レティクルに咲く白百合 〜薄幸お嬢さまはFPS世界でスーパーヒロインとなる〜

榑井博愛

第1章

第1話 prologue スーパーヒロインの定義

 強く、美しく、そして誇り高く――そのようなスーパーヒロインは、あくまで虚構の存在に過ぎない。


 ――そう思っていた、はずだったのに。


     *


 真っ青な空はソーダジュースのように、その上に浮かぶ雲はホイップクリームのように。


 胸焼けしそうなくらい甘ったるい空の下に広がるのは、パステルカラーの家屋が立ち並ぶ可愛らしい町並み。そよ風に風見鶏がくるくると回り、庭先の花々は可憐に揺れる――物陰から妖精や小人がひょっこりと顔を出してもおかしくない、おとぎ話に語られるようなファンタジーの世界。


 そんな世界には今日も――銃声が鳴り止まない。


『残り二十人。ファイナル・ウェーブ突入まで残り十秒』


 脳裏に響くシステム音声を聞きながら、FHSに参加するプレイヤーのひとり――ジャスミンは街路を駆けていた。


 ヒールの底がカツカツと石畳を叩き、ドレスの裾が風になびひるがえる。このような姿格好のまま全速力で走ることができるのは、仮想現実ならではだろう。転倒する――という概念がプログラムされていない以上、プレイヤーはコントローラーのスティックを傾ける程度の感覚で、この世界を自由に駆け回ることができる。


 肌に触れる風も、ヒールで踏みしめる石畳も、全てが生々しい感覚だ。ともすれば現実と錯覚してしまうような情景に、しかしジャスミンは心惑わされない。


 メルヘンチックな町並みや綺羅びやかなドレスでそれらしく背景世界を飾り立てているものの、『ファンタスティック・ヒロイン・シューターズ』――通称FHSの根底にあるのは、あくまでバトルロイヤル・ゲームとしての純然たる闘争だ。


 ジャスミンにとって、パステルカラーの町並みは射線を切るための遮蔽の群れでしかなく、また身に纏うドレスも攻撃を受け止める耐久値の具現化でしかない。


 家屋の陰に身を隠してから、ジャスミンは素早く現在の状況を確認する。


 ファイナル・ウェーブ突入間近というのに、まだ二十ものプレイヤーが残っている。次のフィールド縮小と同時に大規模な乱戦が発生することは間違いない。ジャスミンの現在位置はファイナル・ウェーブ突入後はフィールド外となる。ジャスミンは敵プレイヤーからの射線を切りつつ、迅速な移動を行わなければならない。


 身に纏うドレスには、移動中の被弾によるダメージが蓄積していた。ジャスミンは所持していたアイテム――エナジーパフュームを使用し、ドレスの耐久値を回復させる。これで所持している回復アイテムは使い切った。これ以上の余計な被弾は一切が許されない。


 回復アイテムを使い切った一方で、ワンドに装填する弾薬ショットエナジーはまだ十分に残っている。


 一挺目のワンド――改・参番型突撃式輝石杖『アズレア』は、全長八十センチ程のすらりとした細身の杖だ。波飛沫のような螺旋を描く杖には、先端に海の碧を象った宝石があしらわれている。そこから連射される輝石弾は、弾倉マガジンあたりの火力は低いものの、照準エイムさえ正確であれば凄まじい秒間火力DPSを叩き出すことができる。それはジャスミンが参番型を元にデザインも含めてカスタマイズした特注品だった。


 二挺目のワンド――七番型単式輝石杖『ホーク』はワールド内でドロップした既製品デフォルト・アイテムだが、こちらも問題なく使いこなせている。全長三十センチに満たないそれはワンドの中でもかなりの小型であるものの、単発の火力が高く狙いも精密なため、その本領は至近距離よりも中距離での交戦で発揮される。


 今回構えるべきは『ホーク』だろう。移動しながらの銃撃は『アズレア』の場合だと照準エイムがブレてしまう。


『ファイナル・ウェーブ突入。フィールド縮小開始』


 そのシステム音声と同時に、ジャスミンは家屋の陰から飛び出した。


 雲間を抜けた太陽が、町を明るく照らし出す。麗らかな春の陽気に包まれた長閑のどかな情景。しかしそこに響き渡るのは、闘気に逸る少女たちが掻き鳴らすワンドの銃声だった。


 FHSのプレイヤーたちは、スーパーヒロインとしてこの世界ワールドに降り立ち、最後のひとりになるまでバトルロイヤルを繰り広げる。時間毎に縮小するフィールド、脱落するプレイヤー。スーパーヒロインたちは綺羅びやかなドレスを身に纏い、眩しい輝石弾を放つワンドを手に握る。勝利の栄光を手にすることができるのは、最後に生き残ったひとりだけ。スーパーヒロインたちは、心に秘めた一途な憧れを武器に、見果てぬ夢を追い求める。


 響く銃声の位置に意識を配りながら、ジャスミンは家屋の壁に沿って町を駆けていった。遠目に視認する他プレイヤーたちの位置から、自らへの射線を切ることができる最適な位置取りと移動ルートを割り出す。遮蔽物から遮蔽物へと移動する途中、無防備に身体を晒したプレイヤーは容赦なく『ホーク』から発射した輝石弾で撃ち抜いた。表示されるダメージ数。ジャスミンが射撃したプレイヤーたちの内、ひとりのダウンを取ることに成功し、撃破数が加算される。今回の試合マッチにおけるジャスミンの撃破数はこれで九人――カジュアル・ルールにしてはまぁまぁといったところだろうか。


 FHSは、スーパーヒロインを題材にした華やかな世界観だけでなく、その競技性でも注目されているゲームだ。プレイヤーからは視認できないものの、今回のエキシビション・マッチにも多くの観戦者が存在している。


 今こうして戦っている私の姿を観て、何かを感じる人もいるのだろうか――余計な思考が脳裏をぎって、ジャスミンは慌ててそれを掻き消した。


 FHSはシューティング・ゲームとしてプレイヤーに正確かつ迅速な行動を常に要求してくる。迷いを生む感情の一切を削ぎ落とし、機械のような精密さを研ぎ澄まさなければ、試合マッチに勝利することはできない。勝利に必要なのは、夢や憧れといったふわふわした甘ったるいものではなく、冷徹かつ貪欲な勝利の希求なのだ。


 スーパーヒロインなど、所詮は観戦者たちがプレイヤーを偶像アイドルの枠に押し込めるための言葉に過ぎない。スーパーヒロインたちに自らの夢と希望を重ねる観戦者たち――その行為にいったい何の意味があるだろうか? それはあくまで一時ひとときの酩酊。観戦者も、プレイヤーも――そしてジャスミン自身も、ゲーム世界という刹那の幻に酔い痴れているだけなのだ。酔いが覚めた先には現実が待っている。勝利への最善手を選び続けなければいけないこのゲームは、現実という未来を忘れるのに丁度よい。先の見えない未来から目を背けるために、ジャスミンは今という刹那に自らの全てを費やしてきた。


 刹那こそ、すべて――だから私に未来への希望だなんて眩しいものは、どうか見せないでほしかった。


 ファイナル・ウェーブにて縮小を始めたフィールドの中央には、街の中心部に聳える時計塔がある。おそらく時計塔内には先回りしたプレイヤーが待ち構えているだろう。時計塔に迫ったジャスミンは狙い撃ちされるであろう正面広場を避けて裏口からの突入を試み――そこで彼女と出会った。


 見知った姿だ。白金に輝く長髪が風に靡いている。たくさんのフリルに彩られた華やかなドレス。時計塔の露台に構えていた彼女との距離は約三十メートルだった。そのとき手に持っていたワンドは『ホーク』ではなく『アズレア』。遭遇戦においてワンドを持ち替えるような時間的猶予は存在せず、『ホーク』による一撃離脱の戦略はその時点で選択肢から外れる。この『アズレア』を以てワン・マガジンで撃ち倒すしかない。ジャスミンは迷いなくワンド照準器サイトを覗き込む。


 勝った――そう確信したのは、サイトに映った彼女がまだワンドを構えていなかったからだ。ほんの一瞬の反応差。しかしこのFHSではそれが勝負を分かつ。彼女は時計塔の裏に意識が向いていなかったのか、ジャスミンの向ける射線から身を隠せる遮蔽が周囲になかった。ならば一息に『アズレア』を撃ち切って、それで終わりだ。


 それなのに――どうして私はこんなにも愚かなのだろう。


 ジャスミンは杖の引鉄トリガーを絞れなかった。正確には、引く直前に一瞬の躊躇が混じった。照準器サイトを覗いた先、彼女を見つめた瞬間――時が止まったように身体が硬直してしまう。何もおかしなことはない。彼女は普段の彼女であり、特別なことなど何もなかった。卵形の小さな顔に、整った鼻梁。陶器のように滑らかな肌に、翡翠の輝きを宿した瞳――


 相変わらず綺麗だな――なんて、間の抜けた思考。けれど刹那こそがすべてであるのなら、きっとこの瞬間こそがジャスミンにとってのすべてだったのだろう。


 覗き込んだ照準器サイト十字線レティクルの先に――白百合が咲いている。


 あなたがただそこにいてくれることの喜び。今までずっと一緒だったのに、ほんの少し離れ離れになっただけで、私はこんなにも狂おしくあなたを求めてしまった。私は弱くなった。それなのにあなたは誇り高く、美しく、その場に立っている。まっすぐな瞳で、私を見つめてくれている。


 虚構であるはずのスーパーヒロインは、そこにいた。ジャスミンにとってのスーパーヒロインは――白百合のように美しく咲く、ひとりの少女だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る