3 なら、壊してしまえ

 ダニエラが止める間もなかった。

「そういうとこがゲスだっていうのよ!」

 ルシアの怒りには厭悪がまじっている。フレデリーコがやろうとしている行為を想像してしまったらしかった。

「ゲスな行為を見たくないなら、とっとと話せ。左右あわせて十本、たっぷり時間をかけられるぞ?」

「ダニー、もういいよね⁉︎ 自分たちのせいで、ほかの人が酷い目にあうなんて厭だ!」

 まずい。

「『もう』?」

 他人の失敗に卑しく食いつくフレデリーコが口角をつりあげた。これを狙ってルシアを攻めたか。

「やっぱり、まだあるんだな。折場、吐けよ」

 ダニエラは答えに葛藤する。

 これまでなら、警官の命など気にかけたことがなかった。職業的に当然のことだと思っていた。なのに、言葉にするのが苦しかった。

「……警官なら、こうなる覚悟も——」

「警官関係ない! 助けようとしてくれたマリアを見殺しにしたくない! 今度はあたしがた助けたい!」

「こっちを無視してんじゃねえ! 一本目をいくぜ⁉︎」

 マルティンが持ってきたシェフナイフ牛刀を受けとったフレデリーコの声がはずむ。



 リウは、状況が動くきっかけをうかがっていた。

 しかし、好転の兆しがないまま時間が過ぎ、限界が先におとずれた。

 シェフナイフが手下の手からフレデリーコへと渡される。クドーにやろうとしていることは想像に容易かった。

 フレデリーコがやるのは目的をもった拷問ではない。素人の拷問遊びでは、命の危険しかない。

 手首の皮膚が手錠で破れるのもかまわず、配管を引っ張った。蹴りを入れた。古い建物のくせに、びくともしない。

 耳触りな金属音がラミロの注意をひいた。が、クドーを押さえつける役を放り出そうとせず、こちらを気にしながらも動かずにいる。フレデリーコの命令は絶対らしい。

 そのクドーは、押さえておく必要がないほどになっていた。意識を失ってはいないが、身体が不安定にゆらぎ、危機に反応できていない。

 とっておきの作業に集中したいのか。フレデリーコがハンドガンをベルトに戻した。

 シェフナイフを右手に、クドーに近づく。

 ダニエラが助けに入ろうとしたが、すぐさまマルティンに牽制された。援護できる人間がいない。クドー自身で逃げるしかない。

 目を覚まさせようと、リウは大音声を叩きつけた。

「クドー、起きろ! 動けっ! マリア‼︎」



 低いけれど明瞭なリウの声は、雑踏警備の最中に聞いても、いつもシャープに耳に入ってくる。

 それがいまは、水の中で聞いているようだった。

 めずらしいなとクドーは思う。こんな聞こえ方も、めったに聞くことのない、切迫したリウの声も。

 視界にはいる光景をぼんやりと眺める。

 照明を反射している金属は……ナイフだ。結構、大きい。

 片手が床に縫い付けられていた。これは、すぐに殺すつもりはなくて……と安心してはいられなかった。

 きっと、殺されるより恐ろしく、エゲツない酷い展開が待っている。

 早く逃げないと……

 そう考えていながら、どこか他人事だった。

 散漫なままの意識が、身体に指令を出せずにいる。



 木の枝が折れるような、妙な音——

 フレデリーコは、屋内で聞こえるはずのない音を聞いた気がした。

 無視できない気がして、そちらに振りむく。速攻で反応しなかったミスをさとった。

 すぐ目前にリウがいた。

 こいつが音の元凶か? しかし、ありえなかった。手錠でつないでいたはずだ。

 どうやって抜け出したのか。うろたえながらも咄嗟にナイフをを突き出す。その動きが逆作用となった。

 突き出したシェフナイフが、腕ごと簡単にはね上げられた。

 次の刹那、左から頭蓋をゆする衝撃がきた。

 鈍器で殴られたかのようなだった。

 仕返しか? 手からナイフがこぼれ落ちる。どうにか踏みとどまったところで、再度の衝撃。耳元で風船を割られたような音がした。

 右をむいていたはずの顔が、ねじ切られる勢いで、反対側へと急転換させられる。

 往復で、頬を張られたのだ。

 凶猛な勢いに、顔から宙に浮き上がった感覚があった。

 床に倒れ込む。張られた耳に激烈な痛みがはしり、喉から悲鳴がほとばしった。



 リウは、シンプルに判断した。

 手錠を外すことはことは不可能だ。なら、壊す箇所を変えればいい。

 バジリオが監視役を忘れ、シェフナイフを手にしたフレデリーコに注意をそがれた。

 好機。手錠でつながれている右手の親指を握った。

 躊躇いはない。握った左手に力をいれる。

 右親指の骨を折った。

 苛烈な痛みが全身を突き上げる。身体は声に変換しようとするが、意志の力で抑えこむ。

 そうしてスチール製の輪の中から右手を抜き出した。バディが直面している脅威の排除にうつる。

 バジリオをすり抜け、フレデリーコへ。素手での対処が可能になる間合いに迫る。

 フレデリーコが気づいた。

 ナイフがのびてくる。

 リウは、左手を内から左上へと振り上げた。ナイフを握った手元をつかむ。

 同時に、折れた右親指をカバーして、手刀側を中心にした張り手をフレデリーコの頬に入れた。

 落ちたシェフナイフを蹴り飛ばした。

 間髪を入れず、本命の左を出す。

 衝撃で傾いたフレデリーコの身体を迎えるように、利き腕——左の平手を、フレデリーコの右耳に容赦なく叩きつけた。

 床に倒れ込んだフレデリーコが、鼓膜を破られた耳をおさえ、喚き声をあげてのたうつ。

 その頭を耳をおさえている右手ごと踏みつけた。

 頭を床に縫いつけ、フレデリーコがベルトに挟んでいたハンドガンを抜き取る。取り戻した銃でフレデリーコの胴体に照準、配下に命じた。

「武器をすべて捨てろ。こいつの血飛沫が見たくなかったら指示に従え」

 生きている人間を紙の標的と変わりなく撃つ目は、室内のどこを見るでもなく、視線の先をさとらせない。

 淡々とした声と表情が、本当にやりかねない説得力をもたせた。

 古株のナバーロが銃を床においてすべらせた。続いてラミロが銃を蹴飛ばした。それを見たマルティンもならう。バジリオが、ラミロにうながされて捨てた。

 ルシアが、すぐさま行動をおこした。

 ダニエラを拘束していたベルトをとく。それからクドーに肩を貸して、部屋のすみへと避難させた。

 リウはさらに警戒の姿勢を厳しくする。

「ジャケットを脱いで背中側を見せろ。ズボンのポケットを全部裏返して、すそを膝下までめくりあげろ」

 バジリオが噛みついた。

「調子にのるんじゃねえ、ヌードダンスでもさせてえのか!」

「逆らうな」ナバーロがとりなす。

「素っ裸になれって言わないだけ、まだ警官の面を被ってる。いまのうちに従っとけ」

 バジリオが愚痴った。

「どっちの味方なんだよ」



 人質にとられているフレデリーコの安全が第一だ。ぶつくさ言いつつ従った手下に、ラミロは一息ついた。

 銃を捨てさせ、なおかつボディチェックに念を入れてくるやつだ。生半可な反撃では、射殺の機会を与えるだけになる。

 ただし、このままではすまさない。

 フレデリーコを床に這わされたままで終わらせるつもりはなかった。

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