第二章――④

 侍女の朝は五時から始まる。

 これは五時起きという意味ではなく、五時には就業できる状態――つまりきっちり着替えて全体朝礼を済ませている状態にしている、ということである。

 何故なら使用人のお仕事とは、家人が起きる前に様々な雑事をこすことだからだ。


 だだっ広い屋敷のカーテンや雨戸を開け放つと、共用部分の掃除だの、朝ごはんの仕込みだの、大人数で手分けしても忙殺されるほど、やることは山ほどある。


 眠い目をこすりながら言いつけられた仕事を片付けつつ、周囲の会話に耳を澄ませていたが……ボヤは起きただとか、侍女たちが不審なことをしていたとか、私がまた何かやらかしたとか、不穏な噂は聞こえてこず、今度こそほっと胸を撫で下ろした。


 平和が一番ってことだな。うん。

 久々に清々しい朝を迎えた気がする。


 相変わらず私に対する悪口はどこから聞こえてくるけど、それも今日は気にならない。心なしかいつもより食事もおいしいし、いい日になりそうだなぁ。


 なんて、ちょっと浮かれた気分になりながら、籠一杯に詰め込まれた花を屋敷のあちこちに置いてある花瓶に挿して回る。

 花を生けるのも侍女の仕事だ。


 今日は甘くて芳醇な香りのバラ。

 定番の赤や白だけでなく、黄色やピンクや薄紫など実にカラフルな品揃えで、特に花を愛でる趣味はない私でも見ているだけでテンションが上がる。


 全て中庭のバラ園で育てられているものだが、限られた庭師と聖女様ご一行しか入れない秘密の花園で、こういう機会でないと私のような下々の者は見ることすら叶わない。

 まさに役得な仕事である。


「おい、そこの侍女」


 バラを活けながらご機嫌な私に水を差すように、不機嫌そうな声が降ってきた。

 この声はロイだ。体育会系なせいか上下関係をきっちり線引きする性質なのは知っているが、こんな粗野な物言いで侍女に口をきいているとは思わなかった。


 なんだかどんどん攻略対象に対する好感度が下がっていく。

 大大大推しであるユマがダントツで大好きだったけど、他のキャラだって萌えポイントがたくさんあって好きだったっていうのに、非常に物悲しい。


 でも、これって自分の知ってる二次元の設定を、三次元に押し付けてるだけかもしれない。勝手に期待して勝手に失望してるなんて、いい歳した大人がやっていいことじゃないよな。

 気持ちを切り替えて、侍女として接する。


「何かご用でしょうか」

「今日花を活けていたのはお前だけか?」

「はい。さようでございますが」

「お前が活けたバラの棘が刺さって、アリサが怪我をしたんだ。包帯を巻いた指はなんとも痛々しかった。お前がわざと棘を残したバラを活けたんだろう?」


 え……いやいや、意味が分からないんだけど。

 バラはきれいに棘を取り除かれたものばかりだし、素手で活けている私が怪我をしてないんだから、安全性は確保されてるも同然だ。


 そもそも、花瓶に活けた花をどうして手に取る必要があるの? そっちの方がお行儀悪いじゃない。 何か別のことに使いたかったなら、使用人に言いつけて別の花を持ってこさせればいいだけだし。


 言いたい文句は腐るほどあったが、論点がずれそうなのでやめておく。


「失礼ながら、棘の処理をしたのは庭師ですし、そのバラを活けるよう命じたのは侍女長です。気づかなかった不手際はお詫びし、アリサ様にはお見舞いを申し上げますが、私一人が叱責されるべき問題ではないと存じます」

「侍女の分際で責任転嫁するのか! 己の犯した罪を白状しなければ、この場で斬り捨ててやってもいいんだぞ!」


「ええ、どうぞご自由に。ロイ様がを斬る勇気がおありならば」


 腰に佩いた剣を今にも抜かんとするロイを睨み上げ、私は眉ひとつ動かさず、あっけらかんと言ってやった。

 

 これはただの開き直りだとか強がりではない。

 本当にロイが人間を斬れないと知っているがゆえの、安い挑発だ。


 彼は多くの軍人を輩出する家の出身だが、人殺しが怖くて軍人にはなれず、一族から見下され、爪弾きにされてきた過去がある。

 そんな折に聖女の騎士として見出され、これまでの汚名を返上すべく奮闘している最中なのだ。


 彼らの戦いでは人間相手に剣を振るうことはない。

 魔王もその手下も人に近い形をしているが魔物に分類されるもので、いい例えではないが人がサルを斬るようなものだ。法や倫理的には反するだろうが、罪悪感の違いはお分かりいただけるだろう。


 思いがけない返しに一瞬呆気にとられたロイだったが、ややあって恥辱で顔を赤らめながら握りこぶしを小刻みに震わせた。

 一介の侍女が自分の素性を知るはずはない。だが、トラウマを言い当てられてたような物言いをされ、平静を欠いているのは一目瞭然だ。


 私はそれ以上何も言わず、黙ってロイの動向を見守る。

 追い詰めすぎると言質を取られて逆効果になるかもしれないし(語るに落ちるってやつだ)、他にも攻略情報という名の弱みを握ってはいるが、いざというときの切り札は残しておくべきだろう。


 ロイが声を荒げたせいで何人か野次馬が集まってきたが、対峙している相手が私だったせいか「なんだ、またあいつが叱られてるのか」みたいな顔をするだけで終わった。

 変な形で冤罪まみれの体が役に立ってる。まったく嬉しくないけども。



「……ふん。まあ、今日のところは大目に見てやる。しっかり反省しておけ」


 無言の攻防の中、涼しい顔をしている私を隻眼で睨みつつ、三流の捨て台詞を吐いて踵を返すロイ。これが攻略対象なのか。底が浅すぎる。


「ご容赦いただき、ありがとうございます。アリサ様に私の謝意をお伝えしていただければ幸いです」


 ロイの背中に殊勝な言葉を投げれば、これみよがしな舌打ちをして去って行った。やれやれ、とことん三流だな。


 呆れたため息をつきつつ、これ以上絡まれないよう残りの花をさっさと活けてしまいうと、私は中庭に向かった。


 次の仕事は東屋の掃除だ。アリサは天気のいい日は外でお茶をすることが多く、日々きれいにしておかないといけないとのこと。

 魔王封印に伴ってあちこち魔物退治には出かけるが、現実にはレベルという概念がないので、延々と経験値稼ぎの雑魚狩りをすることはないので、ゲームよりもゆっくりくつろげる時間が多いようだ。


 侍女である私(ハティ)は毎日朝四時半には起きて、丸一日働いて、死んだように寝るだけなのに、聖女様とは言いご身分だこと。


 心の中で一人やさぐれながら、納屋に立ち寄って掃除道具を手に現場へ向かうと、視界の隅に妙な集団を見つけた。

 トピアリーの影に潜むようにしゃがみ込み、断頭台に上る罪人のような悲壮感を漂わせた侍女の三人組だ。顔は見覚えがあるが名前は知らない。


 彼女たちは青ざめた顔を覆いながら、ぼそぼそと何かささやき合っている。

 どんなヘマをしたのかと思ったが、もしや昨夜ボヤを起こそうとした侍女たちかもと思い直す。


 今は真昼で近寄ればすぐにバレてしまうし、この距離では盗み聞きは難しい。

 昨夜の反省をしているなら私が首を突っ込むことではないが、まだ何かするなら止めなければならない。


 何か情報が得られないかと、東屋の柱に身を潜ませながら観察していると、彼女たちが侍女らしからぬものを持っているのを見て、私は愕然とした。


 あれは、“聖女の杖”だ。

 普段はおもちゃの魔法少女ステッキに似た見た目と大きさだが、戦闘の時は身長大まで伸びる。

 ヒロインもアリサも腰にホルスターをつけて提げていたようだが、着替えなどの隙を突いて盗み出したのか。


 どうしよう。

 異世界人である聖女は、この世界の人間と違って、この杖を媒介にしないと魔法が使えない。それが失われれば、アリサは力をほぼ奪われたも同然だ。

 ゲームでは取り返しはつく要素だったが、現実ではどうか分からない。


 ボヤ未遂もそうだけど、杖が盗まれるなんてイベントなかったし、つくづくゲームと現実の違いを思い知らされる。


 今からユマに知らせる? それとも直接アリサに言う?

 どっちにしてもこの場を離れることになり、彼女たちが何をしでかすのか見届けることが出来なくなる。どうしたものか。


 私が取るべき行動選択を迷っているうちに、三人組は杖を芝生の上に置き、一人がレンガを振り上げた。

 え、まさか壊すの!? あれしきで壊れるとは思わないけど、傷をつけるだけで重罪に違いない。さすがにこれは黙ってはいられず、柱の陰から飛び出した。


「やめなさい!」


 私が声を張り上げると、振り上げられたレンガは宙で留まる。

 掃除道具を放り出して駆け寄り、杖を芝ごとむしるように取り上げた。


「何してるの! こんなことしてタダで済むと思ってるの!?」

「そ、それは、こっちの、台詞よ!」


 舌がうまく回らないながらも、侍女の一人が勝ち誇ったように言い放つ。

 他の二人も心底ほっとした顔で、乾いた笑いを漏らしている。


 侍女たちの様子がおかしい。どういうこと?

 怪訝に思う私をよそに彼女たちは不気味にヘラヘラと笑うばかり。

 緊張メーターが吹っ切れてぶっ壊れちゃったのかと疑ったが、いかに自分が愚かな行動をとったのか、次の瞬間に痛感した。


「――ああ、やっぱりキミだったんだね。アリサの杖を盗んだのは」


 怒気をはらんだ声が上から降ってきた。

 近くの木の枝に仁王立ちしたリュイが、可愛らしい顔を怒りに歪めてこちらを睨んでいる――聖女の杖を手にした私を。


 きっとアリサから「杖がなくなったから探して」と頼まれていたのだろう。

 アリサに焦がれる彼はその弁をそのまま信じただろうが、これは私を陥れるための手の込んだ罠に違いない。


 壊れた杖を私に発見させ、そこをリュイに目撃させるつもりだったのだろう。

 侍女たちが行動を渋ったせいか、私が駆けつけるのが早かったせいか、計画は少々狂っていそうだが、結果的により私を犯人に仕立てるに都合のいい場面が出来上がってしまった。

 

 正しい行動をとったのに裏目に出るなんて理不尽だ。

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