エピローグ:天使の死んだ後

第36話:ロンドンよ、さらば

 門の消滅後、ルーヴィックを含め3人が意識を取り戻すと、そこはロンドン郊外のとある屋敷だった。

 ベイリー卿が所持する屋敷の一つだ。

 使役する悪魔を引き連れて遺跡に入ったベイリーが、意識のない瀕死の3人を発見して連れて帰ったという。

 結果的に2度も助けられたことになる。借りを作ったと言うと、彼からは「それ以上の借りをもらっている」と素気なくではあるが感謝の言葉が戻ってきた。

 先に動けるようになったユリアは、挨拶もそこそこに教会へと戻り、重傷だった男2人も動けるようになってからヘンリーの部屋に戻った。

 今回の一件、元々隠されていた場所での出来事だ。表立っての騒ぎにはならなかった。もちろん、その裏で多くの人間が動いている。カーター親子の件は、不幸な事故で処理され、人々の記憶からも次第に忘れ去られるだろう。

 門の消滅によって、この世界にどんな影響があるかはまだ分からない。ただ、門を開けられることを考えれば、大したことはないだろう。

 ちなみに、地獄の門は消失したが、キューブと指輪は残ったためイギリス政府で保管するそうだ。



 ウィンスマリア教会だった場所では、残骸処理が続いていた。

 ユリアはその様子を眺める。幼い頃から孤児としてこの場所で育てられた。思い出がたくさんある。そしてアントニー司教にも。

 アントニー司教の遺体は、教会の炎上や倒壊にも関わらず、不思議なことに綺麗な状態で発見された。

 あまり実感はなかったが、棺が埋葬される光景を見て、ようやく涙が溢れて止まらなくなった。

 今はようやく落ち着き、瓦礫の中から出てくる焼け残った物を集め、仕分けしていた。

「おお、頑張ってるな」

 聞き慣れた声に思わず顔がほころぶ。

 まだ傷が痛々しいが動けるようになったルーヴィックの姿があった。

 駆け寄ってくる彼女は、彼が大きな荷物を持っていることに気付く。

「どこかへ、遠くへ行かれるんですか?」

「あぁ、祖国へ帰るんだ」

 そう言えばと、ルーヴィックはアメリカから来たことを思い出す。少し寂しそうな顔をしたユリアに、ルーヴィックは傘を差し出した。

「帰る前に返しとこうと思ってな」

 それは彼女がルーヴィックに貸した物とは別の傘だ。あの傘は教授の家での騒動でどこかへ行ってしまった。だから、ヘンリーの部屋にあった傘(剣が付いてない普通の傘)を選んで無断で持ってきたのだという。

 ユリアはカラカラ笑いながら傘を受け取った。

「ヘンリーさんは?」

「予定があるらしくてな。朝から出ていった」

「きっと別れが寂しかったんですね」

 素直なユリアに思わず笑みがこぼれる。奴に限ってそれはない。

「まぁ、世話になったな。シスターがいなきゃ、門は消せなかっただろう」

 慣れていないように、ぎこちなくお礼を言うルーヴィックに、少し笑ってしまった。

「また来てくださいね」

「どうだろうな。世界は狭くなったと言っても、やっぱり遠いからな。それにあの船って奴はダメだ。人が乗るもんじゃねぇ」

 船の乗り心地を思い出して身震いする。

「機会があればな……それで、これからどうするんだ?」

「はっきりとはまだ決まってませんが、別の教会に移ると思います。エクソシストの活動は……どうでしょうかね」

「才能を考えれば、やった方がいいだろうな。だが……まぁ、危険な仕事だ。あまりいろんなことに首を突っ込むなよ」

「それはあなたの方ではないですか?」

「分かってないな、シスター。俺みたいな人間は一生懸命、神様に媚びを売らなきゃいけない。やるしかないんだよ」

 自虐的に笑い、手を差し出す。ユリアもその手を取って握手する。

「じゃぁ、また」

「あぁ、またな」

「そうだ! ブルーさんのこれからのために、護符を授けましょう!」

「いや、それだけはいい。お前の護符を持ってるとロクな目に合わない気がする」

 逃げるルーヴィックに「絶対に御利益がある」とユリアは追いかけた。



 ルーヴィックは駅のホームで、押し付けられた護符を眺め、ため息をついた。

「何ですか? やはりロンドンを離れるのが恋しいのですか?」

「言ってろ、ようやく離れられて清々してるぜ」

 護符をポケットにしまい、視線を向けると、杖を付き足を引き摺るヘンリーがヘラヘラ笑って近づいてくる。

「見送りに来なくていいっつったろ」

「いえ、今日はアメリカに置いてきた父が戻ってくる予定なので迎えに来たのですよ。あなたのは、そのついでです」

 ヘンリーはルーヴィックの隣までくると、顔を覗き込んでくる。

「しかし、あなたは来る前よりも元気そうですよね」

 寝不足が続いて死人のような顔をしてたが、久々にしっかり寝られたおかげで、あれだけ傷つけられたのに事件前よりも顔色がいい。体調もいい。

「もう少し、ゆっくりしていけばよろしいのに」

 おかしそうに笑いながらも、ヘンリーはどこか名残惜しそうに話す。

「これ以上、ジメジメしたロンドンにいたらカビが生えちまう。それに、早くまともなメシにありつきたい」

「やはり野蛮人には文明の良さは分かりませんでしたか」


 しばしの沈黙。


 2人ともホームに視線を送りながら、どちらからともなく、お互いに笑い合い握手する。

「片付けなきゃならん仕事が山積みなんだ」

「無理をなさらず……と言っても、無理をされるんでしょうね。手を貸して欲しいときは、言ってくださいね」

「お前にか? それはないな」

「何を仰るんですか。私たちはいいコンビでしたよ」

「冗談やめてくれ。お前は俺に災厄をもたらす疫病神だぜ」

「疫病神も神は神ですからね。頼ってもらって結構ですよ」

 相変わらずのヘンリーに、呆れながら首を振る。

「お前と会うのは、もうごめんだ」

「手紙書いてくださいね。私もたくさん送りますよ!」

 絶対に出さない。

 列車に乗り込むルーヴィックを、ヘンリーが呼び止めた。

 振り返る彼にある物を投げて寄こす。

 手の中には、指輪があった。

 モルエルの指輪だ。

「おい、持ち出してきたのか?」

 確かキューブと一緒に厳重に保管されているはずだ。

「すでに何の効果もないただの指輪です。問題ないですよ。それに、モルエルはあなたにそれを託した。ならば、あなたが持つべきでしょう」

 ルーヴィックは苦笑しながら指輪をポケットに入れ、代わりにモノクルを放る。

「やるよ」

「いいんですか? と、言いたい所ですが、元は私のモノクルですしね」

 苦笑いを浮かべながらヘンリーも改造された自分のモノクルをしまった。

 そろそろ出発の時刻。

 汽笛とともに、白い蒸気が列車から吐き出される。

 小さく手を振るヘンリーに、ルーヴィックは振り返ることなく中指を立て、車中へと消えた。

「面白い奴だ」「面白いお人だ」

 図らずも二人は同時に呟いた。

 扉が閉められ、動き出す。

 座席に腰をかけたルーヴィックは、窓の外を流れる風景を眺めながら、買ってあった酒瓶から直接口を付けて一口飲む。

 余韻を楽しみように大きく息を吸い込み、そしてゆっくりと息を吐く。事件を片付けたときの至福の一時だった。この時だけは、これから取り組むことになるだろう事件のことも忘れられる。

 ルーヴィックはもう一口飲んでから栓を閉め、まぶたを閉じる。列車の振動と音を聞きながら、静かに眠りについた。

 ようやくゆっくりできそうだ・・・・・・。


「あ、船で帰るのか・・・・・・」


(終わり)

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ゲート・オブ・ヘルズ 檻墓戊辰 @orihaka-mogura

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