3 いつもアウトサイダー

 土地利用規制がろくに機能しないまま街並みが形成されたミナミは、過密化と建物用途の混在をまねき、複雑な空間を構成するにいたった。

 表通りから内部に入るほど道が分岐して、毛細血管のような路地が入り組む。慣れない者は当然、迷い、行き止まりにあう。

 これは道路に限ったことではなかった。


 スガは孤軍となった。

 協働していたフレデリーコたちが捕まり、ひとりでやるしかなくなった。

 屋台客で賑わうなかで仕掛けた爆発騒ぎは、虎の尾を踏んだにひとしい。<唐和幇タンフォバン>が本格的に動き出している可能性を恐れた。

 この組織の実態は、スガもよく知らない。つかめたとしても、せいぜい状況証拠の断片にすぎず、見えないだけに恐ろしく感じた。

 うかがいしれない水面下に、凶猛な何かが間違いなく存在していた。

 正体不明の組織だけではない。勘がはたらき、ミナミの地理に精通したパトロール巡査が追いついてくるかもしれなかった。

 もうあとがない。ダニエラ折場が持ち出した情報を奪い返すのは、いましかなかった。本命の証拠品は絶対あるはずなのだ。

 人目を避けて入った横道という状況で、スガは答えを急ぐ。銃口を向けて恫喝した。

「モレリアから持ち出した資料はどこだ? カセットテープだけじゃない。すべてだ」

 裏道にはいると、人通りが途端に少なくなる。たまに通りがかっても、暴力の現場に誰もがすぐ、回れ右して戻った。

 ただ、そんな人間ばかりではないのがミナミの面倒なところだ。おせっかいが多すぎる。

 空き瓶のケースを抱え、裏口から出てきた店員がそれだった。

「おまえなにやって……って警官なの⁉︎ 鉄砲で脅すなんて警察が——」

「邪魔をするなら、おまえも拘束するぞ! 引っ込め!」

 スガの剣幕に店内へと戻っていったものの、反抗的なひと睨みを返すのも忘れていかなかった。

 いかにもなミナミの商売人だ。おかみに頼らない気質があるところに、困ったときに駆け込む先が、警察だけではない強みをもっていた。

 車を停めてある場所から離れてしまった。スガはこの場で片付けにかかる。



 裏通りというシチュエーションでは、いつも膝をつかせる側にいた。

 その反対の立場を、ダニエラはいま味あわされている。両手を頭の後ろにまわし、両膝をついている目が凶悪になった。

 屈辱のせいではない。

 スガの銃口の先が、片腕に抱え込んで押さえている、ルシアに向けられていたからだ。

「モレリアから持ち出した資料はどこだ? カセットテープだけじゃない。すべてだ」

「自分のポジションをばらして迫るほど、もう打つ手も時間もないわけね」

「この状況を利用するだけだ。<モレリア・カルテル>を裏切って逃げ出したメンバーが、裏道で関係者と一緒に冷たくなっていたとしても、不思議に思われることはない」

「で、情報をとったあとは口を封じて、あんただけが利を得るわけ? 身の安全の保証がないまま、応じるわけないでしょ」

「わかっている。そこで提案だ。おれの情報屋になれ」

「買い被ってくれてどうも。検察に我が身を預けようって人間に、何を探れっていうの」

「おまえの情報諸々を利用したい。松井田のあとはおれが引き継ぐが、モレリアと対等でいるための保険がいる。組織の弱点を知るおまえと一蓮托生になれば、互いに益を分けあえる」

「だめだよ、ダニー! モレリアに関わったまんまじゃ、これまでと変わらないよ!」

「そうだな」

 うなずいたのはスガだった。

「だがな、このまま二人そろって死体で発見されるよりはマシだろう」

 かといって、ダニエラも安易に同意できない。

「あたしはもうモレリアと縁を切りたいの。だいたい幹部でもないあたしが持ってる情報なんて、たかが知れてる。ここでイエスと言っておいて、窮地をとりあえず抜けられるってとこでは興味をひかれるけどね」

「その『幹部でもない』というのは、正当な評価でか?」

「あんたは花丸をくれるって?」

「店のダンサーを鷲掴んで吠えているフレデリーコが、モレリアのなかで少数派の男ってわけじゃないだろ? そんな組織の中でも女のおまえが頭角を現したなら、同列にされている構成員より上の評価でみるのが妥当だ。その知恵を売らないかと言っている」

「ルシアに銃を突きつけて迫ってる時点で、対等な取引じゃないよね」

「おれは卑怯な警官だからな」

 自嘲的になるでもなく、真顔だった。

「選べ。互いに生き延びる方法を望むか、このまま切り捨てられるか。おれに協力して高城とともに生き残る。悪い案じゃないだろう?」

 銃口がルシアのこめかみにふれる。

 感情が極端な一方向に傾くのをダニエラは自覚した。

 その感情に従って、素手でスガと戦うことはできる。けれどルシアを盾に利用されては、勝率は五分五分か、それ以下でしかない。

 血が滲むほど唇を噛みしめた。痛みで頭を冷まし、怒りから距離をおく。考える。

 もっと勝率が高い戦い方はないか——。

 膝をつきながらも、スガを俯瞰するような気持ちで言葉を発した。

「カセットテープのほかに……リストがある」

「ダニー!」

「具体的に」

「……取り引き相手のネームリストと、その商品と金の記録。あとは、あたしの頭の中。それで全部」



 スガは、わかりやすく銃口をルシアに押し付けて催促した。まだ全部話していないぞ。

 ダニエラが応える。

「リストはここにはない。レンタルのトランクルームに保管してある」

「そうか。ではトランクルームに行くまえに、まずはこっちを確かめないとな」

 ルシアを捕えていた腕をとき、フロシキ・リュックに手をのばした。いくら思い入れがあるものでも、荷物になるバインダーファイルを持ち歩いていることが解せなかった。

 宝物を渡すまいとするように、ルシアが猛然と抵抗した。

「これはあたしにとって、かけがえのないものだって言ったでしょ⁉︎ 汚い手でさわられるのはゴメンよ!」

「逆らわないで、ルシア! 一度見せてやればいい。そしたら納得するだろうから!」

 ルシアがしぶしぶ渡した。

「賢明な判断だ。折場が殴られるところをみたくないなら、彼女の隣でじっとしてるんだ。まぎらわしい動きでも、痛い目に遭うぞ」

 瞳に憤りをともしたルシアの視線をうけながら、スガは隙をみせないようにして手を動かした。

 フロシキ・リュックを逆さまにする。ルシアの目の前で、バインダーが鈍い音をたてて路上に落ちた。

「乱暴にあつかわないで!」

「おとなしくしろというのは口もだ、お嬢さん」

 目で制してやるつもりが、視線がそのままになった。

 ルシアの怒りをなだめるように、彼女の腕をやわらかく押さえているダニエラとのツーショット。身体が触れ合うほどに立っているふたりの距離が、その関係性をあらわしている。

 スガは、ほかの誰にも訊いたことがなかった問いをふたりにぶつけた。

「ふたりで付き合っていくことに不安はないのか?」

「やぶからぼうに何なの? おせっかい焼くタイプには見えないけど」

 ダニエラの問いは、もっともなものだった。

「ほっときゃいいよ、ダニー。興味本位の質問に答えたところで、このまま見逃すわけでもないんでしょ?」

「質問は……その、真剣だ」

 時間の浪費だと思わなくはない。が、ファイルを開くこともせずにいると、

「守ってくれるものがないから不安じゃないかって? そんなもの、最初からないよ」

 達観しているようにも見える表情のダニエラが応えた。

「ルシアもあたしも、親が保護者の役目を果たしていなかったから、守ってくれる人間なんていなかった。子どもを守るための法律もあったかもしれないけど、そんなの知る機会もない。

 大人になっても同じ。ルシアと一生を共にいたいと思っても、この国じゃ制度の範疇からはじきだされて、生活や生き方の保障も肯定もしてはくれない。これまでと何が違うっていうの? 

 ホモソーシャルなくせにホモフォビアな警官社会で生きてるあんたには、想像も難しい……って言ってる意味わかる? そういった言葉を知らずに生きていける人間に、あたしたちの不安がわかるの?」

 理解しているつもりだ——

 とは答えず、ダニエラの視線から逃げるように手元の作業に戻った。

 フロシキ・リュックをそばのゴミ箱に突っ込み、分厚いバインダーファイルを路上でひろげた。

 ハンドガンは手放せない。ダニエラたちの挙動に注意しつつ、片手でページを繰る。

 ダニエラとルシアの食い入るような視線に刺されながら、手早くあらためていった。

 裏道で街灯が少ない。スガは目をこらしてチェックする。

 バインダーファイルは結構な分量があった。うんざりしても見落とさない自信はある。刑事になってからペーパーワークが増え、書類の読み込みには慣れていた。

 ただ、綴じられている紙の大きさも厚さもまちまちのせいで、ページが繰りにくい。手間がかかって苛立たしくなる。

 メガネがなくても見えなくはないが、疲れやすくはあった。早々に目がつらくなってくる。じっとりとまといつく重く湿った空気が、集中力をすり潰す。そして、

 ——そういった言葉を知らずに生きていける人間

 先ほど聞いたダニエラの答えが頭の中で反芻された。

 違うと言いたかった。

 そんな警官社会のなかで生きている人間みなが納得しているわけじゃない——

 口に出せなかった言葉が頭をよぎり、思考がそちらにもっていかれる。

 振り払い、手元のファイルに没頭しようとした。この中のどこかにあるはず……

 指先に違和感をおぼえた。

 手を止める。バインダーの中ほどまでページをめくってきた。不意に感じた微妙な違い。

 一見してはわからないような細工をしたのかもしれない。

 しかし、スガは手を止めたままでいた。ファイルを確かめようとしない。

 できなかった。

 ここで証拠品を見つければ、<モレリア・カルテル>との関係は保たれる。

 同時に、大きな代償をともなう行為でもある。自分が汚泥の沼にとらわれるのはともかく、このふたりのこれからも……

 逡巡する自分を胸中で叱咤した。他人のことまで思う余裕はないのだ。

 その先を確かめようとしたとき——



 ファイルを繰っていたスガの手が止まった。

 ダニエラは、ルシアと視線を合わせた。このままではまずい。

 察したルシアが、うなずいてくれた。賭けに出る。

 ポケットに手を入れた。

「トランクルームの鍵だ! 西清水町にししみずまちへ行け!」

<モレリア・カルテル>への手土産を求めるスガの鼻先に、エサを投げてやる。

 スガの視線がバインダーファイルからはずれた。鍵を目で追う。

 タイムラグなしでダニエラはスタートを切る。同時にルシアに声をかけた。

「走って!」

 組織犯罪係の刑事だけあって反応が速い。

 鍵から視線をはがしたスガが、慌てて銃口を突き出す。その下をくぐり、ショルダータックルをぶち当てた。

 しかし、ルシアがバインダーファイルへと駆けよったのは誤算だった。

 ひっくり返った姿勢からすぐさま起き上がったスガが、ダニエラをふりほどき、バインダーを拾い上げたルシアへと手をのばす。

 左手をつかんだ。

 ルシアも渾身の力で抗う。すっぽ抜けるようにスガの手から逃れた。

 ダニエラは刑事の脇腹に、渾身の鉄槌てっついで横殴りに振り抜いた。道端にあった自転車を道連れにして倒れ込ませる。

 倒れ込みながら、スガがハンドガンを向けてくる。

 とっさに遮蔽物へとルシアを押し込む。目についたビルの内部に飛び込んだ。そのまま裏口のほうへと走る。

 鍵がかかっていた。

 階段に方向転換、駆け上がる。

 ミナミの建物なら、袋のネズミにならない可能性にかけた。

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