ゼフィガルド

某所で投稿した物です。お題は『ジュブナイル』


 髭が生えて来た。と、鹿野由紀は鏡を見て自らの変化を感じていた。

 スラリとした体型に、姉を倣って伸ばした髪。まだ、声変わりも起きておらず、容姿も相まって女子と見間違われ、そのことを同級生に揶揄われたりしたこともあった。

 父は仕事の関係上、家を空けることが多かった。故に、彼の交流相手は主に姉と母となる為、その趣味嗜好も女性寄りになっていた。そんな彼が自分の体に起きている変化を気にするのには理由があった。


「それで、アンタは自分の体に起きている変化が気になるって?」

「うん。このままだと、僕も髭が生えて野太い声で喋る様になるのかなって」


 クラスメイトも疎らな教室の中、彼は同級生の女子『島崎』に悩みを打ち明けていた。趣味と性格が姉と似ていることもあり、恰幅の信頼を寄せられていた彼女も同じ様に悩んでくれていた。


「そりゃ、なるでしょうよ。男性歌手の中では声変わりしない人もいるらしいけれど、そんなの稀よ。……もしかして、風間の事?」


 ここに居ない友人の名前を出した所、鹿野は小さく頷いた。その人物こそが、鹿野が思い悩む原因となった人物である。その証拠に、島崎と話をしながらも彼の視線は幾度も扉の方に向けられていた。


「うん。今の僕だったら、そういう風に思っていても。見た目的に何とかなるかもって思っているけれど」

「朝っぱらからヘヴィな話題ね。こういうのって、お姉さん相手に相談したりはしないの?」

「話してみたけれど、そこら辺デリカシーが無いっていうか。あるいは処理しきれないと思われたのか、BLネタを絡められて有耶無耶にされた」

「気持ちは分からなくはないけれど。答えが難しいから」


 ある程度の距離を置ける友人でさえ、応答に困る内容なのだ。もっと距離が近い身内だったとしたら、その話題の重さを受け止め切れないというのも分かる様な気がした。


「それでも、ネタにしたりしないで答えて欲しかったなぁ。島崎さんは、そう言う所を茶化さないから好感が持てるよ」

「実際の悩みなんだもの。真剣に取り合うべきよ」


 鹿野が彼女の誠実さに感謝していると、教室の扉が勢いよく開いた。入って来た男子生徒は、鹿野達の所までやって来ると捲し立てるようにして話した。


「なぁ、二人共。今日、更新されたあの漫画見た!?」

「おはよ、風間。うん、見たよ。次でラストだから、どんな風になるかなって」

「あそこからハッピーエンドに持って行けるのかなぁ?」


 風間と呼ばれた男子は、鹿野とは対照的に大柄で坊主頭だった。その声も変声期を迎えており、多少の野太さが混じった声は教室にも良く響いた。

 先程まで島崎と話していた会話を一瞬で引っ込めて、彼の話題に合わせた。3人が漫画の話で盛り上がっている内にHRの鐘が鳴り、女子生徒が着替えの為に教室から出て行く。1限目は体育だった。


「聞いてくれよ。この間、確認したら胸毛が1本生えていて」

「それを言うなら、俺なんて陰毛が」


 着替えをしながら、鹿野は周囲を見渡していた。太っている人、小柄な人、ガッシリとした人。彼らと比べると、自分の体は貧相と言う外なかった。

 自分と同じ様に身体に起きている変化を、太くなりつつある声で談笑し合う男子達を見ながら、彼は言いようのない焦燥感に駆られていた。


「皆。毛が生えたり、声変わりするのって嬉しいのかな?」

「どうした急に?」


 野球部に所属している風間の体は逞しい物だった。厚い胸板に、がっしりとした肩幅。マジマジと見ていると、彼はカラカラと笑った。


「大丈夫だって。体型は人それぞれだからな」

「わわっ」


 背中を叩かれながらも、その所作に満更でもない様子でいると。それを見ていた周囲から冷やかしが飛んできた。


「おー、風間。グラウンドの女房と教室の女房は別物だってか!」

「バカヤロー、鹿野はポンヨーだよ!」


 教室内に起きた笑いに引きずられる様にして鹿野も笑った。しかし、内心では、自分の悩みやコンプレックスをネタにされていることが甚だ不快であった。


「なんだよ。僕の悩みも知らない癖に」


 何よりも彼を苛立たせたのは、自分の悩みを知らないで笑っている連中と一緒に風間も笑っている事だった。彼もまた、自分の悩みをその程度にしか受け取ってくれないと考えると、無性に腹が立った。


~~


 瞬く間に時間が過ぎ、放課後となった。漫画同好会へと向かった鹿野と島崎は、朝の話の続きをしていた。


「自分の見た目があんまり男らしくないのは自覚している。でも、そう言う容姿だったら一緒に居たり、女子っぽく振舞ったりしても。拒否されないんじゃないかと思って……」

「男らしくなると、そう言う距離の取り方が許されなくなるんじゃないかって思っている?」


 鹿野は小さく頷いた。1限目の授業で冷やかしを受けたことは不快であったが、同時に周囲にそう言う距離の取り方を許されていると言うことは一種の安堵にも繋がっていた。


「ひょっとしたら、気の迷いかもしれないし。卒業して別れたら、普通に女の人が好きになるのかもしれないけれど」

「それじゃあ、私の事はどう思っている?」

「友達かな?」

「即答かよ」


 鹿野にとって、島崎は姉と同じ様に気軽に接せられる人物であると同時に、それ以上の関係に踏み込む以前に発展させるという考えすらなかった。


「も、もちろん。凄く大切だと思っているよ!」

「友達として、ね。風間に対する感情はどんな物なの?」

「言葉にするのは難しいけれど、一緒に居て欲しいって思うんだ。でも、それは島崎さんに抱く物とはちょっと違って、固執って言うのかな?」

「あいつのどこら辺に固執しているの?」

「頼りがいがある所と言うか。包容力がある所」


 自分を包み込んでくれる様な懐の大きさに惹かれているのだろうと思っていた。その話を聞いた島崎は暫し頭を悩ませていた。


「それって、ひょっとしてあいつに父性を求めているって事じゃないの?」

「そうなのかな?」

「そうだったら、アンタが身体の変化を気にする理由も分かる気がする。だって、大人になったら子供として扱われないんだもの」


 その答えに鹿野は感嘆した。思い返してみれば、自分は殆ど父と話したことが無い。手紙や通話もしているが、散発的なのと距離の遠さも合わせて、知り合いの男性と話している気分にしかならなかった。


「言われてみたら、それっぽい気がする」

「だからと言って、アンタの抱いている物が勘違いだとか言うつもりもないけれど。実際の恋愛で母性や父性を求めている奴も結構いるでしょうし」

「そう言う人らの事をどう思う?」

「結構キモイ」


 あまりに忌憚のない意見に鹿野は息を飲んだ。仮に友人に父性を求めているのだとしたら、奇異に映るだろうと予想した。


「やっぱり、隠したままの方が」

「隠していることで上手く行くことの方も多いだろうけれど、抱えたままでいるのは辛いだろうし、アイツになら言った所で受け止めてくれるはずよ」


 答えはどうあれ、しっかりと考えてくれるとは思った。漫画のキャラクターを模写しながら、他の会員達も交えて雑談を交わしていた。


~~


 漫画同好会の活動を終えた頃には、日が暮れ始めていた。帰る方向が同じ問うこともあり、野球部の練習を終えた風間と一緒に下校していた。

 朝にした漫画の話をしながらも、脳裏には先程まで島崎と話していた内容が幾度も反芻されていた。即ち、自分が彼に父性を求めているのではないかと。それとも違った感情であるのかと。


「今日の道徳の授業寝ちまったけれど、どんなんだっけ?」

「性の自認とかLGBTについてだったね。授業の感想が宿題だよ」

「やばい。全然聞いてなかった。教えてくれない?」

「しょうがないなぁ。そこの公園でよければ」


 公園に寄った鹿野達は、今日の道徳の授業を振り返っていた。その歴史にも踏み込んだ内容は、難解な物であり、理解の為に風間は何度も質問をしていた。


「なんで同性愛って差別されるんだろうな? 別に俺達に迷惑を掛けている訳でも無いのに」

「本人はどうあれ、親とかは孫の顔が見れなくなるからね」

「あ~、そういう事情もあるのか」

「でも、今は生き方も色々とある。っていう、意見で〆たのが今日の授業だった」


 鹿野のノートを写しながら、折れ目の付いたプリントに何を書くか。如何に水増しをしながら書くかを考える際にハタと思いついたことがあった。


「そもそもの話、今の時代は普通に生きても結婚できるかどうかなんだよなぁ。誰かと結婚している未来が予想出来ねぇよ」

「今から将来の事を考えられる人なんてそうそうはいないよ」


 口ではそう言いながら、鹿野は内心冷や汗を流していた。まさに、先ほどまでの自分が云々と考えていた内容であったからだ。


「俺達の知っている女なんて島崎位だろ? アイツと結婚すると考えて…」

「勝手に島崎さんの未来が決められている」


 やはり女性と結婚するのが当然と言う前提があることに落胆したが、ふと、風間は鹿野の肩を掴んだ。


「付き合うなら、お前みたいに色々と話もテンションも会う奴の方が良いんだけれどなぁ。お前、なんで女じゃないんだ……」

「そこら辺は残念だったねとしか。それとも、僕とお付き合いをしてみるとか?」

「せんわ!」


 その反応も含めて何時ものやり取りの範疇での事だっただろうが、今日に限って妙にその物言いにカチンと来た。


「そんな力強く否定されると、イラっとする」

「お前とは友達なんだよ。友達!」


 彼が言っていることは常識だった。ただ、今日と言う1日を費やした悩みが、常識や正論で払い除けられることは我慢ならなかった。

 彼の制服の裾を掴んで押し迫る。しかし、体格の差もあってあっと言う間に形勢逆転して、押し倒されることになった。


「あ。悪……」


 急いで起き上がろうとする彼を両腕と両足を使って抑え込んだ。眼前には彼の顔があり、お互いの呼吸、鼓動、臭いまでもが確認できる距離にあった。

 練習後にシャワーで流して来たのだろうが、それでも僅かに漂う臭いで、顔が紅潮していた。心臓は先程から早鐘を打ちっぱなしだった。


「どうする?」

「どうもしねぇよ!」


 しかし、そこは体格と普段の運動量の差。鹿野の拘束は呆気なく振り解かれ、横に置いてあったバッグと共に椅子から転げ落ちた。


「痛たた。ちょっとは取り合ってくれてもいいじゃん」

「俺にその気はない!」


 きっぱりと言い放たれた。分かってはいたが、それが普通なのだと実感せざるを得なかった。いつもの様にジョーク交じりで流してしまえば、今までと変わらない関係を維持できる。それに甘んじない理由が無い。


「ちぇっ。風間の事好きなのに」

「友達としてな!」


 だから、その戯れに乗じて本心をさらりと告げた。それが恋心か父性を求める憧憬の様な物かは判断の付きかねる所だった。


「もしも、僕が本心から言っていたら。どうする?」

「どうするって、言われても。困るな……」

「だって、考えてみてよ。今の僕だったらBLも許される絵面だけれど、その内、髭が生えて、声も野太くなったらきつくない?」

「お前の姉ちゃんの影響か知らないけれど、アレは二次元だから許されているだけだから」


 自らの価値観の醸成に姉の趣味と交流が多分に関わっていることは明らかであった。……最も、姉が持っているソレにはおっさん同士のも含まれていたが。


「今なら、まだOKかなって。でも、ちょっと髭とかも生えて来たし……」

「そもそも、俺達は漫画とかのキャラでも何でもないんだし、当事者同士が良ければ他からどう見られても構わないだろ?」

「問題だよ。今じゃないと駄目なんだ。そっちの答えは?」

「お前の考えていることは分かったけれど、そう言うのは考えてない。友達同士じゃダメなのか?」


 その境目が何処にあるのかと言うのは極めて曖昧な物だった。恋慕と友情の違いは何処にあるのかは、鹿野にも良く分かっていない。


「こう、友達同士よりもっと踏み込むというか何というか」

「差が無いんだったら、お前がそう思っているってことを知った。それで良いじゃねぇか」


 言葉の意味は伝わっているとしても、それが及ぼす影響を常識の枠内に収めようとしているのを感じた。彼の指摘に対して反論するだけのロジックを揃えていなかったこともあり、閉口せざるを得なかった。


「ぐぬぬ。見えない厚い壁みたいなのを感じるよ」

「俺もお前も分からないんだから仕方ないだろ。ノート写させてくれて、ありがとな。また、明日」


 答えについては煙に巻かれたまま別れた。しかし、考えようによっては鹿野に対しても感情を整理するだけの時間を与える為に出した答えの様な物だったのではないのだろうかと前向きに考えた。

 家に帰り、夕食を済ませた後。今日、起きたことを姉に伝えた。それは2度目の相談となるが、やはり姉は難しい顔をしていた。


「実際に友情と同性愛の境目なんて分からないのよね。流石に、弟が友人と合体しているのを見るのはショックすぎて倒れるわ」

「なんで、公開前提なの?」


 島崎と違って、多分に妄想交じりの答えが入っているので、あまり頼りにはならなかったが、いざと言う時の身近な相談相手として確保するべく、話だけはしていた。


「いや、ほら。BLと実際の同性愛なんて別物じゃん? 言ってみれば、娯楽として楽しむなんて性的搾取みたいなものだし?」

「外野だから盛り上がるって言うのは現実も変わらないのかもね」

「流石に身内が当事者だと話も違うから」


 テレビやPC等のモニタを通してみる事件やニュースと似たような物かもしれないと思った。


「やっぱり、外面とか気になる?」

「身内としては『気にするな!』って言うべきなんだろうけれど、ごめん。やっぱり気になるわ」


 下手に取り繕わない所は誠実とも言えた。周囲を気にしないと言えるのは、あくまで都合の良い空間の話だけでしかなく、授業が開かれたとしても当事者でさえ認めるのが難しい感情にため息が出た。


「このまま、髭が生え続けて。見た目的にも諦めが付くのを待つしかないのかな」

「脱毛なら、女子のやる所よ。最近は男もやるっていうし。アンタもやってみる?」

「いらない」


 不貞腐れるように言って、鹿野は顎から産毛の様に生えた髭を摘まんで引き抜いた。抜いた場所がヒリヒリと熱を持って、赤くなっていた。

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