2 もう無理

 フレデリーコの仕事に新たなものが加わった。

 ダニエラが持ち出した内部資料回収のほかに、<モレリア・カルテル>のボス、エンリケ・デルガド=ドゥアルテや幹部らと警官とのやりとりを録ったという、カセットテープの確認だった。

 これには合流したラミロも加わり、百本近くありそうなテープを一本、一本調べている。

 小さな目印に目を凝らす作業は、遅々として進まなかった。

 フレデリーコは苛立つ。

 録られた間抜けな警官など切り捨てて、永遠に口を閉じさせればいいのだ。ネズミ内通者はまた新しく飼えばいい。金に目がくらむやつはいくらでもいる。

 なのにボスは、それでよしとしなかった。回収したテープを利用する先を考えているのかもしれないが、合点がいかない。



「もういい、やめろ!」

 唐突な大声に、ルシアは反射的に首をすくめた。無意識に防御の姿勢をとっていた。

 作業を眺めるだけだったフレデリーコが、ラミロの手をはたき、カセットテープを叩き落とした。

「こんなことに時間をかけてられるか! マルティン、まとめて全部燃やせ!」

「待て待て、待ってや! キッチンで燃やすにしても、ここの小さい流しで焚き火したら、火事になるかもしれんやろ! トンカチで潰して、テープ絡ませたらたらすむやんか」

 口を挟んだのはクドーだった。警官として無視できない台詞だったのだと思う。

 ミナミに住んでいる人たちは、火事をいちばんに恐れていた。道幅が狭く入り組んでいるから、入って来ることができる消防車両が限られるのだそうだ。こんな風の強い夜に出火させたら、一気に広がってしまう。

「おれにアドバイスしようって度胸は誉めてやろう」

 クドーに近づくなり、平手を食らわせた。

「これがおれの答えだ。指図するな」

 打った手を戻しざま、ついでのように手の甲で、反対の頬を打ちつけた。

 皮膚が裂かれるような冷たい音に、ルシアの手は冷たくなった。

 こういう場面のフレデリーコには見覚えがある。舞台のバックヤードで、ときに客がいる前で、感情のまま店の人間に暴力をふるっていた。

 口出ししたら、また殴られるかもしれない。そのあとに優しい声で何度も謝り、こちらの気を許させる。そうしておいてまた、逆上すれば手を上げてくるのだ。

 ルシアは膝を折ったりしない。

 ダンサー仲間には、言われるがままにならない強気を見せていた。けれどそれは、フレデリーコに屈したままでいたくない空元気にすぎない。ルシアだって怖かった。

 その恐怖をおさえて、声をあげる。

 何より、モレリアから抜け出したダニエラがそばにいた。彼女が見ているまえで、自分も闘えるところを見せたかった。

「フレデリーコ! あんた、ほんとに変わらない。気に食わないってだけで、自分よりずっと弱い人間に手をあげてた。そんなとこ見せられて、愛想をつかさない女はいない。あんたは強い男のつもりでいるけど、強いって意味を全然わかってない!」

 これにはダニエラが止めに入るより先に、ラミロが怒鳴った。

「ちょっと目をかけられていた程度で、でかい口を叩くな、黙ってろ!」



 実際、ラミロは止めにはいっていた。

 怒りの沸点が低く、状況を見失いやすいのがフレデリーコの欠点だ。自分がカバーするしかない。兄にかわって室内の変化を見落とすまいとした。

 やはりというか、チビ警官の相棒に気がかりをおぼえた。

 感情がみえにくいタトゥー警官の双眸から、さらに温度が消えた気がする。配管につないで自由を奪っているが……

 どうにも不穏な流れを感じる。

 しかし、そんな第六感的なことは信じないフレデリーコだし、たとえ古参のナバーロが言ったところで聞き入れない。

 フレデリーコのリアクションは、予期した通りになっていく。



「わかっちゃいないのはおまえだよ、ルシア。おれがやっているのは必要なことで、最適な手段を選んでやってるんだ。口で言ってわからないやつのためにな。こうやって!」

 ルシアに手を振りおろすより早く、

「最適じゃなくて、他の手段を知らないだけでしょうが!」

 ダニエラは、暴力の矛先を自分に転じさせようとした。

「口実をこじつけて、加虐趣味を満たしてるだけだ!」

「おお、悪いな。ほったらかしにしたから折場は退屈したんだな」

 胸ぐらをつかみ、狡猾に笑む。

「用意周到なダニエラ折場カルヴァーリョだ。ネズミ密告者になるのに、貢物がカセットテープと自分の頭の中の情報だけってことはないよなあ。ほかに何を用意した?」

 素知らぬ顔の裏で、ダニエラは牙を鳴らした。

 感情的に動くかと思ば、抑えるべき肝心のポイントは見落さなかったりする。跡目争いに加わるだけのものはもっていった。

「いまのうちに差し出すなら、おまえとルシアの今後の無事を考えてやるぞ?」

 甘言にはのらない。しかし、ほかに情報などないと言ったところで、フレデリーコは納得しない。

 答えに窮するダニエラに、推定味方の警官が代わって出た。



「答えられへん難題ふっかけて、いたぶる建前にしてるんやろ?」

 クドーは痛む頬で口をひらいた。

「だいたい、テープ以外の土産とか、ほんまにあるん? カセットテープの情報にしたって、他人から教えられて、やっと気づいたんやろ? ちゃんと把握できてなかっ——」

 頬が先ほどより鋭い音で鳴った。

 かかりよった。激昂そのままな平手打ちに、クドーは手応えを感じた。

 ルシアたちから気を逸らせるための思いつきだったが、真実をついたかもしれない。にしても、これは結構きいた。気絶はまぬがれたものの、頭がクラクラする。

「このまま静かにさせてやるよ。『舌は禍いの根』だからな」

「図星だったんだな」

 リウの声が割ってはいる。殴られる耐久力に不安をおぼえたところで、引き継いでくれた。

 喜んでばかりはいられないが、やっぱり思う。

 うちの相方、最高。



「図星だったんだな」

 その一声で、フレデリーコの頬がひきつった。

 ルシアはこの顔をステージ裏で、店の奥で、何度となく見てきた。逆らってくる人間すべてが気に入らないのだ。話に割り込んだリウのほうへと振り向いた。

「ネズミを追いかけているおまえも、ネズミに頼っていたんだ。情報収集能力がないんだな」

 歯に衣着せぬ物言いに、フレデリーコが額に青筋をうきあがらせた。

「どいつも、こいつも……!」

「誰にすがってテープの情報をおしえてもらった?」

「黙りやがれ! 質問できる立場にあるのは、おれだけだ!」

 ベルトに挟んでいたハンドガンを抜く。リウではなく、ルシアの前にきた。ダニエラの顔色がかわる。

 やっぱりかとルシアは思う。

「折場を痛めつけたところで口を割らねえのはわかってる。こいつは頑固なとこがあるからな。ということでおまえだ、ルシア」

 どこを突かれるといちばん痛いか、フレデリーコは確実に嗅ぎわける。ルシアを痛めつけて、ダニエラから情報を聞き出すのだと。しかし、

「ラミロ! そのチビをおさえつけろ」

「え、警官をか……?」

 ここで矛先がクドーにいくとは思わなかった。

 兄のやり方に口を挟まないラミロが、さすがに反対した。

「いや、お巡りに手を出すのはまずいぜ。テープを始末したんだ。あとは折場をボスのところに——」

「必要ない! ここで、おれが全部カタをつける。さっさとやれ!」

「わ、わかった」

 部屋の中央にクドーを引っ張ってくる。ひざまずかせた背後から、襟首をおさえた。

「おまえが信頼してる折場のせいで、たまたま警護についた、こいつが死ぬかもな。それとも相手が『市民の奉仕者』なら、心を痛めることもないか?」

 面と向かって言ったのはルシアに対してだった。銃口をクドーに向ける。

「そうそう遊んでばかりいられないからな。さっさと答えを聞かせてもらおうか」

 壁際の配管から、金属がふれあう硬質な音が忙しなくなった。手錠に動き阻まれているリウを愉快そうに一瞥一瞥する。

「静かにしてろよ、お巡りさん」

 そうして、またルシアたちに向き直った。

「さあ、おれに有用な情報なら、なんでも誰からでも受け付けるぞ! なんかないのか?」

「ルシアもダニエラさんも、なんも言わんでええ! 自分らのことだけ——!」

「べらべら、うるせえ!」

 グリップ銃把底をハンマーがわりにしてクドーを殴りつけた。

 ラミロが背後からおさえているから、逃げようがない。まともに受けたクドーが意識を手放しかけた。

「タフでなけりゃ、お巡りさんになれないよな? どこまでもつか試してみようや。おい、チビの手錠をはずせ」

「なにをする気だ……?」

 たぶんラミロはわかっている。わかっていながら訊いたラミロに命令した。

「チビの手を広げて床に押さえつけろ。マルティン! ナイフかハサミを探して持ってこい!」

 ルシアの胸の内に、耐え難い本能的な不快感がせりあがった。

 逆らえばフレデリーコは手を上げてくる。殴られるのは怖い。痛いだけでなく、気持ちまで壊れそうになる。けれど、抑えていられなくなった。

 もう、無理。

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