煉瓦の街

 「煉瓦の街」までナイアと光一の足ではは四日かかった。


 泊まるときも、初めて昼食を貰った時と同様だった。ナイアの顔を見た村人は最初あからさまに嫌そうな顔を彼女にみせる。しかし、彼女が光一を前に押し出すと表情を変える。彼らの顔に、この旅の連中に与えてやるものと後で帝国府が支払ってくれるだろうものとを思案する表情が浮かぶ。それから顎でしゃくって家の中に招き入れてくれるのだった。


 「砂浜の村」の家はどこも貧しく、客人を泊めるような部屋などなかった。だから物置部屋だったり、そこの家の住人が寝静まったあとの食堂だったりに二人は寝かされた。そういうわけで、夜の間は光一はナイアとゆっくり話をすることができなかった。


 四日目の昼、砂浜の彼方に小山のようなものの影が見えてきた。近づいていくと、赤っぽい。更に近づくと、確かに赤煉瓦を積み上げて出来た建物が立ち並んでいる街が見えてきた。


 赤煉瓦造りの丸い塔を境に、道も赤煉瓦で舗装されるようになった。長く砂浜に馴染んだ足は地面をつ

い踏みしめようとするが、そんな力を入れなくても楽々歩いていける。


 街中に入っていくにつれて人の姿も増えていった。皆、舗装された道の両端の歩道を歩いている。しかし、ナイアは一段低い車道を歩いていた。


 道行く人の服装もナイアと違う。この街を歩く人々は皆綿なり絹なり柔らかい素材で、もう少し立体的に仕立てられた服を着ていた。光一はこちらの世界の人は皆こんなものかと気にしていなかったが、ナイアの麻袋を改造した服はここに来ると本当にみすぼらしく、いかにも物乞いといった風情だった。


「あなたは歩道を歩いたっていいのよ」


 ただ、みすぼらしい格好をしていようが車道を歩かされていようが、ナイアはナイアだった。傲然と顔を上げ、どこか命令口調で光一に言う。


「でも……君が歩道を歩かないのに、僕だけ歩くわけにはいかないよ」

「そんなの、……っ」


 ナイアは光一に話しかけるため立ち止まっていた。そこに荷馬車が通りかかり、避けなかったナイアに荷台がぶつかった。彼女はつんのめって道に手をついた。荷馬車は何事もなかったかのように走り去っていく。


「だ、大丈夫?」


 四つん這いになっているナイアに合わせて光一も彼女の傍に座り込む。その鼻先を馬のひずめと車輪が掠めた。この二つが巻き上げた砂塵が目や口に入る。


「あなただけでも歩道に上がって!」


 ナイアが苛立たしげに言った。


「私は自分の身を守るので精一杯なの。あなたの心配までできない。だからあなたは安全な歩道に上がって頂戴」

「でも……」


 光一もナイアの言うことはわかる。僕に注意を向けていたら、ぶつかってくる馬車に対する注意がおろそかになる。けれども――。


「でも、やっぱり僕だけ歩道にってわけにはいかないよ。僕自分で気をつけるから。僕のことは気にしないで」

「何考えてんだか。だって……」


 ナイアは何かを言いかけたが、また向こうから馬車がやってきた。二人とも車道ぎりぎりに身体を横にしてなんとかやり過ごす。あとは、こんな調子で次々に襲い掛かってくる馬車や、その荷台、そこからはみ出している荷物を避けるのに二人とも専念し、互いに喋ることはなかった。


 路地に入ると人も馬車も通るものが途絶え、やっと二人並んで歩くことができた。ただ、もう二人ともぐったり疲れてしまい口数は少なかった。


「あそこが宿よ」


 ナイアが煉瓦造りの二階建ての建物を指差した。間口は狭い。ここに着くまでにこの「煉瓦の街」の各々の建物はとても間口が狭いことはナイアに教えてもらっていた。基本が砂地で建物を建てづらい土地に、沢山の建物がひしめき合っているので各々の道路に面する部分はごく小さいのだと。その代わり奥行があるのだ、とナイアは教えてくれていた。


 普通の民家に見える宿屋の扉を、ナイアは叩いた。中から出てきたやはり彫の深い中年男だった。ただし「砂浜の村」の者と違い柔らかい布で仕立てられた、洋服に近い格好をしている。男は、麻袋の服を纏ったナイアを見て眉間に皺を寄せた。汚らわしいものを目にした不愉快さを隠すことなく。


 けれどもナイアは臆さない。


「『海から来た者』の案内で皇都まで行くの。あさっての船に乗るから泊めて頂戴」


 宿屋の男は、ふんと鼻を鳴らして言った。


「じゃあ、そっちの『海から来た者』は二階の客室だ。お前は裏の馬小屋だな」


 ナイアは肩を竦めただけで、光一に、じゃあね、と言って、隣の建物との隙間から宿屋の裏に回ろうとした。


「ちょっと待ってよ。あの、彼女も同じ客室に泊めさせてください」


 光一は宿屋の男にそう頼んだが、相手はてんでとりあわなかった。光一は食い下がる。


「馬小屋で寝ろ、なんて……。ひどいじゃないですか」

「うちに『砂浜の村』の人間なんかを泊める部屋はないね。馬小屋を貸してやるだけでも奇特なもんだ。それを目当てに『砂浜の村』の連中がやって来るもんだから、うちはご近所に苦情を言われて困っているくらいだ。それでも泊めてやろうというんだから、感謝されこそすれ批判されるいわれはないね」


「コーイチ」


 ナイアが光一の傍まで戻ってきて囁く。


「たとえ馬小屋でも、この街で『砂浜の村』の者を寝泊りさせてくれるのは本当に珍しいの。ここくらいしかないのよ。あまりここの主人を怒らせないで。怒らせてこれから『砂浜の村』の者には一切宿を貸さない、なんてことになったら村の者みんなが困るわ。母さんだって困る」


 光一はちょっと押し黙ってから宿屋の主人に言った。


「じゃあ、僕も馬小屋に泊まります」

「好きにしな」


 そう言って男はバタンと扉を閉じた。ナイアは首を振りながら建物の裏手にまわりはじめた。光一もついて行く。


「全く、コーイチの考えることってわからない」

「だって……」

「どうも私に同情してくれているようなんだけどね。あなたが一緒に車道を歩こうが馬小屋に泊まろうが、私が歩道を歩けない、宿の普通の部屋に泊まれないっていうのは変わらないの。二人そろって不快な思いをするなら、せめて片方だけでも快適な思いをした方がいいじゃない」

「それは……そうだけど」


 でも、と光一は思ったことを口にだした。


「僕が歩道や部屋で快適な思いをしててもさ、その間君が嫌な目にあってるって思うと、僕も気分良くないよ。だからやっぱり君と一緒にいるよ」

「それで別に私の不愉快さが減るわけじゃないんだけど」

「……そうだね。でも、僕は自分ひとり快適だといたたまれないから……。僕の好きなようにしてもらっていいかな?」


 こう下手に頼まれるとは思っても見なかったナイアは、しばらく言葉を失ってまじまじと光一を見た。


「わ、私はいいわよ。……コーイチって変な人ね」


 そっぽを向いて、馬小屋の扉に手をかけたナイアだったが、表情に少しだけ嬉しそうなものがあった。

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