「石の国」の山道

 どうしよう……。光一は坂を登りながら狼狽していた。ミツルをなんとかしないと……。

 

 国境の街から次の街まで歩いていくには、山を越えなくてはならない。もっとも大した山ではない。光一の子供の頃、家族連れでハイキングを楽しんでいたような山と同じくらいの高さしかない。けれども山の中腹で、すでにミツルは倒れこみそうになっていた。


 「砂浜の村」で生まれたミツルは坂道というものを全く知らない。おまけに季節は夏に掛かろうとしており、光一にはともかくミツルにとっては未知の暑さだった。彼女は、山道を登り始めてものの五分で、顔が紅潮し息が上がってしまっていた。それでもここまで苦しいとも何も言わず登り続けてきたのはさすがミツルらしい頑張りようだった。


 けれど、もう限界だろう。さっきから何度も躓いている。もう疲労で足が上がらないのだ。光一は立ち止まってミツルに声を掛けた。


「ねえ、ミツル。休もうか」

「……ついさっき……休んだばかりじゃない……。早く……山を越えないと……日が暮れてしまうわ……」


 日は正午を過ぎて西の空に傾きつつある。今からどれだけ急いでも山越えは無理だ。ミツルはもう、そんな冷静な判断を失うほど疲れているんだろうか。じゃあ、僕はどうしたらいいんだろう。ミツルは隣で膝を抱えてうずくまり、はあはあと肩を上下させている。そんな彼女を見下ろしながら、光一はますます困惑する。


「インヨーの木……」


 ミツルが呟く。


「へ?」

「インヨーの木が沢山生えているところまで頑張って歩く。私」


 ミツルが立ち上がった。やや覚束ない足取りで先に立って歩き始める。それを気遣わしげに見ながら光一は尋ねる。


「インヨーの木、って何?」

「枝が地面に垂れ下がっている木よ。今まで何本か生えてたけど。気が付かなかった?」

「ああ、あの柳みたいな木……」


 確かにそんな木を何本か見かけていた。その木は柳に似ていた。ただ柳よりも幹が太く、枝のほうも途中までしっかりしているのか、柳よりも幹から離れたところから枝が垂れ下がり始める。光一は何となく、柳と枝垂桜の中間のような木だと思っていた。


 その木のところまで歩いてどうするの? と光一は訊いてみたかったが返事をさせるのもミツルの負担になりそうで黙ってミツルに合わせて歩いていた。


 そのインヨーの木が群生しているところにくると、ミツルはとうとう倒れ込んでしまった。


「大丈夫?」


 光一はミツルの傍にしゃがみこんで訊いた。ミツルは仰向けになって、ほっとした表情で答えた。


「大丈夫。これだけインヨーの木があれば今日はここで野宿すればいいわ」

「?」

「この木を2本使って、お互いの枝を編み合わせるの。そうしてゆりかごのようなものをつくるのよ。その中で寝れば獣に襲われないし夜露にも濡れない。だから、旅人の為に街道沿いに植えられているのだそうよ。この山にもあって良かったわ」

「ああ、枝でハンモックをつくるんだ……」


 光一は周囲のインヨーの木を見回した。


「でも、編むってどうやって?」


 ミツルは面倒くさそうな顔をちらりとし、


「後で教えるわ。ちょっと休んでからね」


 とだけ言って目を閉じてしばらく横たわっていた。


 休憩して少し元気の出たミツルは、光一にも命じてインヨーの木にたくさんの三つ編みを作り始めた。上から垂れ下がってくる柳のような枝の出来るだけ高いところから、三本選んで一本の縄を編む。


 この縄が4本の木に十数本程度出来ると、今度はそれらを網状に組んで行く。こればかりは光一は説明を聞いてもよく理解できなかった。「網くらい自分で作れなくて、どうして暮らしていけたわけ?」と疲労が滲み出るのか、ちくちく嫌味を言いながらミツルは、インヨーの枝を編んだもので緑色の網を作っていく。

 

 最後は、二本のインヨーの木からそれぞれの枝で作った網を結び合わせて一人分のハンモックの完成だった。

 

 日の暮れる直前に出来上がったインヨーの木のハンモックはなかなか快適だった。夕飯はないが、今日はこれで休むことができる。明日はお昼ごろまでに次の街に付くだろう。これからは食料を携帯するようにしたら、街道の途中で夜になっても野宿していけば、ミツルの足でも旅を続けていけるだろう。光一は安堵の息を吐いた。そして、ごろん、とハンモックの中で寝返りを打つ。


 ――でも、何のための旅なんだろう。


 安心すると、次はこんな考えが浮かぶ。そうやって野宿も交えながら皇都に行ってもただ元の世界に戻るだけなのだ。こんな旅、ちっとも楽しい目的なんか無い。


「私、いいこと思いついたの。コーイチ」


 光一の気持ちを見透かしたようにミツルが声を掛けてきた。


「私達、仕事をすればいいのよ。だいたい、旅の費用を帝国府に払ってもらうことばかり考えていたから、私達も皇都を目指すしかないって思ってただけで。でも、自分で自分たちの旅費を賄うとなると話は違ってくるわ」

「……ああ、まあそうだね。でも、どうやって……。よそ者の僕達が仕事を見つけるってどうすれば……」


 ミツルは溜息を一つついて、光一に噛んで含めるように説明してやる。


「とりあえず、宿代ね。泊まらせてもらう代わりに宿の仕事を手伝います、っていったらそれだけ長く泊まれると思うわ。そして大きな街についたら、他の仕事だって何とでも見つかるわよ。その気にさえなれば」

「……でも、そんなことできるかな……働くなんて……」


 光一はまだ高校1年生だ。将来の就職についてもなにも考えていないし、アルバイトの経験すらない。働く、なんてずうっと未来の話だと思っていた光一は、ミツルの思いがけない提案に戸惑っていた。それがミツルを、少し違った風に苛立たせてしまったようだった。


「んもう。生きていくって働くことでしょ。別の人生を生きたいって思った時から私はちゃんと働くつもりだったわよ」

「…………」

「コーイチは? まさかいつまでも遊んで暮らせるとでも思ってたの?」


 光一はむっとした。


「そういうわけじゃないよ。でも、君と違って僕は突然こっちの世界にやってきて、人生の選択肢が増えたばっかりなんだよ。まだ、考えが煮詰まってないところだって一杯あるんだ。その大きい街ったって僕にはどんなところだ想像つかないし」

「とりあえず、『尖塔の街』は『煉瓦の街』よりずっと大きいと思うわ。『石の国』って産業が盛んなんですもの」

「あのさ。順を踏んで説明してくれないかな。君がそんなだから僕だって困るんだよ。その『尖塔の街』っていうのは、『石の国』の首都か何かなわけ?」

「……そうよ。『尖塔の街』は『石の国』の首都」


 ミツルも不機嫌そうな声で答えた。でも間を置いてこう言った。


「……悪かったわ。貴方にとってはわからないことだらけなのよね。これからはちゃんと説明する」


 ミツルはフェアな性格をしている、と光一は思った。人にもずばずば意見するけど、自分自身にもちゃんと筋を通す。本当に強くて賢い女の子だ――そう光一は感心しているのに、自分の口からは「そうしてくれよ」という素っ気無い一言だけしか出なかった。光一はそんな自分を情けなく思いながら、ミツルに背を向け目を瞑った。


 二人は街から街へ旅を続けていった。宿に泊まれそうなときは宿で、街道の途中で日が暮れたときには、街道の傍、インヨーの木の群生している所で夜を過ごした。


 疲れのせいで、二人は、最初にインヨーの木で眠った時のような小さな言い争いを何度か繰り返した。もっとも二人ともまだ若くて、一晩寝ればかなり疲れは取れる。それにミツルはさっぱりした性格で、光一はおとなしい性格だったから、次の日にまで怒りを持ち越すことはなかった。


 二人とも、今この世界で仲間は相手しかいないのだ。諍いの翌日には、二人とも歩きながら冷静に前日の諍いを思い返して、互いが互いの長所短所を把握するようになっていった。


 ――ミツルは物知りで頭も切れるけど、ずっと一人で育ってきたから人に説明するのが苦手なんだ――光一はそう思って、分からないところは自分から積極的に質問するようになった。


 ――光一は、物事を決めるのにグズグズして苛立たしいところもあるけれど、彼にとってこっちは異世界なんだから仕方ない。それに私の優れたところはちゃあんと誉めてくれるし、坂が苦手な私に合わせてくれてるし――ミツルはそう思って、光一の目から事態はどう見えるのか配慮しながら説明をするようになった。


 半月ほどの掛かって、彼らは二人で越える最後の山の峰に出た。その峰からは、ラクロウ河のほとりに大きく広がる市街地が見下ろせた。その町並みからは何本もの尖塔が、空に向かって突き出されていた。

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