーブを描く白金の長髪。ピンクを基調に水色の差し色が入ったフリルドレスは、FHSを開始した直後に与えられるスタートドレスの一種だ。現実や他ゲームと比較すれば眩しいくらいに華やかなその姿も、このFHSにおいては初期設定デフォルト容姿スキンに過ぎず、一目で初心者と察せられる没個性でしかない。しかしゲーム開始時にランダムに付与されただろう瞳の色――星を散りばめたような輝きが宿る翡翠色の瞳には、ジャスミンの視線を惹きつける不思議な魅力があった。


「会いたかったです、ジャスミンさん~!」


 FHSにログインしたリリィは、勢いのままジャスミンに抱きついてくる。翡翠色の瞳を彩るぱっちりとした睫毛が、ジャスミンのすぐ近くで瞬いた。髪から香る良い匂いに、頭がくらくら揺れる――これに似た感覚を、ジャスミンは今日体験したばかりだった。ディープスペース内でのアバターが現実の体型とあまりにかけ離れていると、現実と異なる身体の感覚にディープスペース酔いを引き起こすことがある。そのため初期設定デフォルトでは現実の体型をある程度反映してディープスペース酔いを回避するようになっていた。そしてリリィの華奢な腰回りと腕の感触は、ジャスミンが現実に知る幼馴染そっくり――


 ――だから私はこの子のことを放っておけないのかもしれない。


「ディープスペースで知り合った人と気軽にボディタッチしないこと」


 ジャスミンは抱きついてくるリリィの身体をやんわりと引き剥がす。


「ご、ごめんなさい」

「別に嫌だったわけじゃないよ? でもインターネットには悪意を持って人と繋がろうとする人もたくさんいるから」

「それ、わたしのお友達も言ってました! わたしは特に気をつけたほうがいいって」

「その友達は大切にしたほうがいいよ。私もあなたと出会ってまだ一日しか経っていないけど、何となく騙されやすそうな印象を覚えたから」

「えっ、そうですか?」


 無邪気に首を傾げるリリィ。そういうところが愛佳と似ていて、危なっかしさを感じるのだ。


「実際に騙されるかどうかは別として、騙されやすそうと判断されただけで悪意のある人は寄ってくるの。それにここであんまり引っ付いたりしていると――」


 ジャスミンはそれとなく周囲を見渡す。ログイン直後にプレイヤーがやって来るロビーには、ジャスミンやリリィ以外にも多くのプレイヤーが居た。ロビーとして設定されているメーン・キャッスルの中庭は、前回のゲーム終了時にやって来たときと同じく、華やかなドレスを纏ったスーパーヒロインで溢れている。


「――パートナーと間違われそうだから」

「パートナー?」

「今はパートナーイベント中なの。だからそこら中にイチャついたカップルが溢れかえってるってワケ」


 ロビーを歩くプレイヤーの多くは二人組で、その誰もが仲睦まじげに言葉を交わし合っている。ランダムで組んだ見知らぬプレイヤー同士では、あそこまで話が盛り上がっていたり、腕を組んで歩いていたりすることはない。


「パートナーって何でしょう? わたし初心者だからカタカナ用語の意味がほとんど分からなくて――」


 そういえばそうだった――ジャスミンは慣れ親しんだゲーム内用語を自然と使っていたことに気づく。


「まぁその話はしばらく後かな。順序立てて覚えていったほうが混乱しないだろうし、限られた脳の容量はまずルールや基本技術の理解に費やしましょう」


 そこまで話したところで、リリィがはっと顔を上げる。


「そういえばわたし、今日はジャスミンさんにゲームを教わるんでしたっけ」

「そのために待ち合わせしたんでしょう?」

「ジャスミンさんとこうして会うだけでも大変だったので、会えただけで満足しちゃってました……」


 えへへ、とはにかむリリィ。こうやって天然で愛らしい仕草をすると、本当によくない輩が付き纏いそうだ――彼女がディープスペースで初めて知り合ったのが自分であったという事実に、ジャスミンは心の中で小さく安堵する。


「目標は試合マッチで一勝すること。たった一回の勝利でも、最大で百人――デュオで五十チームが参加するバトルロイヤル・ルールで最後の一チームになるには、相応の努力と運が必要。運については数をこなすしかないけど、努力については然るべき順序で学ぶことでその道のりを短くできる。私が今からあなたにティーチングするのは、勝利のための技術プレイング

「はい、分かりました。よろしくお願いします、ジャスミン先生!」


 先生――聞き慣れない呼び名にこそばゆさを覚えるジャスミン。そういえば、動画などで自身より上手いプレイヤーから技術プレイングを学ぶことはあっても、こうやって対面で自分より経験の浅いプレイヤーに技術プレイングを教えるという経験は初めてな気がする。プレミアム・ランカーになってから退屈を覚えていたFHSに感じる、新たな可能性。それがたとえ一時いっときの痛み止めに過ぎなくても、彼女の輝く瞳を見つめていると――不思議と一歩を踏み出す活力が湧いてくる。


「先生はナシ。恥ずかしいから」

「じゃあ先輩!」

「それもナシ! 昨日みたいに、さん付けでいいよ」


 あどけない笑みを浮かべるリリィに、いや私には愛佳がいるんだから――と莉都は自分でもよく分からない言い訳を頭の中に浮かべてしまうのだった。

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