第12話 interlude 輝けるプレミアムレアドレス

 むかしむかしあるところに、お姫さまたちが暮らす素敵な国がありました。


 女王様が治めるその国で、お姫さまたちは何ひとつ不自由ない安寧を享受します。


 しかしそんなお姫さまたちの中に、たったひとり、いつも彼方の空を物憂げに見つめている少女が居ました。


 少女の瞳に映っていたのは、遥か遠くにきらめく星々でした。美しく輝く星々は、ひとときの間に少女の心を奪い去っていたのです。星々に心奪われた少女は、日々の安寧に満足できなくなり、狭く苦しい鳥かごに閉じ込められているかのような悲しみを覚えていました。そして来る日も来る日も、真昼の空さえも見つめて、輝いていなくてもしかとそこに在るはずの星々に想いを馳せ続けていたのです。


 少女は星々に焦がれるあまり、ついに彼方の夜空を目指して国を発つ覚悟を決めました。お姫さまたちは自ら安寧を捨てようとする少女を憐れみ、口々に止めようとします。しかし女王様だけは少女に優しく語りかけました。


「ようやく空へ翔び立つときが訪れたのですね。あなたは私の可愛い子たちの中で、最初に彼方を夢見た存在――星々を目指すあなたのために餞別を贈りましょう」


 女王様が少女に贈ったのは、旅路を歩む装束としてのドレスと、夜道を照らす光の杖。ドレスを纏い、杖を携えた少女のなんと美しいことでしょう。星々の輝きに心ときめかせる少女は、この国に暮らす誰よりも愛らしく、そして眩しく在りました。そのときになって少女を止めようとしていたお姫さまは気づきます――何かに焦がれ、夢と憧れを胸に抱くことは、ヒトを誰よりも美しくするということに。


 お姫さまとしての身分を捨て、何者でもなくなった少女。国を発った少女がその後どうなったのか――それは誰も知りません。星々の輝きをその手に掴んだのか、それとも道半ばで手折れてしまったのか。それでもお姫さまたちは決して少女のことを忘れません。少女が遥か彼方の星々に夢と憧れを見出したように、お姫さまたちにとってはその少女が夢と憧れの象徴となったのです。


 少女と同じく心に夢と憧れを宿したお姫さまたちへ、女王様は告げます。


「あの美しいドレスは、一度にそう何着も縫うことのできない至高の一着。プレミアムレアドレスを纏いたいと願うなら、それに相応しい自らを証明しなければなりません」


 その言葉をきっかけに、お姫さまたちはドレスに相応しく在るため自らを磨くようになりました。ときには限られたドレスを求めて競い合い、その競争がお姫さまたちをより強く、優しく、美しくしていく――


 ――遙か彼方に飛び立ったあの子ように、私たちもいつか、輝く星々になろう。


 遥か彼方に在って、そこに在ると信じるだけで、心の中に小さな救いをもたらしてくれる――そんな彼女のことを、お姫さまたちはいつしかスーパーヒロインと呼ぶようになります。


 そして「あなた」もまた、スーパーヒロインを夢見て彼方の輝きを目指し続ける、何者でもない誰かなのでした。



     *



 改めて人に話してみると、つくづく奇妙な世界設定だ――ジャスミンはそう思う。


「銃で撃ち合うことと、ドレスが似合うこと。ふたつに一体どんな関係があるんだか」


 思わず漏れてしまった自嘲的な笑み。


 ファンタスティック・ヒロイン・シューターズ――FHSについて、ジャスミンはゲームシステムに基づくゲーム性とゲーム内における背景世界をはっきりと切り分けて考えている。FHSのゲームシステムについては熟知しており、プレミアム・ランカーに至るまでゲームをやり込んでいるが、一方で背景世界の設定についてはもう心を動かされることもなくなっていた。


 FHSで勝利するために必要なのは、機械のように精密かつ高速な判断能力だ。ただバトルロイヤル・ゲームとしてのルールに従い、ひとりでも多くの敵プレイヤーを打ち倒す。その過程に夢や憧れといった情緒は不要であり、人間的な感情は機械的な判断を鈍らせるノイズにしかならない。ゲームの実力が研ぎ澄まされれば研ぎ澄まされるほど、お姫さまが云々といった世界設定への興味は失せていく。


「でもわたし、なんとなく分かる気がします――」


 そんなジャスミンに対して、プレイヤー7819――名もなき初心者の少女は、あまりに純朴な言葉を返す。


「――だってドレスを着たジャスミンさん、とってもカッコいいですから」


 その言葉が、ジャスミンの心の空隙を突いた。窓の外を監視していた視線を少女に戻すジャスミン。少女はきらきら輝く翡翠の瞳で、ジャスミンをまっすぐに見つめていた。その純粋すぎる眼差しが、ジャスミンの胸を小さく痛ませる。


「プレミアムレアドレスなんて、そんなにいいものじゃないよ――」


 プレミアム・ランカーが身に纏うプレミアムレアドレスは、FHSのゲームプレイを極めた証であり、それを入手することはFHSのプレイヤーたちにとって大きな目標になっている。その目標を否定するようなことをゲームを始めたばかりの初心者に告げるのは、あまり褒められたものではない。


 もしかしたらそれは意地悪のつもりだったのかもしれない。ゲーム世界に摩耗したジャスミンと、ゲーム世界を素直に楽しむ眩しすぎる初心者。胸の痛みが、閉ざしていた心の蓋に穴を空け、そこから抱えていた想いを零れさせてしまう。


「来る日も来る日もFHSをし続けて、理不尽な負けに『もうやらない』って決めたはずなのに、気づけばまたFHSにログインしてる――そうやって何百時間の人生とその時間で出来たはずのたくさんの経験を犠牲にして、プレミアム・ランカーになった。でもこのプレミアムレアドレスがいったい何の役に立つんだろうって考えたら、何もかもがただ虚しくなっちゃって」

「ジャスミンさんはこのゲームが好きでやってるんじゃないんですか?」

「わからない――最初は楽しかったはず。でも今になって思えば、所詮は退屈な現実からの逃避だったのかなって。学校は退屈でつまらないし、友達もいないし。そんな私みたいな人間にとって、ディープスペースは暇つぶしに最適だったのかも」


 学校の話をしたのは、語りすぎた。些細なことながら、自らが学生であるという情報を漏らしてしまった。個人情報をディープスペース内でシェアしてはいけないと教えたのは、ジャスミンだったはずなのに。


「わたしはディープスペースもゲームもこれが初めてなので、ゲームをすることの難しさとかはよくわかりません。それに学校にも行けないので、学校の大変さもわかりません――でもだからこそ、わたしはゲームや学校を体験してるジャスミンさんに憧れちゃいます。わたしが知らないことを知っているジャスミンさんをカッコいいって思っちゃいます」


 少女は悲しそうな表情を浮かべていて、それでも口にした言葉には切実さがこもっていた。


「わたしは何も知らないから、この世界にわたしの知らないことがあるなら、それを知りたい」

「それがとても悲しい真実だったとしても?」

「はい。わたしは悲しいという気持ちさえ、きっとまだ本当の意味では知らないはずだから」


 少女の瞳は揺るぎなくジャスミンを見つめ続けている。そのときになってジャスミンはようやく自らの言動を省みることができた。ゲーム経験者であれば初心者にゲームのルールだけでなくゲームの楽しさも教えてあげなければいけない。ゲームに飽きてゲームを辞めるのは当人の勝手でも、それまでゲームコミュニティに属してきた身として、後に続こうとする初心者を否定したり萎縮させたりするようなことは、してはいけない。


 FHSに必要なのは機械のような判断能力であり、人間的な感情は機械的な判断を鈍らせるノイズにしかならない――その理屈に従うなら、ジャスミンは経験者ぶった感傷を語るのではなく、初心者の彼女にこのゲームを最大限楽しませるための最善手を取るべきだ。


「私があなたを勝たせる」


 その決意は、自然と零れ落ちた。


 プレミアム・ランカーになってから、このFHSを続けた先に何があるのか分からなくなっていた。暗闇の中を彷徨い歩いているかのような感覚。しかし未来に何が待ち受けているのかは分からなくても、今まで自らがどのような道を歩いてきたのかは自分なりに理解している。かつてジャスミンもこの華やかなFHSの世界に憧れて、そして試合マッチのひとつひとつが新鮮だった頃があったはずなのだ。ならばそのときに感じた喜びをそのまま初心者の彼女に教えればいい。


「あなたが見たことのない景色を、私が見せる。そしてこの世界で最も価値のある景色は――最後の一チームまで生き残った先にある勝利以外に在りはしないから」

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