第六章――⑤

 アリサは自分がプレイしていた乙女ゲームの真相に触れ、私と同様に混乱している様子でしばらくうんうん唸っていたが、なんとか自分の中で消化できたのか落ち着き、お菓子作りも手伝ってくれることになった。


「初心者でも失敗しにくいといえば、やっぱりクッキー?」

「そうですね。材料を混ぜて、型を抜いて、焼くだけですから。他にもパウンドケーキとかマフィンとかも初心者向けですね。生地に混ぜるものを変えるだけで、簡単にいろんな味が作れます」


「いいわね。学校の調理実習とかでも作るヤツだし、難易度は低いわよね。私は何作ったっけ。スイートポテトだったかな?」

「ああ、それもいいですね。複雑な工程がないですし。でも、こっちにサツマイモってあるのかな……」


 貸してもらったエプロンを着てさっそく厨房に向かい、食品庫を眺めながら女子二人で何を作るか考える。

 初めこそアリサは私に遠慮や引け目があったようで、小さな意見を述べるのもはばかれるといった雰囲気だった。

 私も大人の対応を心がけてなんでもない風を繕ってはいたけれど、やっぱりこれまでのことを思い出すとつい嫌な気持ちが湧いてきて、それが自然と態度に漏れていたせいもあるだろう。

 三十にもなってまだまだ人間ができていないなぁと、反省しきりだ。


 でも、アリサは本当にお菓子作りが好きなのか次第に饒舌になり、私もそれに合わせていくうちに、すっかり和気あいあいとした空気になった。


「で、結局どうしよう? どれも美味しそうだけど」

「うーん……型紙もたくさんありますから、マフィンにしましょうか」

「それ採用」


 キャッキャとおしゃべりしながら話をまとめて材料を準備し、イーダを呼びつけ、臨時のお菓子教室を開催することにした。

 黒いローブ姿は料理に向かないのでコックコートに着替えてもらったのだが、イケメンなだけに何を着ても似合うのがクッソむかつくわぁ、という個人的な感想はさておき。


「――じゃあまずは、ボウルにバターを入れて練って、お砂糖を加えて混ぜます」


 まるで料理番組のような口調で解説しながら、ゆっくりとお手本を見せてくれるアリサ。その手つきはまるでプロのようだ。これが女子力か。

 イーダはそれを真似しながら一緒に作業していたが……案の定ハプニングの連続だった。


 なんでも分量を量らずにぶち込もうとしたり、混ぜる力の入れ加減を間違えてボウルを床にふっ飛ばして生地をダメにしたり、トッピングに使う具をつまみ食いしたり、そりゃあもう散々好き勝手やってくれた。

 私も付きっきりでフォローしたけど、あいつがやらかす方が早いし間に合わない。

 何度か挑戦してどうにか生地が完成しても、おたまを持つ手が震えて型に入れられず垂れ流したり、入れすぎて溢れさせたり、せっかくうまくできたものもひっくり返したりと、初心者だとか不器用とかいう次元ではないミスの連発だった。

 

 そして、その尻拭いはもちろん全部私がやった。

 病み上がりのアリサに面倒をかけたくなかったし、言い出しっぺの私が責任を持つのは当然のことだ……が、本当にしんどかった。褒めてくれ。

 調理器具に触ったこともないのだから仕方がないこととはいえ、小学生の調理実習よりもカオスな現象を目の前にすると、やっぱり何事も才能って必要なんだなと痛感した。


 それでもイーダは、癇癪を起したり投げ出したりしなかった。彼なりに過去を反省しているためか、なんだかんだ言って妻を愛している証拠なのか。

 あの筋金入りの傲慢ナルシスト野郎が、そう簡単に改心するとは思えないが、女神様のいう昨晩のイチャイチャがいい効果をもたらしてくれたのかもしれない。


 その努力が実って五個ほど食用に適していそうなものが出来上がったが……どれも噴火していたり焦げていたりと、お世辞にもまともな形状とは言えない。

 火力の調整が難しい原始的なオーブンだったせいもあるだろう。私たちの世界の高性能なオーブンレンジとかだったら、もうちょっとマシだったかもしれない。


 特に見栄えや味に注文を付けられたわけじゃないし、料理は愛情ってことで勘弁してもらえるだろう。と信じている。じゃないと困る。


 そんな紆余曲折がありながらも、ユマの淹れてくれたお茶と共にイーダのマフィンが振る舞われることになった。

 食堂にいるのは私とユマ、それから女神とイーダの四人だけ。


 アリサは起き抜けに厄介事に巻き込まれて心身共に疲れたせいか、また眠りについてしまった。ご苦労様でした。ゆっくり休んでくれ。

 騎士たちもこれ以上付き合う義理はないとばかりに、アリサ手作りのマフィンを頬張りながら付き添いに勤しんでいるようで、この場にいない。 


「はい、お待たせしました。イーダの手作りお菓子はこちらでございます」

「うわぁ、予想を裏切らないこの感じ……いいわね、いいわね!」


 ほぼ失敗作のイーダのマフィンを前に、褒めてるのか貶しているのか分からない発言を飛ばしつつ、豪快にかぶりつく女神様。

 ワイルドなのにそれが絵になるって、美女の特権だよね――と内心羨ましがっていると、


「うん、不味い!」


 うわあぁぁ! はっきり言っちゃったよ、この人!

 しかも、すっごいいい笑顔で! 新手の嫌がらせなのか!?

 正直言って味見の段階で、アリサと同じ手順と材料で作ったのに何故不味いのかとは思ってたけど、私でさえ本人を前に言うに言えなかったその事実を、オブラートに包まず直球ストレートで言うとはさすが神様。


 イーダはショックに打ちひしがれて床に崩れ落ちたし、ユマもまさかの展開に目を見開いて固まってるし、夫婦仲を取り持つつもりがこじれるんじゃないの?

 ……って、心配したのも一瞬の出来事。

 

 不味い不味いと連呼しながらも女神は食べる手を休めることなく、結局イーダ作のマフィンを全部平らげてしまったのだ。

 これは愛が成せる業としか言いようがない。

 食べてる間、彼女のまなじりに涙が光っていたのは、自分のためにイーダが頑張ってくれたことに感激していたからだ……と思いたい。


「ごちそうさま。これまで食べた中で最悪に不味いお菓子だったけど――不思議ね、これまでにないくらい最高の気分だわ」

「え、それじゃあ……」

「仕方ないから許してあげる。それと……その……私もやりすぎちゃったなって反省したわ。ごめんね、イーダ」

「セリカ……」


 見つめ合う美男美女過ぎる神様夫婦。

 絵になりすぎだ! リア充爆発しろ!

 などとやや本気で揶揄しつつも、ハッピーエンドに突入しそうな雰囲気にほっと一安心していた時。


「うっ……うぐっ……!」


 腹部に強烈な痛みを感じて、椅子から転げ落ちて床にうずくまる。

 生理痛や腹痛なんて生易しいものではない。あまりの激痛に呼吸もままならないし、よく分からない汗で全身がじっとりとして不快極まりない。


 痛みの発生源に震える手を当てる。

 多分この位置は……あの時日本刀男に刺されたところだ。

 これまで違和感すらなかったのに、どうして今になって?


 アリサとイーダを引き離すという役目が終わって、夫婦喧嘩も解決したから、ハティに体を返さないといけなくなったとか?

 でも、それならそうと女神が告知してくれるはずだけど、イチャついててすっかり忘れてるんじゃないでしょうね。

 それとも奥底に眠ってたはずのハティが、なんらかの影響で覚醒して私の魂を無理矢理追い出そうとしてるの?


「ハリ!?」

「どきなさい、ユマ」


 慌てて駆け寄ろうとしたユマを制し、女神様が私に手をかざす。

 すると、淡い光が集まってきて徐々に痛みが引いてきて息が楽になっていく。


 でも、体が鉛のように重くて自力で立ち上がれそうになく、お礼を言おうにもゼーゼー声でまともな言語にならない。ぐったりしたまま呼吸を整えていると、誰かが運んできた長椅子に寝かされた。


 フカフカのクッションが縫い付けられた座面に体を沈めると、女神様が私の額に手を当てながら難しい顔をする。



「……体と魂が分離しかけてるわ。元の世界のハリちゃんが瀕死状態だったし、仕方なくこの子の体に魂だけ召喚したけど……さすがにもう限界ね。これ以上はこの器が持たなくなる」

「それじゃあハリは……!」

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