旅への誘い

「ともかく、食事をお食べなさいな」


 母親が光一に食卓につくよう促した。


「あ、有難うございます。……でも、僕あまり食べる気になれないです」

「きっととても動転しているのね。でも、少しでも食べれば気持ちも落ち着くかもしれないわ」


 思いやりの篭った温かい口調だった。光一が席に座ると、この母娘も共にテーブルについた。

 味の薄いクリームシチューのような、乳で野菜と肉を茹でたものを口に運びながら、光一は娘の方が答えてくれなかった質問を母親に尋ねてみた。


「あのう。ここは一体どこなんですか」

「ここは、『土の国』の『砂浜の村』よ。『煉瓦の街』から遠く離れた……。でも、『海から来た者』に意味がある答えではないでしょうね」

「ええ」


 確かに光一が聞きたいのはそんなことじゃない。


「いい? でもここが『砂浜の村』だってことは旅に出たら忘れてよね」


 娘の方が光一に向かって釘を刺すように言った。


「僕は旅にでるんですか?」


 さっきからこの娘は光一と旅に出ることを前提に話を進めていく。けれども一体どこへ、何をしに行く旅だというのだろう。


「ええ。貴方は自分のいた世界に戻りたいでしょう?」

「それは……まあ。でも、ここはどこ……ええっと、つまり僕がいた世界とどういう関係にある場所なんでしょうか?」


 母親が優しげな笑みで答えてくれる。


「違う世界なのは確かなの。こちらの世界に時々貴方のようにやってくる人がいるわ。皆海から歩いて来るの。そして『海の源流』までさかのぼって、そこから元の世界に帰って行くのよ」

「帰れるんですか? その『海の源流』ってところに行けば」

「ええ、そうよ。大丈夫。帰ることはできるわ」

「帰りたいでしょ。ね? だからあなたは私とコウトへ行くの」


 母親の話で見えかけていたものが、娘の話でまたよくわからなくなる。コウト、って何なんだよ。


「ナイア、この人は自分の住む世界と全く違う世界に今来たばかりで何もわからないのよ。もっと順を追って説明しないと」


 娘はナイアという名前らしい。母親はナイアに注意すると再び光一に説明を始めた。


「あなたの世界がどのようなところかわからないけれども、時々――そうね、四、五年に一度くらいと言われているわね、こちらの世界とは違う世界から海を歩いてやって来る人がいるそうなの。私たちはそういった人を『海から来た者』と呼んでいるわ」

「はい」

「それから、さっき私はここを『土の国』といったわね。この『土の国』は、リヴァイエ帝国に属しているの」

「リヴァイエ帝国……」

「『海から来た者』は皇帝の住む皇都に行くように決まっているわ。皇帝も貴方たち『海から来た者』と会いたいと思っていらっしゃるから。そして、皇都にある『海の源流』から元の世界に戻ることができるの」


 皇都――ナイアが言ったコウトというのがここのことらしい。


「だから、『海から来た者』と、その者を案内する人間は、許可なく国境を越えて旅をすることができるし、その間の宿や使った乗り物の費用も掛からないの。後から帝国府が立て替えてくれるから」

「つまり、僕と僕の案内人はタダで旅行が出来るということですか?」

「ええ」


 光一は初めて緊張のとれた顔をして、ナイアに向かって言った。


「そうか。それで、君は僕と一緒にタダで旅行がしたかったんだね」

「タダ、ってだけじゃないわ。無許可でできるのが助かるの。とにかく、私も旅が出来るし、あなたもおうちへ帰れる。貴方にとっても私にとってもいい話でしょ」

「あ……」


 光一が何かを思い出した顔をした。そして少し困った顔で視線を机にさまよわせ、考え込む。そして、顔を上げて、母親に真剣な声で持ちかけた。


「あのう。ここに残る、っていう選択肢はありますか?」


 母親は返す言葉が見つからない様子で、光一を驚いて見つめている。ナイアも一瞬呆けていたが、大きな声を出して言った。


「ちょっと、何それ? あなた家に帰りたくないの?」

「家には……帰りたいけど……。元いた世界に帰りたいかと言われると、ちょっと違うかな、って。絶対帰りたくないってわけじゃないんだけど……」

「どうしたいのよ?」

「だから……、もうちょっとこの世界のことを知って、こっちの方が良かったらこっちに居ようかなと思うんだけど。あの……ダメですか?」


 母と娘は顔を見合わせた。両方の顔に困惑の表情が浮かんでいた。

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