第3話 山田肇の推理②

「純ちゃんが、そうやって人のことを想うところはとても魅力的なんじゃないかな。肇くんの身体を心配しているみたいだし」

 肇の恋人である鈴音さんは、彼の話を聞くとすぐにそう答えた。常からそう思っているのだろう。

「単に、何故なのか気になっただけなんじゃないかな」

「そうかなぁ。でもまぁ、悩みや日常話を話してくれる友達がいることを評価してあげればいいんじゃないかな。肇くんにはいないでしょ」

「鈴音さんがいる」

「私達、もう友達ではないから」

 彼女は笑って紹興酒を呑んだ。


 この日、肇にとって何週間ぶりかの定時あがりの日だった。いつも、定時から2時間は残業している。家族もそれに合わせて待ってくれている。

 今日が残業無しになりそうなのは予想できていた。そのため、鈴音さんには数日前に声をかけており、久々に二人で食事をすることとなった。

 そこまでは良かった。

 鈴音さんが決めた店は、中級中華料理屋といえる値段設定だった。最も安い拉麺が1500円(税抜)。餃子1個180円。アルコールは1杯600円~。

「とりあえず拉麺と餃子3個で」

「お酒は?」

「今日は、よしておこうかな」

 と作り笑いで会話した。席に着いた時に淹れられた熱い中国茶をグビグビと飲みながら。

 鈴音さんは2000円を越える担々麺と900円を越える小籠包と1000円を越える紹興酒。べらぼうに高い訳ではないが、肇の稼ぎでは躊躇する値段。

「肇くんも、まさか冷やしグローブだと思ってる?」

「あり得ない。最初は虐めかと思ったけれど、虐めなら冷蔵庫ではなくゴミ箱やトイレにでも捨てればいい。女子更衣室や女子トイレから見つかったとでも触れ回ればなおさら効果的だ」

「じゃあ、虐めでなければ?」

「グローブを冷蔵庫に入れる理由があったということだと思う」

 鈴音さんは首を傾げる。紹興酒をもう2杯追加し、担々麺を粘り気のある音を一切たてずに啜る。

「昔、防水機能のない携帯を風呂に落とした時、ネットで検索するとすぐに出てきたのが「冷蔵庫に入れる」だった。携帯ほどではないかもしれないけれど、グローブのような革製品も水に弱い」

「持ち主は事故でグローブを濡らしてしまった、ということ?」

「そう。グローブを乾燥させたいけれど、どこにも良い場所がなかった」

「いや、教室のベランダとかがあるでしょ」

「雨が降っていたとか降りそうだったとかで、ベランダは使えなかったんだ。どうするか悩んでいたとき、偶然、家庭科の授業があった。持ち主は授業の間だけでも入れておくつもりだったかもしれない。しかし忘れてしまったのか、授業が終わっても濡れたままだったから放置したのか、とにかく冷蔵庫に入れたまま家庭科室を出た。そして翌朝、料理部が発見してしまった」

「その日のうちには気づかれなかったんだ」

「まぁ、その日の料理部は偶々冷蔵庫に用がなかったんじゃないかな」

「なぜ持ち主は名乗りでないの?」

「冷蔵庫に入れるなんて馬鹿な奴だという評判が立ってしまったんじゃないかな。もしその馬鹿が自分だと露見すればクラスメイトだけでなく学校中の笑い者になる程の」


 この担々麺は今まで食べたものの中で味噌の濃さが断トツだから、と担々麺の残ったスープを肇に薦めた。

 確かに味噌が濃かった。味噌の風味により、余計な辛味や挽き肉を必要としないほどだった。

 とっくに自分の拉麺を食べ終えていたし、スープも飲み干していた肇は、鈴音さんに差し出すものは何もなかった。

「馬拉糕もいいですか」と店員に注文する鈴音さんは既に紹興酒3杯に加えて赤ワインを呑んでいた。

「肇くんは、料理部の顧問が「グローブの持ち主は○○」と言いふらすと思うの?」

「そうは思わない。けれど、職員室に入ってグローブを持って出てくるのを誰かが見ているかもしれない」

「肇くんは手ぶらで通学していたかもしれないけれど、普通は鞄を持ってる。まして運動部の子は着替えとかが要るから大きな鞄を持ってる。グローブ一つ隠しておくくらい容易いんじゃないかな」

「じゃあ、そのグローブは学校の備品だったので取りに行くのが面倒だったんだ。自分のものじゃないから、どうなっていても構わないという自己中心的な奴だったんだよ」

「学校の備品なら、グローブに備品とわかるようマジックとかで書いているんじゃないかな。それに、職員室には備品かどうか判断できるだろう野球部の顧問もいるはず」

 肇はついに音をあげた。

「じゃあ今度は鈴音さんが考える番だ。なんで、グローブが冷やされていたのですか?」

「私はね、今日もいーっぱい働いたからアタマを使いたくない」

「僕が納得できたら馬拉糕代くらいは出すよ」

 馬拉糕750円。これなら出せる。出すことになれば、今月は缶コーヒーを5本我慢だ。

 鈴音さんの姿勢が前のめりになる。彼女の瞳にやる気の気配が灯った、かのごとく肇には感じられた。


「肇くんは、グローブはなぜ冷蔵庫で冷やされたと思っているの?」

「さっきまでの推測は、ことごとく鈴音さんにダメ出しされたから、もう思いつかないや」

「言い方が悪かったみたい」鈴音さんは赤ワインを一息で呑み干す。

「どうして肇くんは、グローブが冷やされていたと勘違いしているの?」

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