第二章――⑤

 ……というか、見つかったのがリュイというのが非常にまずい。


 天真爛漫で年齢より幼く見える彼だが、その正体はハーフドラゴン。

 怒りに身を任せると、その体に流れる血のせいでドラゴンへと転じ、騎士の中で最も狂暴な一面をさらけ出す。

 戦闘でもドラゴン化することでラスボスもフルボッコできるし、不利な局面をひっくり返すことができる、意外なチートキャラではあるが……その行き過ぎた力ゆえに、とても危険な諸刃の剣である。

 ドラゴン化はヒロインの魔力で制御するのだが、それが尽きれば暴走して一切操作を受け付けなくなり、敵味方関係なく無慈悲にスプラッターしてゲームオーバーへと導いてしまうのだ。


 そんなラスボス以上の狂気を孕んだショタに敵認定されている。

 そんな知識がなくても、小さな体から発せられる著しい殺気だけで、足がすくむどころか呼吸がおかしくなり、立っているのがやっとの状態だ。

 歯の根が合わず、弁明どころか命乞いすら出てこない。


 こうなってしまえば、ロイのようにトラウマを突いて煙に巻く手段も取れない。


「アリサが許してもボクはキミを許さない……矮小にして下賤な者よ、命を持って償え!」


 リュイが怒りのままに叫ぶと、あたり一面に突風が吹き荒れる。

 まずい。ドラゴン化の予兆だ。


 一度ドラゴン化すればリュイの自我は消え、殺戮マシンと化す。

 聖女が制御しなければ、乙女ゲームがスプラッター映画になってしまう。

 私が死ぬだけならまだしも、無差別に破壊活動をするだろうから、屋敷やその周辺の町に甚大な被害が出る。

 

 アリサを呼んでる暇なんかないし、どうすれば……!


 すがるように杖を握ると、温かな何かが体に流れ込んできた。

 突風の中薄目を開けると、なんと杖が戦闘モードになっているではないか。

 何が起きているのかさっぱり分からないが、不思議と心に落ち着きが戻った。


 思い出せ。イベントの時、暴走ドラゴンになったリュイをどうやって止めた?

 そう、制御の呪文だ。文言はうろ覚えだけど、何もしないよりはマシってことで!


「荒魂、和魂、幸魂、奇魂――四魂を調和し、あるべき姿に戻れ!」


 これ、ゲームで聞いてる時はなんとも思わなかったけど、実際に口に出すとマジで恥ずかしいんですが!?

 三十路にもなってこんな羞恥プレイをさせられるとは、なんという屈辱!

 こんな絶体絶命大ピンチじゃなかったら絶対やらないわ! 嫌な意味で鳥肌立ってるもん!


 状況をわきまえず羞恥に悶えていると、杖の先から閃光が弾けた。

 音の出ないスタングレネードみたいな眩しさで、あたりが純白に包まれた。


「ううっ……!」


 焼けるような白い光を前に、ギュッと目をつぶること数秒。

 いつのまにか吹きすさぶ風が止んでいるのに気づいて、そっとまぶたを開けると、目の前には芝生の上で大の字になって眠るリュイがいた。

 もちろん人の姿で。


 えええ……なんで聖女でもないモブ侍女の私が制御の魔法を使えるの?

 火事場のクソ力ってヤツ?

 この世界に来て以来、わけ分かんないことの連続でいい加減にしてほしいんだけど、ピンチが乗り切れたならまあいいか?

 あんまりよくないけど、無知な私が考えたって分かるわけないんだし。


 そういえば、あの侍女たちは……と見回すがいつの間にか消えていた。

 おいおい、盗みを働いておいてトンズラかよ。

 誰の命令か知らないけど、私に罪を着せるなら最後まで責任持てよな。

 まあ、ドラゴン化したリュイに殺されたくないし、逃げて当然ではあるけども。


 はあぁぁぁ、寿命が軽く十年は縮まったわ。

 私は死んでるからいいけど、ハティまで巻き添え食って死んだら目も当てれない。


 肺の空気を全部抜くようなため息をつくと、杖が星のような瞬きを発してヒュンッと縮み、元の大きさに戻る。

 まるで役目は終わったと言わんばかりだ。


「い、今のは何……?」


 呆気に取られて杖を眺める私の背後から、アリサの震える声が聞こえた。

 振り返ると、青白い顔で私が持つ聖女の杖を見つめている。


 ドラゴン化の前兆である突風を見て駆けつけたのだろうが、それが何もしてないのに鎮まり、挙句に失くした杖を私が持っているのだから、アリサからしたら混乱するばかりの状況のはずだ。


 さりとて、素直に事情を話していいとは思えない。

 ヒロイン専用装備をモブが使用しましたなんて、口が裂けても言えないでしょ?

 チートなモブがお花畑ヒロインの座を乗っ取るラノベは多いけど、私の立場では断罪の材料を自ら提供してるようなものだしね。


「あ、あの……えっと……」

「持ち主が離れていようとも、アリサの騎士を想う心がその杖と反応したのだろう」


 うまい言い訳が思いつかず、しどろもどろになっていると、なんともいいタイミングでユマが現れてフォローしてくれた。

 ああもう、自分勝手だって分かってるけど、こういうのって乙女心が揺さぶられるというか、ついときめいちゃうというか……いかんいかん。冷静になれ、自分。私はヒロインじゃなくてモブだぞ。


「そ、そんなことってあるのかしら……?」


 しかし、アリサは懐疑的な姿勢を崩さない。

 ちっ、おとなしく流されておけばいいものを。まあ、私だってユマの弁を信じちゃいないけどね。ゲームにはそんな設定なかったし。


「使徒たる俺も聖女の力をすべてを知るわけではないが、聖女と騎士の間には元より並々ならぬ繋がりがある。特に強い絆で結ばれていれば、このような奇跡はあり得ないことではないと思う」 

「そう、なのかしら。だとしたら嬉しいわ」


 追加でなされた説明にも納得していない様子のアリサだったが、突っ込んで聞いたところで正しい答えを得られないと思ったのか、一旦矛先を収めた。


「あ、あの。早く返してちょうだい」


 ユマと私の間に遮るように立ち、私の持つ杖をひったくるように奪うと、赤ん坊でも抱えるように胸にかき抱く。

 大事なものがなくなって焦る気持ちは分かるけど、せっかく拾って死守してあげたのに、その態度はちょっと非常識じゃない?

 それとも私が盗んだって本気で思ってるの?


「アリサ。そのように乱暴に扱うな」

「ご、ごめんなさい。でも、みんなあの人が盗んだって噂してたし、早く取り返さなきゃって思って……」

「噂を信じ過ぎると自分を見失う。まあ、あんたがそう思うのも無理からぬ状況だが、まずは相手の話を聞いてからでも遅くはない」


 そう言ってユマは杖と私を交互に見比べ、静かに問いかけた。


「それで、どうしてあんたがこれを持ってる?」


 きっと彼は私が盗んだとは思っていないはずだが、せっかくボヤの件が不問になっているようなのに「昨日の侍女たちが盗んだみたいです」とは言いにくい。


「先ほどこのあたりを掃除していたところ、アリサ様の杖が落ちていたのを見つけて拾ったのですが、運悪く私がこれを手にしたところをリュイ様に見られてしまい、盗んだと言われて大層お怒りになられて……あとは気がつけばこんな状態でして……」


 嘘と真実を織り交ぜながら、というか大事なところを端折りながら聴取に応じる私。

「そう。よく考えたら、リュイも杖も無事だったなら、誰が盗んだかなんて関係ない話よね。ついカッとなっちゃって、ごめんなさいね」


 私の釈明を信じたかどうか定かではないが、ユマの前でことを荒立てるのは得策ではないと察したか、アリサは杖をホルスターに仕舞い、羽扇で顔半分を隠しながらしおらしく謝る。

 あまり謝意は感じられないが、私もこの場が丸く収まれば何も言うことはない。


 ふとその時、羽扇を持つ彼女の手に包帯がないことに気づいた。

 ロイはバラの棘で怪我をして、痛々しい感じで包帯を巻いていたと言っていたはずなのに。反対の手かと思ったが、そちらも何もない。

 ただ止血のために巻いてただけ? それとも怪我をした振りをするための工作?


「いえ、こちらこそ誤解を招く行動をいたしまして、申し訳ありません。それと、先ほども失礼しました。私がもっと注意していれば、アリサ様のお怪我を未然に防げたはずですのに……」

「え? あ……ああ、バラのことね」


 さりげなく鎌をかけてみたら、一瞬きょとんと眼を見開いたがすぐに持ち直した。

 ちっ、そう簡単に尻尾は出さないか。別にいいけど。


「はい。包帯が必要なほどのご容態と聞きましたが、お加減はいかがですか?」

「バラ? 包帯?」


 話が見えないらしいユマはアリサに問うが、彼女は答えず早口にまくし立てた。


「あ、あれは心配性の侍女が巻いてくれただけで、大した怪我じゃないし、もう外しちゃったわ。ロイも大げさなんだから、困っちゃうわね」

「さようでございましたか。今後はより注意いたしますので、どうぞご容赦ください」

「……気にしないで。私も不注意だったし」


 アリサは右手を隠しながら私から距離を取ると、リュイを抱えたユマを急かしてそそくさと去って行った。

 二人の後姿を見送りつつ、彼女の怪しさに半眼になる。


 まさかこの杖の盗難事件はお得意の自作自演?

 あの侍女たちも仲間?

 となると、ボヤ未遂もアリサが企んだこと?


 うーん。ボヤはともかく、さすがに大事なものを利用して私を陥れようなんて考えるかな。

 侍女たちが本当に壊してしまう可能性はあるし、何かのはずみで魔王側に奪われてしまう危険だってある。

 ゲームだけでなく現実でもスペアがあるとしても、今後何があるか分からないのに、大事なものを危険にさらすような真似は私だったらやらない。


 なら、他の誰が計画したことなのかと問われれば、無言を返すしかないのだが。


 釈然としない幕切れにモヤモヤしつつも、お咎めなしだったので仕事を再開することにした。

 まずは突風で巻き散らかされた落ち葉や芝生を片づける――よりも、放り出した掃除道具を探すところからか。

 あの風でどこまで飛んで行ったことやら。てか、ぶっ壊れてても不思議じゃない。

 もう一回納屋に戻って違う道具を取ってきた方が早いか?


 なんて考えていると、不意に足元がおぼつかなくなって地面に膝をついた。


 今になって緊張の糸が切れて腰が抜けたのか。

 いや、何だか目の前がグルグルするような、頭の芯がぼんやりするような……まるで高熱に浮かされているような感覚だ。


 心なしか、腹部にいつぞやと同じ痛みがあるような――そんなことに気を留める間もなく、目の前が真っ暗になった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る